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月明かり

ゴデットガレにとって冬の山の色といえばホワイトだ。雪が降れば、岩山はホワイトとの美しいグラデーションができる。

それに比べてこの町の山はどうだ。冬だというのに緑色をしている。常緑樹で雪もあまりつもらないのか。荒削りで角張った山々とは対照的に猫背のような丸まった形をしている。とゴデットガレは地形の違いに驚いていた。

精霊の宿ると言われる伝説の池があると聞いたゴデットガレは、先ほどその池を一目見てこの池の水が地下深くまで澄んでいるのがよく理解できた。

その池の近くに精霊使いがいるとのうわさを聞き、とある秘めた思いを持って私は郷里から遠く離れたこの地にまで足をのばすことなった。

その精霊使いの住処は池からは思いのほか近かった。水際をゆっくりと歩き、池を通り過ぎる。一度下り坂をおりて大きなカーブを曲がると、目の前に現れたのが「陰君子」という名の屋敷だった。

少しばかり上り坂を登ると大きな鉄扉がそびえ立っていた。脇に屋敷の名がしたためられた木製の大きな表札が出迎えた。私は意を決して居住まいをただし、重い扉を叩いた。


この屋敷の主人は、タンシーニントレイという名の女であった。本当にこの女が精霊使いなのかとゴデットガレはいぶかしんだ。


「氷ちょうだい」


袴を履いた花魁といった第一印象である。艶やかな赤い布地にはダイナミックな千花模様が施してある。



「ねえ、お願いだから、氷ちょうだいよ」


ゴデットガレは、上がりかまちに腰掛けている女に懇願する。


女は吸いがらを灰入れに捨てると


「なにさ」


とつぶやいた。



「どうしても氷が必要なんだ。あなたの持ってる氷を分けてほしいな」




女主人はこちらに向き直りゴデットガレの顔をのぞき込むようにして


「何に使うのさ?」


といった。


「彫刻を作りたいと願っております、彫刻」


「彫刻? 氷祭りかい?」


「うん、そういった類のものをこしらえたいんだ。

あなたにお願いしたくてやってきた」


「氷ったってどこにあるんだい?」



「つくるんだよ」


「どうやって?」


「池を凍らせてみるとか……」


「池?」


「うん。池を凍らせて氷を引き上げるんだ」


「どうやって凍らすの?」


「それができるのは、あなたしかいないよ」


「どうすんの?」


「氷のジァイロを呼んでよ」


「精霊かい?」


「氷の精霊ジャイロを呼んでほしいんだ」


「そんな簡単に頼みを聞いてくれるとは思わないねえ 。ただじゃねえからな」


「ぼくの命とひきかえにするんだ」


「……。

あたしはどうなんだい?」


「何でも言ってね、ぼくがんばるから」


「好きにしろってあたしゃ死ぬのはやだよ」


「ううん、あなたには、ご迷惑をおかけしません」


「やだよ、あんたが死ぬの」


「……。ジャイロを呼んで。お願いします」


「あたしが?」


「ぼくが呼んでも来ないよ」


 と言うわけで、精霊を呼んだ。


 精霊は池を凍らせた。


「凍ったはいいけど、どうやって引き上げるんだよ」


「ギョウエクを呼んでよ」


「だから簡単には呼べないでしょうよ」


「このままでは、池の氷は溶けてぼくは死ぬだけだ。困ったな」


「だってしょうがないでしょ」


「もっとくわしく調べておくんだった」


「どうすんだよ」


軽装に着替えた女主人と共に、とりあえず池の前に立つことにした。


「まだ、溶け始めた気配はないね」


「キンキンね」


「とりあえず上から削ってみる」


「そうね」


「で、

あんた何を作るの?」


「豆だよ」


「豆?」


「うん、豆を作ろうと思って」


「豆?

