第2話 僕から俺へ
夢を見た。
ずっと水中に潜らされていた俺が水面に飛び出すのだ。
入れ替わりに誰かが、水中深くまで沈んでいく。
顔は見えないが、どこか俺に似ていると思えた。
その誰かは、申し訳なさそうに「すまない。僕の代わりに生きてくれ……」と言う。
俺が何か言う前に、そいつは泡となって消えてしまった。
そこで夢は終わり、はっと目覚める。
「……ここは?」
体全体がけだるく、廊下に突っ伏している。
どうやら、あのまま倒れこんでしまったらしい。
最高級の絨毯が敷かれた廊下は、このまま泥のように寝ても快適に過ごせるだろう。
とはいえ、このままという訳にもいかない。
起き上がって、ズキズキと痛む頭を振るう。
すると、頭痛とともに今までのことを思い出す。
勇者。愛する彼女たち。裏切り。
――絶望――
そして、おっさんになった自分。
「うん!?」
あれ?
なんかおかしいぞ?
もう一度、振り返って思い出そう。
俺は勇者にハーレムメンバーを寝取られた。
廊下からその現場を見て、あまりのショックにその場に倒れたんだ。
うん。ちゃんと記憶通りだ。
それで、今目覚めたばかりの俺になぜおっさんの記憶が?
……というか、俺の一人称って僕じゃなかったっけ?
――ズキン――
「うぐっ」
これまでよりひと際ひどい頭痛がした。
同時に、あらゆることを思い出す。
俺が前世では、地球の日本という場所の四十台の冴えないおっさんだったこと。
いい年して独り身で会社でも窓際族で肩身が狭かったこと。
そして、ヤケ酒をして飲酒運転をしていたら路肩に突っ込んで事故を起こしてしまったこと。
すべて思い出した。
記憶の中のおっさんは、前世の俺だ。
多分あの事故で俺は助からなかったのだろう。それで今世の僕として新しく生まれ変わったのではないだろうか。
そして、今世の僕のショックな出来事をきっかけに、前世の俺というおっさんの記憶を思い出したのだろう。
二つの異なる記憶と若い肉体。
僕の時の記憶が、ここは俺がいた世界じゃないと教えてくれる。
聞いたこともない国の名前や魔法仕様の扉なんて、俺の方の記憶にはないはずだ。
となると、まったく別の世界に転生したのだろう。
いわゆる、異世界転生ってやつだな。
だが、一つ疑問に思えることがある。
この体の本来の持ち主である今世の僕は、どうなってしまったのだろうか。
今世の知識や記憶はあるのだが、そこに付随する僕の意思や感情、思い出となるものがない。
一つの体に二つの意思が宿っているのかと考えたが、どうも僕の方の反応が見られない。
俺オンリーだ。
よし。
もう一回、僕だった時の最後の記憶を思い出そう。
目の前の光景にショックを受ける僕。
めまいや頭痛がして体調が悪くなる。
それはどんどん悪化する。
心と頭の中がぐちゃぐちゃになり、呼吸ができなくなる。
最後に、胸の痛みを訴えながら倒れた僕。
……うん。なんて言えばいいのだろうか。
記憶の中の僕の状態はマトモじゃない。ショックを受けすぎだろう。
今世の僕ってのは、メンタル弱すぎだな。
それこそ、そのまま精神が壊れてしまったんじゃないかと考えてしまうぐらいだ。
だけど、そう考えると最後の僕の状態と俺が見た夢の誰かの説明がつく。
あの夢の誰かは今世の僕だったのではないだろうか。
多分、今世の僕はあまりの出来事に心が死んでしまったのだろう。
その代わりに、前世の俺が蘇ったのではないか?
