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第九話「ありえない失態」

「あのさあ、梓さん」

「え? なあに?」

「なあに、じゃないよ」


 和は、彼女の正面でにっこりと微笑む女性に刃のような視線を向けた。いくら彼女がまるでモデルのように美しかろうが、高校時代、唯一の同性の友人であろうが、そんな事は今の和には全く関係がない。正直、彼女のしでかした行為はあまりにも許し難い。

 話は少しさかのぼりおよそ一時間前。和の携帯電話に告げられ着信は、高校時代の友人である梓からのものだった。電話に出ると、卒業して以来会っていなかった時間のひらきも感じさせない気安い声が和の耳に届き、和もまた昨日会ったかのように言葉を返した。

 ちょうど二人とも今日の日程を終え、和はアルバイトも入っていない事から、少しお茶でも、という申し出にうなずいた。和の通う大学と梓の通う大学は距離がそれほど遠くない。せっかくだからと都心に近い場所で落ち合う運びとなった。

 油断していた、と言ってしまえばそれまでだ。しかし、それも仕方のない事である。まさか、友人が、いや、親友が、彼女を貶めようなどと誰が思うだろうか。

 和がのこのことやって来てみれば、そこには随分な人数を従えた相変わらず美しい梓が佇んでいた。


「で、どういうことか説明してもらえるかなあ?」

「別に、あなたを騙そうとしたわけじゃないわよ? ただ、私が大学で和の話をしたら皆が面白がっちゃって会わせろってうるさいんだもの」

「……それでこの人数? まったく大変な人望をお持ちなことで」


 うんざりした顔でコーヒーを啜る和に、梓は悪かったわよ、と平謝りだ。そのあまり悪いと思っていない態度も気に入らず片眉を上げてみせるが、ここで不機嫌を露に回れ右、というのはあまりにも大人気ないし、梓の今後の立場を考えると後味が悪い。恐らくはクラスやらサークルやらで知り合ったのであろう大衆レストランの机を横にくっつけずらりと並ぶ男女、合わせると二桁になりそうだ、を和は眺めやった。

 そもそも、梓が和について何をどう話したのか考えれば、和は頭痛を覚える。飲み放題の美味くも不味くもないコーヒーを啜りつつ、和はため息を吐いて伏せていた顔を上げた。

 途端、きらきらとした複数の瞳と視線がかち合ってしまい、和はどうにも気まずさを覚える。和の隣に座っている男性が、そろそろ堪え切れなくなったのか、前のめり気味に彼女へ声をかけた。


「あの! 高原にいじめられてたって本当?」

「そんでもってそれを返り討ちににしたって本当!?」


 はいはいはい、と大きく挙手をしつつ今度は女性が話しかけてくる。和はそれに無表情のまま頷いた。


「まあ、間違ってはいないですかね」


 和の言葉に、おお、と感嘆の声を上げる一同に、和は疑問を覚える。どうしてこんなに驚かれるのかがわからずに梓へ顔を向けると、彼女は困ったように苦笑した。


「ごめんなさいね。私、大学で氷の女王なんていう二つ名がついちゃって」


 梓の言葉に、和はああ、と得心する。


「近寄る男共をちぎっては投げ、をしていたらその男を好いた女が逆恨みで攻撃、されたけれどそれをやんわりいなしてる氷の女王が敵わなかった女って一体全体どんなひとなわけ? みたいな?」


 口角を上げて笑む和に、梓は苦笑を漏らし、彼女の周りにいるギャラリーは目を見開いた。何故先程の一言だけでそんな事がわかるのだ、とその瞳が告げている。和にとっては別段難しい問いかけでもなく、予想出来るものだったのだか彼らにはどうもそうではないようだ。

 それからしばらくは長い質問に一言二言で済ませ、無表情にコーヒーを啜っていれば、和のそんな態度にも何が面白いのかいちいち歓声が飛ぶ。ため息を吐きつつ時折、梓に微笑むと、梓は和の笑みを正確に捉え、頬を引き攣らせていた。

 このまま質問責めに遭うのも面倒だと思い、適当な所で帰ろうとひとりごちていれば、和はふいに強い視線を感じてぴくり、と眉を動かした。


「……すみません、そろそろ帰らないとまずいので失礼します」


 腕時計を見て和が告げれば、周りからは不満気な声が発せられたが、和は特にそれを気にするでもなく曖昧に微笑む。

 立ち上がった和に、梓が声をかける。


「ひょっとして、遥?」

「ん、週末は大体和泉君の家だから」

「あらそうだったのね」

「時間になっても来なかったらうるさくてたまんないから」


 最近はほぼ大学に訪れていた遥だったが、今日は仕事の関係上、和を迎えに行けないと嘆いていた。今日の帰りは夜中まではいかずとも夜の十時くらいになるかもしれないと話していたので梓と会う約束を了承したのだが、こんなことならば来るのではなかったと和は後悔していた。


