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第七話「そんな彼女の困難の避け方」

「笹森さん、ここ片付け終わったら上がって良いよー。夏目君も」

「あ、はい」

「…………お腹すいた」


 店主である長岡の言葉にうなずいた和は、横でお腹を鳴らす夏目に多少呆れながらも、手を休み無く動かしていた。


「笹森さんはなんというか、片付けも手慣れてるよね。家庭でお手伝いしているだけじゃあまりこうはならない気がするけれど。アルバイト経験はないんだったよね?」


 感心するような長岡の言葉に恐縮するように和が小さく微笑めば、かいつまんで田舎の事情を話せば、長岡は得心してうなずいた。

 大勢の人数をさばくには、どうしてもそれなりの経験が必要だが、そういった意味では田舎で雑用をこなしていた和の手際は良い。もちろん、仕事としてやっていたわけではないので、かかってくる責任感はまるで違うものの、今のところは大きな失敗もなく過ごせている。

 片付けも無事終わり、バックヤードに引っ込んで早々に着替えを済ませた和は、長岡にお疲れ様でした、と声をかけて店をあとにした。


「和」

「! 夏目。さっきまでのらりくらりとしてたのにもう身支度終わったの?」

「送る」


 和のある種嫌味ともとれる言葉をすべて無視して、夏目が淡々と声をあげる。今日はお互いに閉店までの勤務であった為、現在の時刻は午後九時近くなので辺りも当然暗い。立地的には駅から近い為それほど気になる距離ではなかったが、同じ場所に向かうのであれば特にそれを拒む理由もない。和は無言でうなずいて夏目と並び歩き出した。特に会話も何もないが、和はそれを不満に思う事も、気まずく感じる事もない。無理に話をしようとせずともそれを許しあっている心地良さがふたりにはあった。和は、なぜ夏目が彼女と頻繁に時を過ごすのかその理由はわからないにせよ、わずらわしさが少ないというのは一因としてあるのだろう、と少し前からぼんやりと思っていた。

 あれやこれやと思考を飛ばし、あっという間に駅へとたどり着けば、和はじゃあ、と声をあげる。しかし、その声に夏目が彼女の手を取った。ゆっくりと、和の手首を掴むと、首を振る。


「違う」

「? なにが」

「電車もいっしょ」

「え? 夏目って何線で最寄り駅どこなの?」

「K駅……」

「え!? けっこう近い……そうだったんだ」


 こくり、とうなずく夏目に目を丸くしながら、和は微笑んだ。


「夏目は本当、いつも突然だねえ」

「……同じことを言われた」


 お互いに改札をくぐり、同じ沿線へと向かう道すがら呟かれた彼の言葉が気になり、和は夏目に誰に言われたのかと問うてみる。


「ないしょ」


 微笑む夏目の瞳は、いつになく嬉しそうであった。


 しばらくは、大学へ行き、アルバイトをし、週末は遥と会い、と特に変わった出来事もなく日々が過ぎていった。和はこの平和な時がいつまでも続くのではないかと期待していたが、それは一ヶ月程経過したある日、あっさり裏切られることとなる。

 いつものように決まった時刻に大学のとある教室へと足を踏み入れた和はいつものように前寄りの真ん中隅に腰を下ろす。本を取り出して授業まで読書をしていようと思った和は、しかし何人かの人間に囲まれてしまった。


「笹森さん」


 声をかけられ仕方なしに顔をあげれば、恐らくは遥絡みで声をかけてきたグループのひとつだった。記憶があいまいなので断言は出来ないが、そもそも和に話しかける目的などひとつしかないのだからそう結論付けるのも当然だった。

 憂鬱なため息を吐きそうになりながらもなんとか堪えれば、静かに開きかけていた本を閉じてなにか、と声を上げる。グループは三人で、皆それぞれが和を睨みつけている。和は内心綺麗な顔が台無しだ、と呑気なことを考えていた。


「何度も誘ったと思うんだけど、今度こそ来てよ」

「……なんのこと?」

「飲み会に決まってるでしょ!?」


 さらり、とすっとぼけてみたものの、和はいきり立つ目の前の女性から発せられた言葉に、なんの意外性も感じなかった。どころか心の中では飲み会という名の合コンだろう、と悪態をついている。


