天使のはしご
「なぁ、お前『天使のはしご』って知ってるか?」
「ん?ああ、薄明光線だろ?太陽が雲に隠れているとき、雲の切れ目あるいは端から光が漏れ、光線の柱が放射状に地上へ降り注いで見えるヤツ」
「ちょ、詳し過ぎだろ。お前は電子辞書か。……つーかちげーよ、そっちじゃなくてさ」
「そっちって……これ以外にも何かあんのかよ」
「あ、お前知らないのか?知らないんだな?じゃあ俺が説明してやるよ!」
「あー、はいはい、聞いてやるよ」
「あのなぁ、『天使のはしご』っつーのは、ある都市伝説の名称なんだけどよぉ」
「はぁ?都市伝説ぅ?」
「死んだ人がそのハシゴから降りてきて、俺たちの前に現れるらしい」
「……ベタだな」
「いやいやでもマジらしいんだよ。この間も六組の月森が死んだじーちゃんに会ったらしくてさぁ」
「ふーん。つーか、それよりもお前、テスト近いぜ?都市伝説は良いから勉強しろよ」
「あー、せっかく忘れてたのにー」
×××
……という会話をクラスメイトの立木としたのは今から一週間前のことである。俺は確かテストが終わった解放感に浸りながら、俺の城である『ハイツ中崎』の三階にある三○二号室のドアを開けたはずだ。はずなのだ。
「あ、おかえりー」
何で見知らぬ男が我が家でくつろいでいるのだろうか。再びドアを閉め、部屋番号を確認する。三○二号室。うん、あってる。部屋を間違えているわけではないようだ。じゃあさっきのはきっと白昼夢かなんかなんだろう。テスト明けで疲れているんだ。そうだそうに違いない。
そうして、俺は再びドアを開けた。
「どうしたんだよー、開けたり閉めたりしてさぁ」
やっぱり、いた。
この男(大学生ぐらいか?)はどっからどう見ても知らない人だ。それに今朝はしっかりと鍵を掛けて学校に行ったはずなのだ。もし誰かが何らかの方法で俺の家に侵入したとしても、こんなに堂々と、まるで自分の家のようにゆったりとするだろうか。
俺は意を決して、見知らぬ男に話しかけてみることした。
「あのー、どちら様で……」
「ああ、僕?……んー、なんと説明すべきか……」
男は頭を抱え、唸りながら考え込んでいる。
空き巣でーす、なんて言われてしまったらどうしよう。……いや、そんなアホみたいな空き巣はいないか。それにもし、この男が空き巣なら、おれが帰ってきた時点でもっとあわてているだろう。不法侵入をした癖に、この男は妙に落ち着いている。……もしかして、俺を殺そうと目論む通り魔的存在……!
「……あのさ、じつは僕、この部屋で死んだ幽霊なんだよね」
男は困った様に笑いながら、俺にそう告げた。
×××
【幽霊】ゆう―れい
死者が成仏できないで、この世に姿を現すというもの。亡霊。
「……え、幽霊?」
「いえーす!ざっつらいと!」
男はにこやかに笑い、親指をグッと立てる。幽霊らしさは微塵も感じられない。……本当に幽霊なのか?
「僕が死んだのは、丁度今から十年前の今日だ。まぁ、ぼんやりとしか覚えてないんだけど…。確か、僕はいつものように大学をサボって昼ご飯を作っていたんだ。そこの台所でね」
そこまで語ると、男は台所を指差した。俺とは違い、毎日しっかりと自炊をしていたらしい。
「……でも、そこで悲劇は起こったんだ。ガスコンロをつけた瞬間、僕は火に包まれたよ。ガスが漏れていてそれに引火したのか、それともガスコンロ自体が爆発したのか、そのへんはよく分からないけど……」
爆発という単語を聞いて、俺はゾッとする。ただでさえ積極的では無かった自炊だが、これから先もすることは無いだろうな、と考えてしまった。そんな俺を察したのか、男がフォローを入れるように付け加える。
「大丈夫だって。僕が最終的に死んだのは、搬送先の病院だったし」
そういう問題じゃねぇ
「……兎に角、僕が死んでしまったのは変えようのない事実なんだ。天国の記憶はほとんど無いけど、何らかの未練があって、あの『はしご』を下りて来たんだよね」
「現世にやり残したことがあるってことか?」
「多分、そうだと思う」
この男の話で、今まで謎だったこと(台所にある不自然な焦げ跡や、あり得ないほど安かった家賃、大家さんの申し訳なさそうな視線)がはっきりした。男の言っていることに矛盾点はない。
