宝石はポケットの中
In my dream...
盛大な爆破音が響き渡った。
「エル,」
透き通った女の声が男の名を呟く。
それは遠くにいた名前の主には到底聞こえないような大きさだったが、十分に聞き取った彼は声のする方へ向かった。
「そっちももう終わったのか」
「ええ,エルは?」
「ずいぶん前に」
少しおどけて言ってみせたその男,エルはすがすがしい表情をしていた。
後ろには焼け崩れた美術館。
これだけ壊してしまえば修復は困難だろう。
足元にも,向こうにも踏み場もないほどに倒れた人,人,人。
追手も来ていない。
「上出来だな」
満足げにそう言ったエルに,足元に転がっている男を足蹴にしてイヴも頷く。
血だらけの男からくぐもった悲鳴が聞こえた。
「あっけなかったわ」
「ああ。こうも脆いとは思わなかったな。」
今回のターゲットの宝石はかなり貴重な代物だった。
持ち主もかなり警戒心が強く,何百,何千人と精鋭を雇った,と自慢げにテレビ画面に映っていたのを覚えている。
“失敗”は全く考えていなかったが,精鋭と聞けばこちらも警戒していた。
それだけに、些細なミスもないように事前調査も完璧だった。
しかしこうも簡単だとは。
むしろ,普段よりも幾分スムーズに,すべてがうまくいっていた。
精鋭と呼ばれた部隊は,二人にとってはまるで玩具だった。
「結構暴れたな」
「そうね,いつもより荒っぽかったかも」
いつもはこうも派手に建物を壊すことは殆どない。しかし今日はまるで跡形もなくなるほどだった。
「数が多いと飽きるのよね,じれったくて」
そういってイヴは背後の見晴らしのいい景色に視線をやった。
「そうだな、手応えのない弱い相手はやはりつまらない」
「もうちょっと期待してたのに,残念」
全くだ,とエルは同意を示した。が、少なくとも楽しくはあった。
手の中にはちゃんと美しい宝石があるし,何より隣にイヴがいるのだ,それだけでずいぶん違う。
彼女がいるだけで,エルの景色は変わるのだ。
「イヴ」
「なあに」
「二人で組んだのってさ,」
「そういえば、初めてね」
「うん」
二人きりの共同戦線だったこともまた,エルの心を躍らせていた。
密かにイヴに焦がれていた彼にとって,この仕事は願ってもない幸福であり,チャンスだった。
だからこそ派手にやったのかもしれない。必要のない目立つ戦闘は普段はしない主義だというのに。
名の知れた実力者であるエルも,強者である以前に一人の男だった。
「無事うまくいってよかった」
「ええ」
正直、こうも息が合うとは思っていなかった。
強者同士が組むということは即ち、個性のぶつかり合いだからだ。
エルの名が知れているのと同じぐらい,イヴもまた知られていた。
確かに、普段から何人かで一緒に動いたことはあった。
けれど,二人きり、は初めてだったのだ。
あまりにも息が合いすぎて、そんな気がしない。
お互いがお互いを,長年の相棒のように感じていた。
「私たち,向いてるのかも」
ふっと,イヴが微笑してそういって続ける。
「ねぇ、エル」
「なに?」
「なんだか,ずっと一緒にやってきたみたい」
こうもうまくいったのは,きっとエルと私だったからね。
穏やかな声音で、
そう言われるのは,単純に嬉しかった。
エルは彼女が嘘をつかないことはよくわかっていた。
なかなか感情を表に出さないことも。
彼自身もあまり感情を表にはださない。
似た者同士の考えていることはわかりやすいのだ。
だからこそ,エルは今彼女がほかに何か伝えようとしていることを察していた。
「私ね…」
次も、一緒に、そう言おうとしてイヴは少し口ごもった。
今まで見たエルから受ける印象は、“独りを好む”こと。
カリスマ性があり,利己的な個人主義者。
そんな彼に次も一緒に,などと,言っていいものか。
嫌われはしないだろうか。
見損なった,と吐き捨てられはしないだろうか。
考え出すともう,どうしようもなかった。
言うべきか,言わないべきか、ぐるぐると迷走する思考回路。
そんな仕様もないことで悩む程に,彼女もまた好きだったのだ。
「どうしたの」
そんな珍しい様子の彼女に,エルは愛おしさを感じていた。
何か言いたげな,戸惑いの色を浮かべてこちらを見つめるイヴは,いつもより幾分少女らしい。
なんとなく,伝えたいことが何かも,エルは察していた。
次も一緒にやろう,と言ってやろうと,イヴの言葉の続きを待っていた。
「あのね…,」
「うん」
しかし,その言葉は,あまりにも違う響きを持っていた。
柔らかく。
甘く。
溶けるような,声音。
「…一緒に組みたいの…!次も,その次も…」