そんなもの池を凍らせないでも出来るじゃないの!」


「豆は豆でも、沢山なっている豆の木をどうしても作りたいんだ」


「だから小さな豆を作って接着していけばいいんじゃないか

そもそもなんで豆の木なんだい?やっぱりジャックと豆の木かい?」



「コーヒーが、のみたいなあと思って」


「はい? ……淹れてこようかコーヒー」


「ううん、氷の豆の木からコーヒーを作って飲みたいなあと思って」


「はあ? あんたは頭がどうかしちゃったのかい」



「美味そうだとは思わない?、氷の豆の木から飲むコーヒーって」


「アイスコーヒーだわね、多分」


「とんでもない! あっごめんなさい。怒っちゃった」


「熱いのかい?」


「そうだよ。

素晴らしい香りが草原一帯に広がるよ」


「どんな香りがするんだい?」


「池の香り」


「あんまりいい匂いじゃない気がするね」


「ううん、アルプス山脈のマッターホルンて山の近くにあるリッフェル湖みたいにきれいじゃないか」


「いや、ゴミが池にはいっぱい落ちてるでしょ。

何人かは沈んでるし、魚の死骸もいっぱいよ」


「この池には不思議なチカラがあるね。たしか……」


「クマノミかい?」


「うん、精霊団の三勇に選ばれたっていう「浄化」のクマノミ。クマノミはこの池に長く住んでたんでしょ」


「今は住んでいないさ。召集がかかってあちらにいるからね」


「だから、クマノミとジャイロのチカラで氷の豆の木をつくりたい。最高のコーヒーを淹れたいんだ。出来ることなら、あなたにも飲んでもらいたい」


「魚くさいコーヒーなんて飲みたくないわよ。

 あなたが死んだ後、

『ああ、魚クサい、ああ、魚クサい』

 って延々とコーヒーを飲むなんてイヤだわ。

あ、まさか」


「なあに?」



「氷から溶けた水滴で家にあるコーヒー豆を使ってコーヒーを作ろうなんて言うんじゃないでしょうね」


「そんなことはしないよ! まあ、見ればわかるよ。ではご覧にいれます」


 そういうと、あっと言う間に、繊細な造りをした豆の木が出来上がりました。

 あとは、これを浮かさなければならない。


 水深3200m、横2000m、縦750mの池に、階段を作っていた。


「さあ、降りようよ」


「ええ」


 氷の階段を降り、3200mの底に辿り着いた。


「結構深いのね」


「そうだね。思っていたより」


「生臭くないわね」


「仕上げはこれからするよ」


「氷は、削り加減によって香りに変化が生まれるんだよ」


「そんなことして変わるの?」


「一時代前の常識にとらわれてるね。あなたがとらわれているのはアンシャン・レジュームって言うんだって」


「なんだそれ?」


「さあね。アンシャン・レジュームからは生臭いにおいしかしないんだ。頭の硬い大人じゃわからないよ」


「言っても判らないなら見てて」


 と言うと、走り回り仕上げにとりかかりました。


「いかが?」


「あれれ? いい香りね」


「でしょ?」


「で?」


「はい?」


「コーヒーはどうやって作るの?」


「まあまあ、あわてないで。これを外に出さなきゃだめなんだ。そうしないと完成しない。

コーヒーは、夜のお楽しみだね」




「あの子はあんなこと言ってたけどどうやってコーヒーを搾るんだろう。

バサッとコーヒーの雨を降らすんじゃなかろうね。

熱いって言ってたから全身ヤケドかい? やだよう。

なんだい?この揺れは?

まさか……」



 外に出てみると、空にはきれいなきれいな満月がいます。雲や星を振り払い、皓々としております。

 月の真下には、氷で出来た大きなテーブルセットがあります。椅子に腰掛けますと、よく磨かれた大きなポットと、コーヒーカップが2つ置いてあります。

月を眺めていますと、中空高く巨大な雲が月を隠すように現れました。真っ暗になった時間がいくばくかすぎた頃、大きな黒い雲は風に流され、現れたのは世にも美しいとされた何よりも美しい、見たこともない巨大な豆の木の形をした透明の物体でした。

 池にいる時には、巨大すぎてわからなかった豆の木の全貌が現れました。月明かりを浴びて巨大な豆の木全体が美しく輝く頃、コーヒーカップに湯気をたててかぐわしい香りの液体が少しずつ注がれていきます。