それなら夢で聞いた誰かの言葉の意味も理解できる。
まあ、しょせん俺の想像でしかないこじ付けだが、現に、今世の僕の存在は感じられない。
だったら、また生きられるのだ。
夢の中の僕って奴の言葉通りに、代わりに生きてやろうじゃないか。
前世の俺は、死ぬまでうだつの上がらない男だった。
人生をやり直したいと思ったことなんて星の数ほどだ。
それが実現したんだ。
そんな折角のチャンスを逃すはずがない。
だがこれからの人生、僕として生きるのなんて真っ平御免だ。
俺は、この新しい人生を俺として生きる。
そう決心した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
決意を固めた俺が早速行ったのは、未だ開いている勇者の部屋をのぞくことだった。
意識を失っている時間が短かったようで、廊下の窓から見える景色は暗い夜空のままだ。
あれから時間がそう経っていないなら、まだ室内に四人ともいるはずだ。
俺は確かめなければならない。
これから俺として生きていくのに、僕の想いがあっては邪魔になるだけだ。
亡霊のように僕だった時の想いや記憶が、俺の足枷になるならどうにかしなければならない。
まあ、僕の時の記憶通りならそんな心配なんかいらないんだがな……。
俺が中をのぞくと、やはり勇者と元ハーレムメンバーの四人がいた。
しかも、ハッスル中らしい。
だが俺は、僕のようにその光景を見ても絶望も悲しみも感じなかった。
そのことに心底安心したが、同時に、当然だなとも思った。
なぜなら、俺の視線の先には化け物の饗宴と呼ぶべき光景が広がっていたからだ。
「勇者のジョブは流石だな!お前らみたいな綺麗どころを三人同時に相手しても疲れ知らずだぜっ!」
まず目に付いたのは、ガリガリに痩せ細った男。おそらく勇者だろう。皮膚が骨に密着し、その皮膚すらシミだらけだ。げっそりした顔の落ちくぼんだ眼窩には黒々とした目が収まっている。さながら、骸骨やミイラのような男がベッドに死んだように横たわっていた。
そう言う勇者に覆いかぶさる筋肉の塊は、許嫁のローザだろうか。二メートルを超すボディービルダーのような黒光りする体格だが、体中の血管が浮き出るほど凝縮された筋肉の塊と、ゴーレムかと錯覚するほど厳つく角ばった顔は、生々しさと無機質さを併せ持つ恐ろしい女だった。
「ぬふふぅ。勇者殿の美しさには敵いませんわ〜」
「ギョギョギョ!ローザ様の仰る通りですね」
隙を見てキスしようと勇者の顔に近づくのは、死んだ魚のようなギョロ目と顔全体が前に突き出たシャーロットだろう。半漁人にしか見えない顔と、なぜか近づくと生臭い体臭のするメイドだ。
「うちは、勇者様の絞り切った無駄のない体が好きだよ!」
残る獣人族のライラは、勇者にすり寄って甘えている。獣耳と尻尾以外は人間族にそっくりの獣人族だが、ライラは耳毛や鼻毛や顎ひげ、果ては胸毛や腕にまでゴワゴワとした剛毛を生やす毛深い少女だ。もふもふなんて一切せず、じょりじょりゴワゴワした毛の獣娘だ。
そんな四人が互いを貪り合うように蠢いている。
見ているだけで悪寒と吐き気がする。
「おえっ。これ以上は見てられんな」
あんなクリーチャーたちに執心していた僕の気がしれない。
だがその分、俺が俺のままでいられる証明としてうれしく思えた。
これで消えた僕の影に脅えることなく、俺の好きなようにやっていけると確信を持てた。
それに一つ確認も取れた。
俺は考えをまとめるため、扉をそっと閉めて自室へと向かった。
自室に戻った俺は、現在の自分が置かれている状況と、今後の身の振り方を考える。
幸い、僕の方の記憶と参考になる書物が部屋に多くあるため、情報には事欠かない。
まずこの世界についてだが、二つの特徴がある。
一つは、ジョブやスキルというゲームのような要素があるらしく、結構重要視されるものらしい。
ヒト種を総称する人間族やエルフ族、ドワーフ族や獣人族などが、唯一神から等しく授けられるものがジョブである。
10歳になる子供は、唯一神を崇める教会で祝福を受けると神からジョブが与えられるのだ。ジョブには、騎士や農民など多種多様な種類があり、ジョブの有無や優劣の差は大きい。
職業スキルというそのジョブでしか使えないスキルの存在が特長的だな。他にも、戦士や魔法職なら気や魔力が扱えるようになったりと、そのジョブに合った恩恵が与えられる。