…二人で。
瞬間,赤く染まる彼女の頬。
貫かれたように,エルの心臓は高鳴った。
その言葉自体,予想通りだったにせよ,エルにとって十分喜ばしいことだった。
やはり実力者であるイヴは,中々心を許さない。
そして,属さない。
エル同様に単独行動が殆どであるイヴだからこそ,“一緒に組みたい”の持つ意味は大きかった。
しかし,それだけではなかったのだ。
それは,意図せぬ予想外の響きを含んでいた。
彼女の声はあまりに甘くて,切なくて。
それは言外の想いを察するには十分すぎた。
イヴ自身,自分の声音に驚いているようだったから,本人も意図していなかったのだろう。
二人はあまりにも察しが良かった。普段から言葉の裏で会話をする程度には。
エルも,イヴも,言葉の意味そのものではなく,声や話し方,態度から感じ取る雰囲気全体を掴み取る能力に非常に優れているのだ。
だから,今の言葉は二人にとって全く違う意味を持ってしまった。
彼女の声音一つで。
エルは彼女の気持ちに気付き、
イヴは気づかれたことすらわかった。
そう,
二人にとってそれは,明白な「告白」だったのだ。
それも,想定外の。
イヴ自身告白する気など全くなかったので,かなり焦っていた。
それこそ,嫌われたのではないか。
エルの感情など全く知らないイヴは,とてつもなく逃げ出したい衝動に駆られていた。
しかし他方,ポーカーフェイスこそ崩さなかったが,エルも十分動揺していた。
なんせ,自分が密かに思いを寄せていた女性が,目の前で自分に,わかりやすく愛をみせているのだ。
真っ赤に愛らしく頬を染めて。
動揺,そして浮かれずにはいられなかった。
瓦礫と化した美術館、何百何千の息のない身体が横たっている中,
まるで似合わない優しい春の風が頬に触れたようだった。
「イヴ」
穏やかな声で,名前を呼ぶ。
うつむいていたイヴがおずおずと顔を上げた。
ほんのりとまだ顔は薄紅色で,淡く張った透明な涙で瞳は潤んでいる。
次の言葉を待つイヴの背はエルより幾分小さく,その表情は自然とエルを見上げる形になっている。
あぁ。
堪らなく愛しいな。
胸元を突き上げるように愛しさが溢れていく。
気づけば身体を引き寄せて,抱き締めていた。
「えっ…エル…?」
腕の中でイヴが戸惑う声が聴こえる。それすらももう愛しくてしかたがなかった。
彼女の気持ちがわかった今,もう何も密かに焦がれる必要などなくなっていて。
「好き」
驚くほどすんなりと,言葉は口から零れた。
心も不思議なほど穏やかだ。
吃驚してはっと顔を上げた彼女は,信じられない,と言いたげな表情をしていた。
「本当…?」
「ああ。」
彼女に優しく微笑みかける。
嘘じゃないとわかったようで,イヴはまたみるみる紅に染まっていった。
薄く張っていた涙が目尻に溢れて,透明な一筋が,零れた。
柔らかな,沈黙が流れる。
やがて,イヴが口を開いた。
「エル」
「うん、」
周りに転がっていた男たちは息絶えてきくこともできないだろうけれど,
それでもエルにしか聞こえないような大きさで。
「…………すき…」
やはり切なさを帯びた優しい声で告げ返した。
今度はエルが赤面する番だった。
胸の奥から愛しさが湧き上がった。
それから,そそられるような愛情が,衝動が激しく突き抜けて。
叶わないとばかり思っていた恋の成就を,ようやく実感したような気がした。
幸せだった。
「私ね」
「うん」
暫く幸せを噛みしめた後で,エルが口を開く。
「一目惚れだったの。ずっと好きだった」
「それは奇遇だな。実は俺もなんだ」
お互いに,嘘ではないとわかりあう。
「私の方が,きっと早いわ」
「それはどうかな?俺はずっと前から,見ていた」
「私だって!」
けれど,あなたが先に私を愛してくれていたのなら,それはそれで嬉しいものね。
二人は微笑みあう。
遠くから,サイレンの音が聞こえる。
「追手だ。ほら,きこえる?」
「当たり前。そろそろ行かなきゃね」
次第に音が近づいてくる。
これだけ盛大に暴れたのだ。かなりの数が追ってきていることだろう。
二人はこれ以上やるつもりはなかった。
「帰ろう」
「ええ」
盗み出した宝石が,きらきらとエルの手の中で輝いている。
イヴはその手に目をやって,それからエルを見上げる。
「……手,繋いでもいい?」
エルは何も答えなかった。
「帰り,どこかによって帰ろうか」
「ケーキが食べたい気分」
宝石はポケットの中。
絡めた指と指の間は優しい温もりで埋まって。
「仰せのままに」
長い甘い,蜜月が始まる予感がした。
Now wake up...