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1-4 加藤正則巡査部長は目撃する

 加藤正則かとうまさのりは、その時までこの世に正義というものはあると確信していた。

 別に正義は必ず勝つ、なんて言うつもりではない。

 ただ、自分のこれまでのそれほど長くない人生を一度振り返ると、今の自分自身を決めた方針、基準というものはあったと思うから。


 西暦2015年8月2日に生を受け、父母祖父母2人の兄と共に育つ。

 加藤姓なのに、正則という名はどうなのだ? という彼には意味のわからない疑問をたまに祖父がしていたが、無視してすくすくと育つ。

 そいて小学生の時に、地球全体に異常な量の宇宙線が降り注ぐ、後の世の『ラストレイン事件』を目撃。日本は特に放射量の多い地域であったが、特に健康被害も、電気機器への被害もなく、一般人には何が起きたのかわからないままうやむやになる。

 もちろん、彼だって覚えちゃいない。

 そして無事に九九も常用漢字も逆上がりもマスターし小学校を卒業し、地元の中学校に。13才から15才の間に身長が22cm延びる。

 義務教育を修了し、リニアモーターカー全盛のこの時代に、未だにパンタグラフで走る田舎電車で4駅越えた隣町の高校に通う。

 部活動は陸上部。長距離が得意だった。

 陸上を続けたくて、陸上部の盛んな (その上で、自分の学力でも入れる)地方大学を目指す。

 入学したのは、倍率の低い農学部。毎日日の出と共に研究圃場に出向く毎日。

 走っている時間よりも、土に触れる時間の方が長くなる。

 そして、進路を決める時、たまたま研究室の教授が公務員試験に強い人で、「マサ、お前警官にならんか?」と言ってくれたことが、結局のところの決め手だったのだと思う。

 流されるように、試験を受けた。学力も体力も平均を超える程度の能力はあった。

 面接で何を言ったのかは覚えていない。確か、毎日の圃場での研究を通して、実際に人と触れ合う仕事の中で、大勢の人の力になりたい心が芽生えたのようなことを言ったんだったか。


 訓練は辛かった。

 パワードスーツも、自動警邏ロボットもあるこの時代に、未だ毎朝五時から起きてランニングする生活に狂気を感じたことさえあった。

 食堂の飯が妙にうまいのだけは気に入った。

 元々の素質もあったのか、成績は上位で、仲間との付き合いもうまくできた。

 あとは、どこかの派出所にでも配属されて、それなりに治安を守れたらいいな、と思っていた。


 しかし、暇な時に受けた緊急自動車運転専科の試験に合格したのが、まずかった。

 交通機動隊への配属。

 訓練を超えた超訓練。きつい勤務。

 それでも、普通にこなしていった。

 西暦2030年代になっても、白バイのデザインは20世紀時代のものから変わらない。最早、完成されたデザインと言ってもいいだろう。

 電気バイクがガソリンエンジンよりも高出力、低コストとなった現在でも、その外見には根強い人気がある。

 ちょっとだけ、誇らしかった。


 そして、西暦2040年代が始まろうと言うのに、いまだに変わらぬ文化も存在した。

 合コンである。

 陸上、稲作、パトロールと青春を燃焼させてきた青年は、初めて同期から合コンに誘われた時に、カタブツという自分の評価を初めて知り、そして、恋人ができた。

 彼女は、市の保健センターに勤めている、保健士だった。

 彼はそこで初めて、この世に保健士という仕事があることを知った。最初の会話は「保健士って、看護士とどう違うの?」だったことを、彼は忘れたが、彼女の方は未だに覚えている。

 その頃、警察の中に、特殊な部署が設立されたことを聞いた。

 彼がまだ小学生ぐらいの頃に、日本を中心に、異常な量の宇宙線が降り注いだという事件。その後から、宇宙線の影響で妙な力を持った子どもたちが生まれているという都市伝説は昔からあったが、それがどうやら、実在するのだという話である。

 そして、そのような子どもたちによる犯罪を防ぐための部署が設立されたと言う噂である。


 ばかばかしい話である。

 自分が突然、その部署に召集されるまではそう思っていた。

 対テロ特殊急襲部隊を中心に選抜された20人の筋骨逞しい警察官。

 自分がそこにいるのが場違いにも思える空間で、その上官は言った。

「我々の目的は人間が怪物と化す可能性に備え、対処することである」

 今度はどんな訓練をさせられるのか、と思うと先が思いやられるが、その時は違った。


「今回の辞令は、拒否することも可能である。命を投げ打つことに、なるからだ。我々は戦ったことのないものに、立ち向かおうとしている。人の中より発生した人を超えた怪力の化物。死を覚悟し、彼らに対抗するための時間を稼ぐ、捨て石だからだ」


 何を言っているのか、わからなかった。そんなのこそ、自衛隊の出番ではないか、いや、そもそも。そんなものが本当にこの世にいるのか?