この男は、本当に、ここで死んでしまったのだ。
十年もの間、成仏も満足にできず、未練も果たせず、独り現世に思いを馳せていたのだろうか。
「……じゃあ、その、やり残したことって?」
「それについて、君にたのみたいことがあるんだけど」
「え、」嫌な予感しかしない。
「そのやり残したことが何なのか全く思い出せないんだよねー。ちょっと僕が成仏するために協力してくれない?筧 悠斗くん」
「はぁ?なんで俺が……。つーか俺の名前、」
「ふふーん。幽霊はなんでも知ってるのだ」
「……表札、見ただけだろ」
「まぁ、そうなんだけどね」
こうして俺と幽霊の奇妙な共同生活が始まった。
……とりあえず、人生の先輩であるこの男を敬意と皮肉をこめて『先輩』と呼ぼうと決めた。
×××
【未練】み―れん
執着が残って、あきらめきれないこと。
こうして、なんやかんやで先輩がうちに来てから早三週間が経過した。正直、食費が二人分かかるのは痛いが(先輩は幽霊の癖に飯を食う)、俺が学校に行っている間に家事をしてくれるのはありがたかった(自分が死んだ原因であるガスコンロを、なんの躊躇いもなく使えるのは立派だと思う)。
因みに、先輩は暗くなると幽霊度が増すらしく、夜になったり雨の日はよく半透明になっている。本当に、先輩は、正真正銘の幽霊なのだ。
そして、俺たちはこの三週間の間、先輩のやり残したことを見つけるために、ありとあらゆることを試した。ある時は遊園地へ繰り出し、別の日は漫画喫茶で好きなだけ漫画を読ませた。また別の日には高いステーキを食べ、終いにはケーキバイキングへ男二人で行ったりした。
しかし、それでも先輩は成仏しなかったのだ。
「なぁ、先輩、まだ思い出せないのか?」
正直にいうと、俺の限界が確実に近づいていた。主に経済面で、だ。
「悠斗くんには悪いんだけど、まだはっきりとは……」
生前や死んだ直後の記憶はなかなか戻らないものらしい。しかし、やれることは大体やったような気がしないでもないのだが。新しく考えている案も出尽くした感が否めない。
「先輩は、どっか行きたいとこ、ないの?」
「行きたいところ、か……」
そう言って、先輩は考え込む。たっぷり六十秒悩み、先輩が口を開いた。
「……君の通ってる高校に、行ってみたいな」
「あー、高校かー」その発想は無かった。
……だがしかし、そう簡単に一般人が高校にホイホイ入れるのだろうか。しかもうちの学校は私立だ。そんな、ラノベじゃあるまいし入れる訳が……
「あ、」
「え、何?」
「そうだ」
明日は文化祭だ。
×××
「うわー、他校の文化祭なんて生まれて始めて行くから緊張するよー」
「もうお前死んでるけどね」
曇り空のなか、俺たちは通学路をてくてく歩いていた。人が少ない時間帯に行きたいと先輩が言うので、比較的早い時間に家を出た。ほとんどいつもの登校時間と変わっていないのが不本意だがしかたない。
「あ、そうだ。悠斗くんのクラスは何をやるの?」
「はあ?何が?」
「クラスの出し物だよ。喫茶店とかなんかあるでしょ?」
「あー、たしか、三組と合同で『お化け迷路』だったと思う」
「お化け迷路?お化け屋敷じゃなくて?」
「お化け屋敷と迷路が一緒になってる感じだな。体育館貸しきりでやるから結構本格的だぜ?」
「ふーん」
学校に到着したので、校門をくぐり体育館へ向かう。やっぱり時間が早かったらしく、学校関係者以外は入場不可になっていた。先輩は俺と一緒にいるから特に問題は無いだろう。
「……あれ、おかしいな」
「ん?どうかした?」
もう、あと十分もしないうちに一般客が来るのに、体育館の入り口にはなんの飾りつけもされていない。あるとしたら、扉に張られている『準備中』の紙だけだ。
「準備中?あ、悠斗くんは手伝わなくていいの?」
「いや、俺は別に……。来るつもりも無かったし」
準備中の紙を無視して扉を開ける。中に入ると、そこは『お化け迷路』ではなく、中途半端に飾りつけされた『お化け屋敷(仮)』だった。
「もしかしてここって、明日公開だったりするの?」
今日は開いてなかったかな、と先輩が俺に尋ねる。
「いや、今日からだったはずなんだけど」
しかし、明らかに準備が終わっていない。これは間に合うのか?