戦闘職のジョブがあるだけで、手も足も出なかった魔物を簡単に屠れるようになるのだ。農民などの非戦闘職のジョブでも、作物を早く美味しく作れるなど、ジョブの有無は大事だ。
また、一度与えられたジョブは基本は変えることはできないが、魔物を倒して経験を積んだりスキルを使い続けることで、その過程に見合った進化をする。信仰心の厚い騎士が聖騎士になったり、精霊魔法をよく使う魔法使いが精霊術士になるのだ。
これだけ見るとジョブが素晴らしいものに思えるが、そんな生易しいものではない。
ジョブは、下位・中位・上位・最上位のクラスごとに分別される。
先程の例なら、中位クラスの騎士が上位クラスの聖騎士に進化したことになる。
しかし、ジョブ進化は並大抵のことでは起こらない。本人の資質にも関係するらしいが、半生をかけてやっと進化する場合もあるらしい。
一番ひどいのが、下位クラスのジョブを神から与えられた場合だ。
下位クラスは不遇のジョブクラスとして皆から嫌われている。下位クラスは、見習いクラスと揶揄されるほど、そのほとんどのジョブは見習い騎士や見習い魔法使いといった『見習い』系統のものばかりだからだ。
何がダメなのかというと、ジョブの恩恵がほとんどなく、職業スキルの効果もスズメの涙ほどで、ジョブなしの時と変わらないと言われるほどである。
要は、下位クラスの人間は使えない人材なのだ。
ジョブが重要視される世界において、下位クラスのジョブ持ちは立場が低い。
ただでさえジョブ進化が難しいのに、下位クラスのジョブ進化はさらに絶望的なのだ。しかも、やっとジョブ進化できても一般的な中位クラスになるだけだ。かかる時間と苦労は推して知るべしである。
つまり何が言いたいかというと、10歳の時に神から与えられるジョブとクラスで人生が決まると言っても過言ではないのだ。
なぜこんなにもジョブについて語ったかというと、この世界のもう一つの特徴に関係するからだ。
この世界の男女の美醜はあべこべである。
これは記憶や書物だけではなく、先ほどの勇者たちの件からも確認が取れたことだ。
つまり前世の地球で不細工だったり醜いとされる男女が、この世界だと超絶美形な者たちとして扱われているのだ。
逆に、前世のイケメンや美少女といった者たちは、この世界だとヒエラルキーの最下層にいる。それだけこの世界では醜いとされているのだ。
だから勇者たちはあれほど互いのことを美しいと褒めちぎっていたのだ。今世の僕も、あべこべの価値観を持っていたらしく元ハーレムメンバーを可愛いと思っていたようだ。
どうやら勇者本人も男女の美醜があべこべな世界から召喚されたらしいな。何の問題なくこの世界に溶け込んでいるし……。
だが俺は前世の価値観をもったままのようだ。僕の時は可愛いと思っていた元ハーレムメンバーが化け物にしか見えなかったからである。
正直、あんなクリーチャー達を可愛く思えたらどうしようかとビビッていたが、取り越し苦労だったな。
というか、僕にはかわいそうだが、俺としては勇者にアイツらを寝取られて万々歳だ。
そうそう。
面白いのが、美醜だけ逆転しただけで男女の扱いは前世と同じということだ。男は男らしいままで、女は女らしいままなのだ。定番の男女の価値観や立場は逆転していないようだ。
それに男女の美醜はあべこべなのに、絵画などの美術品は前世と同じ価値観を持っているのだ。部屋に飾ってある写実的な絵画は、前世の美術館の絵画と比べても遜色がない。
なぜ人の美醜だけあべこべなのか?
それはジョブの存在が大きく関わっている。
神から与えられるジョブには、ある傾向がみられるのだ。
前世における不細工な者ほど上位クラスのジョブを得る傾向が強く、反対に美形な者ほど下位クラスのジョブを与えられるのだった。
この世界は魔物や魔王までいる危険な世界だ。
力ある者が優遇されるのは当然の摂理。
はるか昔からジョブの力で強者の立場にあった不細工が次第に優遇されるようになり、その結果、不細工であることが尊ばれるようになり美形なものほど貶されるようになったのだ。
そうして、男女の美醜があべこべな世界が成り立ったのである。
はたして、俺はこの異世界でどう生きていけばいいのか。
一抹の不安を抱えながらも、鏡に映る豚のようにつぶれた顔を見てため息をつく俺だった。