 与太話を聞かされているだけではないのだろか。

 おそらく、そこにいるであろう、全員がそんな顔をしていたのだろう。

 席につかされ、映像を見せられた。


「彼らの放出する電磁パルスの影響で、近接での映像はない。しかし、よく見て欲しい。これは、特撮ではない。実在の映像だ」


 5分ほどの断続的な映像。

 なんだろう。これは、白い壁、病院? いや、研究室か?

 そして、たくさんのコードがつながった、人? 

 なんだ? あれは? 人の形をした赤い物が、歩いている?

 そこで映像は途切れる。

 次は、燃え盛る建物を、遠景に映している。

 その中から、何かが出てくる。赤い……人、まさか、燃えているのか? いや、それにしては歩き方が普通だ。火が燃え移った人ではない。

 あれは、なんだ? 人が、赤く光っているのか? 衣服に発光ダイオードを仕込んだ着る電光掲示板は存在するが、あれはそんな発光ではない、あれは、

 あれは人なのか?

 そこで、映像は終わる。


 その後、おそらくその火災が沈下した後の跡地の写真を五枚ほど見せられた。


 両足首より上が、焼け溶けてなくなってしまった人。

 体が上半身と下半身に別れ、傷口は熱で焦げてわからなくなってる人。

 苦悶の表情を浮かべ、酸欠で死亡した人。

 強烈な熱で溶かしたように、穴が開いた壁。

 そして、どうやらその施設内で燃え尽きずに残った資料ファイルの残りらしい紙の残骸。判別できる文字は少ないが、『新造臓器の制御』『皮膚の赤熱』などという文字は判明できる。


「これは、一人の人間がやったことだ。そして、この人間は今も日本のどこかにいる。そして、このような力を持つ人間は、一人ではない。今はまだ隠ぺいされているが、我々はすでに彼らとの戦いを始めている。今、一人でも戦える人材が欲しい。ゆえに君たちは選ばれた」



 こんなものを見せられて、はいそうですかと訓練に頑張れるわけがなかったのだ。

 胡散臭いにも程がある。こんなものが現実なわけがない。

 そう思いつつも、彼の心の奥底では、そうもし魂というものがあるとしたら、それが「これは本当のことだ」と伝えていた。

 もしかしたら、それも宇宙線の影響かもしれない。



 どうやって家に帰ったのかは覚えていない。

 同棲を始めた恋人に、「今日は何の呼び出しだったの?」と訊かれ、なんと応えたかも覚えていない。

 衝撃に、心が対応できていないのだから。

 けれど、もっと衝撃的なことが、その夜には、起きた。

「あのさ。その、できちゃったみたいなのよ」

 こっちはそれどころじゃないんだよ、と言うのをかろうじて堪え、彼は彼女との結婚について考えなければならなくなった。その時の無反応ぶりを、未だに彼女は根深く覚えている。


 

 こうして、彼は妻子を持つ身となった。

 もう、辞令を断る十分過ぎるほどの理由である。

 けれど、けれど。

 今までの、それなりに充実した、多くの人々との触れあう日々の中で、たくましくまっすぐに育った加藤正則の中に、『それ』は十分に育ってしまっていた。


 もし、俺が今この任務を断れば、誰かが代わりに戦うんだ。

 誰かの恋人が、誰かの父親が。

 なら、俺が戦うのと、何が違うって言うんだ?


