願い
強欲な男がいた。
男は他者の幸せなど気にもしなかった。自分の幸せだけを考えて生きてきた。
ある日、男が街を歩いていると壺を売っている老婆に出会った。
「ん? なんだ。その壺は?」
「はい。この壺にはどんな願いも叶えてくれる悪魔が封印されているのです」
「なに、どんな願いも叶えてくれる悪魔だと?」
「そうです。この壺の蓋を開けると悪魔が出てきて願いを叶えてくれるのです。ただし魂を引き換えに差し出さなくてはいけません」
「ははは、なるほど。よくある話だ」
言いながら男はじっと壺を見つめた。
男は老婆の話す願いを叶える悪魔など少しも信じていなかった。
しかしその壺は中々の一品に見える。
目ざとい男は壺を値踏みした。骨董商に持っていけば中々の値になるだろう。
「気に入った。この壺はいくらかね?」
「五千円になります」
「よし買った。早速家で悪魔を呼び出してみよう」
男は老婆から壺を買うと、喜んで家へと帰った。
「ははは、儲かったぞ。この壺、骨董商に持って行けば十万円にはなるはずだ。どれ、高値で売れるように綺麗に磨いておこうか」
言いながら男は壺の蓋を外した。
するとどうだろう。
壺からモクモクと真黒な煙が上がり始めた。
その煙の中から、蝙蝠のような羽と尻尾を生やした痩せこけた男が出てきた。
「うわ、なんだお前は」
「私は悪魔だ。封印を解除したお前に、契約に従って願いを二つ叶えてやろう」
「なんだと、本当に悪魔だと言うのか」
「そうだ。お前の願いを叶えてやろう。ただし魂と引き換えだ。願いを叶えるには魂が必要なのだ」
まさか本当に悪魔が出てくるとは思っていなかった。
男は驚いたが、すぐにこれはチャンスではないかと思った。
「本当に願いを叶えてくれるのか」
「叶えてやろう。魂と引き換に」
「魂を取らずに願いを叶えてもらうことはできないのか」
「それはダメだ。願いは魂の力で叶えるもの。魂が無くてはなにもできない」
男は考えた。
願いは叶えてもらいたい。しかし魂を差し出すのは嫌だ。
かといって魂の力が無くては願いは叶えられないと悪魔は言っている。
どうすればいいのだろう。
考えた末、男は悪魔に願いを言った。
「よし決まった。最初の願いが決まったぞ」
「ほほお。それでは願いを聞こう。魂と引き換えに」
悪魔の言葉に、男はにやりと笑った。
「私の最初の願いは『私の魂では無く、他人の魂で私の願いを叶えろ』だ」
「な、なんだと!?」
男の言葉に、悪魔は目を丸くした。
「それではお前の代わりに他人の魂を使うことになるのだぞ。いいのか、そんなことをして。お前の良心は痛まないのか」
「他人の魂など知ったことか。それよりもどうだ。この願いは叶えられるのか」
「……いいだろう。その願いを叶えてやろう。お前の魂ではなく、他人の魂で願いを叶えてやろう。ただし……」
「うん? なにかあるのか?」
「この願いは本来のルールから外れたものだ。本来のルールでは願いは願った人間の魂を使うもの、それを無理やり捻じ曲げるからには多数の人間の魂を必要とするだろう」
「構わない。他人の魂なら必要な分だけ使え。それでは二つ目の願いを言うぞ」
「いいだろう。ただし叶えられる願いは二つまで。次の願いでおしまいだ」
悪魔の言葉に、男は再びニヤリと笑った。
「私の二つ目の願いは『私の二つ目の願いで私の願いを百個叶えろ』だ」
「な、なんという願いを言うのだ」
男の願いに、悪魔は再び目を丸くした。
「本来ならば願いは二つしか叶えられない。それがルールなのだ。それを無理やり変えようものなら、必要な魂はどれほどか分からないぞ」
悪魔の言葉に男は頷いた。
「構わないと言っただろう。他人の魂など、どうなろうと知ったことか。いくらでも魂を使えばいい」
「なんという男だ。お前の良心はとがめないのか」
「なにを言っている。私にとって大切なのは私の魂だけだ。さあどうだ。私の二つ目の願いは叶えられるのか」