「おおっ!来てくれたのか、筧!」
どうするべきか分からず入り口付近で突っ立っていると、中から声をかけられた。クラスメイトの立木だ。
「ちょうどよかった、手伝ってくれ!とにかく人手が足りねえんだよ」
「係の奴はどうした」
「みんな寝坊だとさ。ぜってーめんどかっただけだろー…っと、筧、この人は誰だ?」
立木はようやく先輩の存在に気づいたらしい。説明が非常に面倒なことになるので、この学校のOBだ、と捏造しておくことにした。どうせ何と説明したとしても、こいつのことだからすぐに忘れるだろう。立木はちょっぴりお馬鹿さんなのだ。
「とにかく!中に入って準備を手伝ってくれよ!時間がやべーから!」
「あ、あの、僕も手伝っていいですか」
先輩がおずおずと手を上げながら発言をした。正直、こんなことを言い出すのは予想外だったので驚いてしまう。先輩のことだから、一人で他のところを回ると思ったのだ。
「ああ、もちろんっすよ!ぜひ手伝ってください!」
こうして俺達は約三十分間、地味に辛い作業を行った。俺にとっては非常にめんどくさいだけだったのだが、作業の間中、先輩はとても楽しそうだった。
×××
「いやあ!実に楽しかったね、悠斗くん!」
「そうか?俺はそうとは思わなかったけど……」
結局あの後も、俺達はお化け迷路のスタッフとして働き詰めだった。何が楽しかったのか知らないが、先輩が自ら希望したのだ。流石にこれだけじゃここまで来た意味がないような気がする。買い物くらいしようぜ。
「え?買い物?なんか買ってくれるの?」
「あー、まぁ、千円以内なら……」
「じゃあ、あれ、あれ買ってよ」
先輩が指差したのは、園芸部が売っている、植木鉢に植えられた小さなサボテンだった。
「なんでサボテンをチョイスした!?」
「昔サボテン飼ってたんだよ!ここで出会うなんて運命だと思う!」
「サボテンとか育てんの面倒だろ?」
「僕が育てるから!ねえ、買ってよお母さん!」
「俺はお前のお母さんじゃねえ!」
しかし、買ってやると言ったのは自分だ。買わないわけにはいかないだろう。俺は並べてある鉢から、元気そうなサボテン(と言っても違いは分からないが……)を選んで買った。六百八十円。地味に高い。
「ちゃんと育てるんだぞ」
「うん、分かった」
空を覆う厚い雲は黒く、遠くから雷の音が聞こえている。
夕立が来るかもしれない。
×××
【後悔】こう―かい
すでにすんでしまった事柄について、あのときすればよかったと悔やむこと
「あー、傘持っていけばよかったなー」
サボテンを買った後、雨が降りそうだったので急いで帰宅したのだが、間に合わずにわずかだが雨にぬれてしまった。仕様が無いのでタンスからタオルを引っ張り出す。
「先輩もタオル使うだろ?」
返事が無い。先輩はカーテンを掴み、窓の外をじっと見つめている。
「どうしたんだよ」
「思い出したんだ」
「……何を」
「ついさっき、窓の外を見たら、思い出した。全てのことだ」
先輩の声は弱弱しく、いつもの能天気さは感じられなかった。
「僕は、事故で死んだんじゃない」
雨が一層強くなり、雨粒が地面にぶつかる音がよく聞こえた。
「自殺だったんだ」
「どういう、意味だ?」
「僕は……僕は、友達がいなかった。友達だけじゃない。信頼できる生き物が存在していなかったんだ。毎日、この世の全てを呪ったよ。だって、楽しいことが一つも無かったからね。それである日、もう死んでしまおうと思ったんだ。一番手っ取り早い、ガス中毒でね。」
「でも、それだと」
「そう、失敗したんだ。ガスじゃなかなか死ねないみたいなんだけど、知らなかったなあ。それで、紅茶でも飲んだ後に首を吊ろうと思って火を着けたら、ドーンだ。馬鹿みたいだろ?ははは」
窓を見つめる先輩の顔は見えない。
「僕はただ、友達が欲しかっただけなのかもしれないね。一緒に仲良く遊んだり、中身のない会話で笑いあったり……そんな普通の、友達が……」
雨の音が小さくなってきた。もうすぐ、雨が上がるだろう。
「ごめん、君にはいろいろ迷惑をかけた。でも楽しかったよ。……成仏することなんてすっかり忘れていたんだ。それくらい、楽しかった。」
先輩は振り返って俺の顔を見る。
「十年目に会えたのが、君でよかった」
雨の音が消えて、暗かった空が徐々に明るくなってきた。雲が割れて光が差し込む。
「さよなら、ありがとう」
そう言って先輩はぎこちなく微笑んだ。今までの先輩とは全く違う、不器用な笑顔だった。生前の彼は、このようにしか笑えなかったのかもしれない。そんなことを考え、一度だけ瞬きをした直後、先輩は消えてしまっていた。
思わず名前を呼ぼうとして息を吸ったが、それを声にする前に飲み込んだ。俺は先輩の名前を知らないのだ。
「サボテン、自分で育てるって、言ってた癖になあ……」
窓の外を見ると、空から下りている天使のはしごが、水溜りをきらきらと照らしていた。
軽い文体にチャレンジ