 彼は、まず実家の両親と先方の両親に挨拶に出向き、なんとか了解をもらうと、すぐさま役所に婚姻届を出し、その足で辞令受け取りの意思を示しに行った。


 日本国大沼県武装市盾町。


 そこに新しく設立される実戦を想定した、特殊部隊。

 以前より畿内に存在したという鎮圧部隊を元に、素質ある警察官を集め、最新鋭装備で武装し、あの異形の存在を鎮圧捕縛する部隊。


 

 新しく配属された部署の訓練は、さらに過酷であった。

 俺はマゾっ気でもあるんだろうか、といつも疑問に思っていた。

 一緒に配属された仲間の中には、訓練についていけず脱落するものもいた。

 それでも、彼は残った。

 西暦2044年12月31日。

 規定訓練期間を終えた時、生き残っていたのは14人。

 顔も名前も、血液型も生年月日も、好きなミュージシャンも家族構成も知り合う仲になっていた。

 特に同じ班になった黒田仁と福島忠雄とは、妙に気が合った。黒田からは「お前が正則っておかしくね?」と言われたが、彼にはやっぱり何のことかわからない。

 黒田には、妻と二人の息子がいるらしい。どうやら自分と同じ授かり婚 (死語だそうだ)らしいが、それもとても早く、上の子は小学校に上がっている。肌の赤黒い自分と同じで、色黒なのだと笑っていた。息子二人ともに、野球をやらせているそうだ。

「子どもはいいぞ。人生に張り合いが出てくる」

 口癖である。

 福島は、寡黙で自分のことを余り語らない。独身であることはわかるが、浮いた話一つでないというのは、どうなんだろうか。

 しかし、ある夜、こっそり教えてくれたことがある。

「離婚して、娘は元嫁の方についていった」

 20才になるまでは、俺が金送ってやらないと。せめて、大学くらいは行かしてやりたいからな。それだけを喋って、それ以上、自分の身の上については語らなかった。

 二人とも、大事な家族がいるのに、こんな危険な仕事によくも志願したものだ。

 それを言うと、二人ともこう返す。

「それならお前が一番信じられん。なんで新妻置いて、こんなところにいる?」

 それも、そうである。


 ただ、そう決断するものがあったのだ。それは、三人とも同じだ。

 月並みな言い方だが、守りたいからだ。

 あんなものが、もし自分の愛するものの前に現れたら。

 それが、怖い。

 だから、勇気を振り絞った。

 もし、その一連の感情に定義付けをするなら、それが正義と信じたからだ。


 正義は必ず勝つなんて、言うつもりはない。

 けれど、ここに正義は必ずあった。


 そんな仲間がいるから、踏ん張れる。

 そんな仲間がいるから、戦える。


 そんな毎日を過ごしていた、西暦2045年3月1日の加藤正則は、満ち足りていた。
















 西暦2045年4月1日。

 武装市盾町。

 市街地。

 

 足首を残して、黒田仁は焼け溶けてしまった。

 胴体を切断されて、福島忠雄は傷口から燃えていた。

 急行用の装甲車はひっくり消され、三人下敷きになった。

 隊長は、生き残った隊員に撤退命令を下した。

 それでも、種島班の小西が突っ込んでいった。あれは恐慌状態に陥っていたのだろう。奇声を上げながら、手に持つ一分間に80発の鉄球を打ち出す携行砲を乱射した。

 肺に穴が開いた種島班長が声にならない声で「馬鹿、やめろ!」と叫ぶのと、小西の体が薙ぎ払われるのは、同時だった。

 そんな中、生き残りの人数を冷静に数えている自分に驚いた。

 今、現場で生き残っているのは、俺と班長だけ。

 後方で待機している伊東班には、とてもじゃないが応援に来いと言えない。

 こんな、こんなもの、後4,5人来たくらいでどうにもならない。



 暗視透視機能もある電子ゴーグルはすでに投げ捨てた。『対象』の放つ電磁パルスで壊れてしまった。コーティングしているから大丈夫じゃなかったのか。

 それに、防護服は『対象』の前では意味をなさない。

 周りの熱気に、思わずヘルメットも脱いだ。


 

 そして、『対象』を肉眼で目視する。


 人の形。

 その肌が火色に輝いている。

 炎のような眩い輝きかと思えば、煮え滾る溶けた銅のような怖ろしさをも思わせる。

 その足の踏みしめた後は溶け、彼が腕で薙いだものは燃え尽きることから、高熱を宿していることはわかる。

 人なのか? 人の形をした別の何かではないのか?