「……いいだろう。二つ目の願いも叶えよう」
「ははは。やったぞ。それでは百の願いを叶えてもらうぞ」
それから男は思いつく限りの願いを言った。
豪華な家。高級外車。美しい愛人。忠実な使用人。素晴らしい服。最新の家電製品。豪華客船。別荘……
思いつく限り、欲望の限り男は願いを言い続けた。
男の底知れぬ欲望に、悪魔もあきれ返った声を上げた。
「なんと強欲な男だ。お前ほど欲の強い人間は始めてだ。これでは必要な魂は百や千ではきかないぞ」
「必要分だけ使えばいい。他人の魂等、好きなだけ使え。それでは最後の願い、百個目の願いを言うぞ」
「いいだろう。これが本当に最後の願いだ」
「私に永遠の命をよこせ。永遠に死なない体にしろ」
「お前はそこまで願うか。その願いは自然の摂理まで捻じ曲げることだ。それほどの願いを叶えるとなる必要な魂は想像もつかないぞ」
「いいのだ。私にとって大切なのは私だけだ。さあ、願いを叶えてもらうぞ」
「……よかろう。お前の願い、全て叶えてやろう。それでは目を閉じ、三つ数えろ」
男は悪魔の言葉に従い、目を閉じ、三つ数えた。
そして男が目を開けると、周囲の景色は一変していた。
それまで六畳ほどの小部屋だった男の部屋は、宮殿のような豪華な作りになっている。
壁には美しい絵画。豪奢な調度品の数々。
窓から見える庭園にはよく手入れをされた美しい草花が咲き乱れている。
目に見えるすべての物は、全て男の物だ。
「ははは、やったぞ。あの悪魔、本当に願いを叶えてくれた」
気をよくした男は壁際に立つ愛人たちを呼び寄せた。
「さあ、お前たちこちらに来るがいい。私がお前たちの主人だ」
しかし、どうしたわけか彼女たちはぼんやりとしたまま微動だにしない。
「どうしたのだ。なぜこちらに来ない」
男は愛人たちの肩を掴んだ。しかし彼女たちはぼんやりとしたまま微動だにしない。
「これは……、こいつら魂がないではないか」
そう。彼女たちは魂のない人間の形をした器であった。
「そうか、あの悪魔め。使うべき魂として私の愛人たちの魂を使ったのだな。全くこれでは意味がないでないか」
なんの反応も示さない彼女たちに男は興味を無くした。
「おい誰か、この女どもを片付けろ」
男は忠実な使用人たちを呼んだ。
しかしいくら待てども使用人は誰一人として訪れない。
「どうなってるのだ。誰も来ないではないか」
不審な気配を感じ、男が使用人たちの部屋へ様子を見に行った。
そこにいたのは魂のない人間の形をした器となった使用人たちが横たわっていた。
「これはどういうことだ。誰一人として魂がないではないが」
だんだん不安になってきた男は街へと飛び出した。
そこには魂のない人間の形をした器となった人々が倒れていた。
「そ、そんな。みな魂がないではないか」
男は必死になって自分以外の魂を持った人間を探したが、どこにも見つからなかった。
男の願いは本来のルールを捻じ曲げ、自然の摂理さえも歪めるものであった。
その願いを叶えるには男以外の世界中の全ての人間の魂が必要だったのだ。
男は自分以外の魂を持った人間を探した。
「おーい、誰か。誰でもいい。誰でもいいから返事をしてくれ」
男は自分以外の魂を持った人間を世界中探した。だが魂を持った人間を見つけることは出来なかった。
世界中で魂を持っている人間は男だけだった。
男は一生かけても使いきれないほどの金を持っていた。しかしその使い道はない。
男は世界中の美しい芸術品を手に入れた。しかしそれに感動する者はいない。
男は美しい愛人を手に入れた。しかし彼を愛する者はいない。
男はこの世のあらゆる財を手に入れた。しかしそれを羨む人間はいない。
「な、なんでこうなってしまったのだ。私は、私は……」
男は世界に絶望した。
やがて男は死にたいと心から願うようになった。
だが、その願いだけは叶うことはなかった。
永遠の命がほしい、そう願ったのは、他ならぬ男自身だったから。