「本当にごめんなさいね。毎日あまりにもしつこく言われるものだから……でも会いたかったのは本当なのよ。今度はゆっくり話したいから、私が和の大学近くまで行くわ」


 そんな和の内心を察したのだろう。申し訳なさそうに眉尻を下げて声を上げる梓に、和は悪戯っぽく微笑んだ。


「そうだね、それならはめられる心配もないね」

「……まったく、相変わらず辛辣ね」


 今日限りにしてくれるなら報復はなしにしてあげるよ。

 そう告げて、和は梓と彼女の友人に別れの挨拶を告げて店をあとにした。


「おい」

「!」


 駅方面へとしばらく歩いている時だった。ふいに、後ろから声をかけられて和は足を止めそうになる。しかしすぐさま思いなおせば、彼女はそのまま歩き続けた。


「おい、あんた。聞こえてんだろ」

「…………私の事を呼んでいらっしゃいましたか」


 肩を掴まれそのまま強引に振り向かされた和は、特別その行為に驚くでもなく、雑踏の中足を止めたふたりを周りの通行人が邪魔そうに避けていくのを横目で見ながら、目の前に対峙する男に視線を向けた。

 男は彼女の視線を察したのか、和の手を掴むと先程のように強引に狭い路地へと入り込み、やがて人の気配がしなくなった所で彼女の手を離した。

 先程感じた強い視線を発していたのは、間違いなく目の前に対峙する男であった。

 特別、特徴のある容姿ではない。長くも短くもない黒髪に、白いシャツと黒いパンツを合わせた、本当にどこにでもいそうな男性だ。

 ただ、その瞳の強さだけが和は気になった。


「……御用件は?」

「わかってるんじゃないの?」

「いや、まったくもって」


 きっぱりと言い切る和に、男はふうん、とつまらなそうな声をあげて目を細める。


「あんたさ、薫の友だちなんだって?」

「……かおる?」


 はて。そんな名前の友人がいただろうか。

 和は首を傾げるも、男はああ、と呟いて再度口を開いた。


「夏目だよ、夏目薫」

「! ああ、夏目ってそういや薫って名前だったけ」

「……あんたな。友人の名前くらいきちんと覚えておけよ」

「普段は呼ばないもので」


 呆れた男に和がへらり、と表情を崩すと、男は片眉を上げた。


「薫から女の名前なんて滅多に聞かないから気になってたんだけど、なんていうかあんた普通だな。見た感じ」

「はあ、恐縮です」

「高原が気に入ってるってのも。あいつ、けっこう周りに置く人間選びそうだから。今日集まった奴らだってけっこう苦労してあいつと付き合ってるからさ」

「へえー。じゃああなたも?」


 にや、と笑んで和が問えば、男は同じような微笑を湛えてまさか、と答える。


「俺は特別あいつに興味はない。言ったろう、興味あるのはあんただよ、笹森和さん」

「……私に何か敵愾心でも」


 和の言葉に今度は、はあ? と男が心底抜けた声を上げれば、和は違うんですか、と首をかしげた。


「夏目と仲の良い友だちに激しく嫉妬みたいな」


 真顔で冗談とも本気ともとれない言葉を発してみれば、男はんなわけあるか、と和の頭を軽くはたいた。それは思わず、といったところで、わざわざ開いていた距離も詰めての行動だった。そんな彼に和が思わず噴出せば、しかし次の瞬間には我に返り、こほん、とわざとらしい咳払いをする。それをじっと見ていた男はひとつ短く息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。


真壁(まかべ)義和(よしかず)

「へっ?」

「俺の名前。あんたのことは笹森って呼ばせてもらっていいか」

「ええ、どうぞ」

「んじゃ携帯電話の番号教えて」

「は? 何ゆえ?」

「笹森に興味あるからっつったじゃん」


 片眉を上げてやれやれ、と首を横に振る男に、和は若干の苛立ちを覚える。ほぼ初対面の男に、さすがに連絡先を教えるのは抵抗があるし、なぜそんな風に呆れられているのかも和にはわからないからだ。興味がある、という言葉が引っかかったが、ひょっとして妙な意味合いが含まれているのだろうか、と真壁と名乗った男を和は胡乱な瞳で見やる。

 物言いたげな顔で自身を見つめる和を、真壁は道を塞いだ状態で面白そうになんだ、と呟きながら口端を上げる。和はその態度にやはり苛立ちを覚えたものの、表に出すのは癪であると感じれば同じように歪な笑みを浮かべた。


「ひょっとしなくとも私に男女間のそれとして興味がおありだと?」

「ひょっとしなくともさっきからそう言ってるが?」


 うわあい、突っ込み待ちだったよ!