 しかし、見える。その頭部に位置するところに貌がある。

 人の顔だ。

 貌の周りを湯気か蒸気なものが纏わりつき、よく見えないが、あれは人の顔だ。

 

 けれど、人にこのようなことができるのか?



 車両を軽々しく持ち上げ投げ飛ばし、人を引きちぎる怪力。

 自分達の放った銃弾を、鉄球を、難なく避ける速さ。

 

 それは確かに人ではない。


 けど、それ以前に。



 黒田には、息子がいるんだぞ? 明日、下の子が野球大会に出るんだ。


 福島には、娘さんがいるんだぞ? 来月、久しぶりに面会が許されるって。

 あの口数の少ないこいつが、嬉しそうに言ったばかりなんだぞ。


「加藤!」


 その声は、聞き慣れた、いつも自分達を叱咤してあまり激励しない、あの隊長の。


「俺が時間を稼ぐ。お前は逃げろ!」


 今日が、俺達の部隊の、初めての任務だったんだぞ?


 正直、出動の警報がなった時、震えたんだ。


 ついに、初めてお前たちと対峙するんだって。資料でしか見たことのないお前達と。


 知ってるか? 俺は今お前が対面している隊長が笑ってるところ、2回しか見たことないんだぞ?


 一回は、去年の忘年会で小西が女装してキスせまった時で、もう一回は今日、出動する前だ。初めて俺達を励ましてくれて……。


「お前は逃げろ! 命令だ! 頼む! 加藤お前だけでも」


 そう言って、隊長はあれに向かっていった。


 駄目だ、隊長。あれは、人間がどうにかできるものじゃない。


 『対象』が、動いた。


 動いた、というより、消えた。眼で追えなかった。


 銃弾より早く動くのだ、当然かもしれない。


 隊長が、目の前で、焼けていくのを見ているしかなかった。


 

 襟のジッパーを下ろした。


 暑い。



 喉が渇く。



 周辺の気温が、あがっているのがわかる。


 ちくしょう、あの電視ゴーグル、気温何度かわかる機能もついてたのに捨てちまった。ああ、元から壊れてたっけ。


 『対象』が隊長を打ち捨てると、こちらを見た。



 これが、敵。



 2020年代に、世界中に降り注いだ宇宙線が人間に与えた影響。

 新生児の中に、稀に特殊な臓器を持って生まれる子どもたちがいる。

 普段は活動しないが、ある日突然動き出すその臓器は、生物には考えられない超高熱を発生するようになる。

 そのまま自身の肉体を滅ぼしかねない熱を、その臓器を帯びた子どもたちは自らのものとし、運動エネルギーに変換する。熱をエネルギーに変換するなどという技術は今の時代にもないが、彼らの代謝系はそれを可能にする。


 ゆえに、怪力と神速、そして灼熱の皮膚を持った超生物が生まれる。



 そして、運動時に周りの水分を蒸発させ、無量の水蒸気を纏うその怪物は、通称としてこの仇名を付けられた。




 水蒸鬼スチームオーガ




 初めて、見た。


 加藤正則は、動かねばならなかった。

 隊長は逃げろと命令した。だから逃げなければならなかった。

 けれど、脳のもう一つの部分はある事実に気付いていた。

 この突発的な市街戦。

 後ろを見る余裕はないが、まだ、逃げ遅れた人が大勢いる。

 なら、彼らを守ることが。

 守ることが叶わなくても、逃げる時間を稼ぐくらいのことは。


 『対象』がゆっくりと近づいてい来る。

 とにかく行動だ。行動しなければ。


 けれど、さっきから足が動かない。


 いや、外傷はない。実は足がなくなっているなんてオチはない。


 ただ、怖くて動けないのだ。


 恐ろしくて動けないのだ。



 あれほど、訓練してきたのに。

 あれほど、決意したのに。


 何故か、子供の頃を思い出す。

 あんなに走った陸上なのに、足が動かない。

 何故先生は俺に警官になれと言ったんだ?