 ゆっくりとゆっくりと時間をかけてカップを満たしました。


 よく磨かれた大きなポットのふたを開くと、天空から輝く一本の細糸がたれています。まさにそれは世界で一番細くて美しい滝のようです。



 月を見上げ、悠々とカップを口に運びました。


「なんて美味しいのでしょう」


 とうっとりしています。


 翌朝あの子はもういませんでした。あるのは、溶けかけたテーブルセットと、カップとポットです。


 あの子は、どうやら私に命をかけて夢を見せてくれたのでしょうね。巨大な氷の豆の木は、元々池のあった盆地に落ちてものすごいスピードで溶け始めているわ。結局あの子は、飲まなかったのね。


 あの人が飲むはずだったコーヒーカップには手をつけず、ポットからコーヒーを注いだ。


 コーヒーは淹れ立ての香りと温度をたもっている。

 片手でカップを持ち、


「あんた、今頃どこにいるのさ」


とテーブルの上にある、もう一つのコーヒーカップを眺めつつ、口をつけた。


「ブルーマウンテンの100倍うまい」


 結局、あの氷の豆の木から美味しいコーヒーはポットに一杯しか抽出できなかったようです。



ここは異国、冬なのに山がみどり

ここは異国、冬なのに山がみどり



雪も降らなきゃ、人もあまりいない

雪も降らなきゃ、人も誰もいない


パパは言った

精霊の住む池を目指せ

死んだパパは言った

精霊の住む池を目指せ



ママは言った

精霊使いを探せ

死んだママは言った

異国で精霊の住む池を探せ


今僕は異国にいる

そこで見た、カラスに僕は挨拶をおくる



僕は伝説の池の前にいる

僕は伝説の池の前にいる



少し歩くと、咳が止まらない

少し歩くと、咳が止まらない


えずいて涙を拭うと

精霊の住む屋敷がある



精霊使いは女の子

精霊使いは赤い着物を着た女の子


タバコの吸いがらを掃除して

じっと僕を見つめるんだ


女の子の名前は

タンシーニントレイ

女の子の名前は

タンシーニントレイ


名前が長いから

タンシーと呼ぶことにした

僕の名前は

ゴデットガレ

僕の名前は

ゴデットガレ


名前が長いから

タンシーはガレと呼ぶ



姉は言った

氷の豆の木が見たい

死んだ姉が言った

綺麗で大きな豆の木が見たい



僕はタンシーに頼んで

ジャイロを呼んでもらった


僕は

タンシーニントレイに頼んで

氷使いの精霊 ジャイロを呼んでもらった



ジャイロはやんちゃな精霊だけど、

池を凍らせてくれた



兄は言った

世界一美味しいコーヒーが飲みたい

死んだ兄は言った

世界一美味しいコーヒーが飲みたいな



僕は今みんなの願いを叶えるため

命をかけようと思う



タンシーと別れた後

悪魔が声をかけてきた

タンシーと別れた後

悪魔みたいな人が声をかけてきた


その人の名前は

ギョウエクといった

浮揚の精霊は

ギョウエクといった



ギョウエクは言った

命がけの奴が好きさ

ギョウエクは言った

俺は命をかけて夢を描いた奴が好きさ



浮揚の精霊は

海のような池を浮かべた

浮揚の精霊は

伝説の池の氷を月のある場所まで浮かべた



浮かんだ氷は

月明かりを浴びていた

浮かんだ氷の豆の木は

月明かりを浴びていた



月明かりを浴びて

一筋の滝が流れ落ちる

月明かりを浴びて

熱いコーヒーが流れ落ちる



月の下では

最後の友達タンシーが

月の下では

心優しいタンシーが



カップに

コーヒーをそそいでいる

カップに

コーヒーを淹れている



僕の夢は完成した

僕の夢は全て叶った



後は静かに死ぬだけ

後は静かに死ぬだけ



だけど僕は生きている

ジャイロとギョウエクは


クマノミには内緒だと

ウィンクした



町に来たばかりのころは、不格好に見えた緑の猫たちもあらためて眺めてみると岩山にはない語り口をしているのがわかる。私の故郷の山が鋭い青竜刀であるなら、この村の山々は静かな寝息をたてて気持ちよさそうに寝転がる小熊のようだ。

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