 無情にも放たれた言葉の威力に思わず心の中で叫びつつ、それでも和は表情を崩さない。


「変わった人ですねえ。夏目はきっぱりすっぱり私に性的に興奮しないと宣言してましたけど」

「ふうん? まあ、好都合だ。あいつと女取り合うとか冗談じゃないし」

「いやそもそも私恋人がおりますが」

「別にそう性急な話でもないよ? 俺はとりあえずあんたに興味あって、それは人間的にって意味だけど内訳するとまあ女としてもって部分も含まれてるって意味だから」

「そこをまるっと取っていただくわけには」

「無理。とりあえず恋人の前でどんな感じになるのかじっくり見たいかなー」

「どんな趣味だ」


 今度は和が思わず突っ込んでしまい、真壁はそれに少し笑うと、まあいい、と自己完結したのか、引っ張り込んだ路地から表通りへと出る時も再度手を取り歩き出した。別に手を離してくれてかまわないと伝えたが、そんな彼女に真壁は万が一にもはぐれると迷ったら面倒だろうと答える。ほぼ一本道であったし、たいして複雑な道ではなかったが、それ以上反論を重ねるのも疲労を蓄積するだけだと思えば、和は短い距離であるしまあいいか、と半ば開き直っておとなしく従った。

 ほどなくして表通りに出れば、過剰な反応で離れるでもなく、なるべく意識していなく見えるように自然な動作でゆっくりと真壁から離れた和は、そのまま愛想笑いを貼り付けて会釈すると、駅への道を歩き出した。

 歩く和の背中に向かってまたな、と真壁の声がぶつけられたが、それにかまうことなく和は振り返らずに歩き続けた。


「あーもうめんどくせー」


 駅改札を抜けたところで思わずため息混じりに呟いた彼女の言葉は、誰に聞かれるでもなく雑踏の中へ消えた。


 疲労感を覚えながらも、宣言よりも少しだけ早い時間、二十一時半だった、に帰って来たまだ夕飯を終えていないという遥に鍋焼きうどんを作った和は、恐縮する彼をそのままに洗い物も引き受けた。

 しかしどうしたことか。せっかく休んでいろと気を遣った和であったのに、遥は洗い場に立つ和の腰に腕を巻きつけ、彼女の頭に顔を埋めてはすんすんと匂いを嗅いでいる。若干変態的であると言えなくもないが、和はうっとおしいと言葉にしつつも本格的に拒絶することはしなかった。


「はあああ……癒される」

「ちょっとあんまり鼻っ面を頭にぐいぐい押さないでよ痛い」

「んー」


 和の指摘に、聞いているのかいないのわからない曖昧な返事をしつつも、遥の動きは多少ゆったりとしたものになった。蛇口から水が流れる音がただ部屋を満たし、生活音のみの空間で隙間なく愛しい恋人とくっついていられる事が、遥にはこの上ない幸せであった。

 やがてそう多くはない洗い物を終えて、和が食器を拭こうと布巾を手にしたが、遥がそれを止める。


「そんなすぐにやらなくていいよ、しばらくカゴに置いておけば水分飛ぶからそっちのがラクだし」

「んーでも面倒臭くなっちゃうし」

「俺があとでやるから」

「うーん」

「なぁぎ」


 蕩けるような声で彼女の名を呼ぶ遥の顔は、やはり蕩けるような甘さを含んだそれになっていて、和は遥のそんな表情を目の当たりにするとなかなかそれ以上強くは出られない。当然のように抱き上げられ、部屋へと入り和を懐におさめたままラグに腰を下ろし背中をベッド脇によりかける。和はそのまま横向きに抱きしめて、遥に身体をあずけるようにとそっと彼がうながせば、和はそのまま諦めからなのか息を吐いて、こてん、と頭を遥の胸へ傾けた。遥は微笑んで、和の頭を撫でる。


「……一緒にいたいなあ」


 ぽつり、と呟いた彼の言葉に、和は少し顔を傾けて遥に視線を合わせる。遥は、和を見ながら微笑んだ。


「もっとずっといっしょにいたい。なるべく早くそうできるようになりたい」

「うーん」

「和はいやなの?」

「ん? 嫌……ではないね」


 遥の言葉の意味するところは、平たく言ってしまえば結婚したいということになるが、和はそれにたいして特別に抵抗感があるわけではなかった。親の世話にならずに独り立ち出来た時、自分自身の力で立っていられるようになった時、隣に遥がいて、遥がその証を望むのならば、今さら何をどう拒絶する気も和には起きない。

 しかし、和の言葉は遥には意外だったようだ。目を丸くして、彼女を凝視する。そんな遥に、和は苦笑をもらした。


「別に拒む理由なんてないよ? ただ、言いたい事はわかってるでしょ?」

「……自分たちの足できちんと立てるようにならない限りは、ってことでしょう?」


 うなずく和に、遥はやはり苦笑する。

 それはそうだ。結婚するとなれば住む場所はいざ知らず、子どもが出来れば出産時から成長する過程でずっと金銭的な責任がふたりには課せられるし、その感覚がしっかりしていなければ生まれてくる命まで不幸になってしまう。もちろん和だけではなく遥も、そんな風にはなりたくないと思う。


「うーんでもさ、子どもが出来ないように気をつければ早く結婚しても良くない?」

「またそんな具体的な話を……まだ大学一年生なんだよ? 私たち」


 呆れる和に、遥は真剣な表情で和の両頬を包み込む。


「卒業と同時に結婚だって考えられるじゃないか」


 えええ、と和が微妙な声を上げた時、部屋の静寂を無機質な音が破る。

 和の携帯電話が何者かの着信を告げた瞬間だった。




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