 加奈子。生まれるのが男なのか女なのかそろそろわかるんだよな。

 仁。忠雄さん。子どもがいない俺には、わからないよ。

 なんで、俺達は、あの時こんな仕事を選んだんだろう。

 俺がやらなければ、誰かが。

 誰かがやってくれるなら、それでよかったじゃないか。

 隊長、俺が時間を稼ぐからって、そんなヒーローみたいなこと言うガラかよ。

 ちくしょう、ちくしょう。


 俺、恰好悪いなあ


 『対象』が、座り込む加藤正則の目の前に立った。

 見上げる。

 そこに貌がある。

 なんだこいつ。

 何を笑っている。俺を見下して、そんなに面白いのかよ。

 ちくしょう。

 ちくしょう。


 正義は必ず勝つなんて、言うつもりはない。

 ただ、彼は己の正しいと思う基準があって、今ここにいて。

 その当然の結果として、ただ、彼の命は。


 『対象』が、正則の顔を掴もうとする。

「嫌だ、嫌だ」

 声が、震えている。

 まだ触れてもいないのに、熱気がわかる。

 その真っ赤な掌が、自分の視界全てを包んで、そして……。














「させるかボケェ!」


 水蒸鬼が、宙を舞った。

 

 何が起きたのだろうか。眼前の全てから現実感が喪失して、ただ見ているしかできない。


 最初に見えたのは、髪の毛。

 腰まで伸びた、炎を溶かし編み込んだような、紅蓮の髪。 


 次に気付いたのはその拳。

 強く、強く、何よりも強く握りしめられた赤銅色の指の隙間から、赤色を含んだ蒸気が噴き出している。


 次にわかったのは、その外見。

 少女である。その華奢な体つき、横顔。年頃の少女のそれ。ああ、忠雄さんあなたの娘さんも、あと10年もしたらこうなるんだろうな。


 しかし、この光景は何だ?


 町を破壊し、すべてを壊す赤い怪物。

 それに命を奪われんとした自分とそれの間に彼女は割って入り、肘鉄を喰らわせた。


『対象』が、地面に倒れ伏す。


 何が起きた。



 その時、いつしか自分達を集めたあの上官の言葉を思い出す。


「今回の辞令は、拒否することも可能である。命を投げ打つことに、なるからだ。我々は戦ったことのないものに、立ち向かおうとしている。人の中より発生した人を超えた怪力の化物。死を覚悟し、彼らに対抗するための時間を稼ぐ、捨て石だからだ」


 対抗するための時間を稼ぐ。時間を稼いで、その後どうするんだ?

 


 ……対策が、あるということなのか。



 なら、目の前の、この、『彼女』が?




 その時、少女の体から、一斉に蒸気が噴き出す。

 髪の間、服の裾、体中の気孔から。


「まったく、無茶をする。強制排熱が始まるほど無理して急行して」


 別の声。ただ反射的に、声の方を向く。


 その男にはくたびれた中年、という印象を持った。


 痩せぎすで、無精ひげ、なんとも覇気のない目をした、中年の男。


 中年は、おそらく少女の名を呼んだ。


赤神氷見子あかがみ ひみこ


 少女は振り返る。


 髪も、肌も、その吐息さえ赤い少女は、中年男に声をかける。


じゅうさん。この後、私はどうすればいい。私の任務って何なの」


 その声までもが、燃えたぎる程に、熱く感じられた。


 けれど、何よりも、その瞳。怒りに燃えるぎらぎらとした瞳は、睨むように中年を見る。


 男はため息を一つ、その後、未だ動けずにいる正則に肩を貸す。


 触れ合って、初めて気付いた。


 中年の男の体が震えていることに。

 それがどういう感情の吐露なのかは、判断がつかない。

 ただ、これから2週間こん睡状態に陥ることになる正則の心に、その声はずっと響いた。


「目の前のタコをぶちのめせ。二度と悪巧みなぞできんように、徹底的にだ。この人達が稼いでくれた時間が、守ったものに……、これ以上犠牲を出させるな」


 それは、この熱気あふれる異界と化したこの空間で、最も熱量を含んだ言葉であった。


 『対象』が、やっと起き上がった。初めてのダメージ。


 そこで悟る。


 確かに繋いだのだと。


 自分の約30年の人生。

 仲間たちとの5年近い訓練。

 膨大な総量の人生。


 たっだ1時間程度ですりつぶされる程度の足止めだったが。

 それでも、次が間に合うだけの時間を作れたのだ。


 何もかもは無駄じゃなくて。



 俺の、



 俺達の、正義は




「いくよ……」


 少女の駆け出す音を聞いて、加藤正則は意識を失った。

 

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