「私が行く義理はないでしょう、と何度も伝えたはずだけれど」


 和の言葉に、今度は三人の女性がそれぞれ口を開く。それは鳥のさえずりと言うにはやかましく、工事現場の騒音と言うにはかなり大げさだ。とにかくはっきりとわかっているのは、和の内に徐々に怒りが溜まっているという事実だった。


「あのさあ、笹森さん。どうして私たちが笹森さん誘うかわかってる?」

「教室でもいつもひとりでいるから皆と仲良くなるきっかけ作りをしてあげるんだよ?」

「私たちだって笹森さんともっと仲良くなりたいから話しかけてるのにさあ、それはないんじゃないの」


 さすがに疲れた。

 内心で呟けば、和はす、と目を細め真っ直ぐに彼女達を見やる。今はもう、高校時代に慣れ親しんだ伊達眼鏡はしていない。だからこそ、和の双眸の強さは女性達に直接的に伝わり、その迫力にもちろんただの小娘である三人は狼狽した。


「わざわざお気遣いありがとう。でも私は好きでひとりでいるだけなのでご心配なく」


 低い声音で言ってやれば、三人は一歩後ろに下がる。しかしそれでも遥という獲物をどうしても逃したくはないのか、なおも食い下がってきた。


「一回くらい付き合ったっていいでしょ!」

「和泉君は呼ばないけど?」

「……べ、べつに、かまわないわよ」


 彼女達のとりあえずの目標は、和と接点をもつことなのだろう。その過程で和泉遥を絡み取れさえすればかまわない。多少回り道をしても欲しいその貪欲さに和はただただ呆れる事しかできなかった。


「あのさー、たとえばあんたらの誰かが和泉君と親しくなったとして、あとのふたりはどうすんの? 当然だけど和泉君ってひとりなんだよ? 仲良くわけっこでもすんの? 月曜日は私ー、とか」


 和の言葉に怒りを覚えたひとりが、顔を真っ赤にしてそんなわけがないと怒鳴る。しかしそれならばどうするのだ、と首を傾げれば、またひとりが声を荒げた。


「いい男の知り合いがたくさんいるって聞いたんだから! あんたばっかずるいじゃないの、こっちにもわけなよ!」

「!? ちょっとそれ」

「そんな地味な見た目のくせして、なにがうまいのか知らないけど」

「うるさい、会話しろ」


 和の質問を遮ってなおも怒鳴るリーダー格の女性の口を、和は手で塞いだ。案外、単純なようでいてこの方法は有効だ。触れられるというのはどんな状況下においても驚くに値するもので、一瞬思考を鈍らせる。相手が和に少しでも恐怖を感じてくれれば和はその隙間から入り込んでしまえばいい。

 やはりというか予想通り、リーダー格である派手な巻き髪の女性は目を見開いてかたまった。和はそれに微笑む。


「いい子だね。それじゃあ質問するから答えてね? その情報をあなた達に教えたのは、どこの誰かな?」


 塞いでいた手を離しながら和が問えば、がらりと雰囲気を変えた和に戸惑いつつもまだ反抗的な態度はそのままだ。和はもう一度質問を繰り返す。


「誰が言ったか教えろっつったんだけど?」


 和の雰囲気についに耐えられなくなったのか、ひ、と短い悲鳴を上げてリーダー格の女性は去って行く。それに続いてふたりの女性も逃げてしまい、和は内心舌打ちをしたものの、貪欲に彼女らを追いかけるほど暇ではない。ため息を吐いて、原因の口を直接塞ぐ必要があるだろう、とひとつうなずいた。

 講義もそこそこに、散り散りになる生徒を目で追いながら、和は授業を終えて去ろうとするひとりの女性へと狙いを定めれば、素早く背中へと声をかけた。


今村(いまむら)さん」

「! え、笹森さ……ん」

「向井さんのお友だちの、今村さん? ちょーっとお話があるんだけど」


 和の無言の圧力を感じ取ったのか、真っ青な顔でうなずいた彼女は、友人たちに先に行ってほしいと声をかけ、和と共に中庭へと出れば近くのベンチに腰かけた。


「あなたさあ、好奇心旺盛なのはけっこうだけど、ひとに迷惑かけちゃいけませんって小さい時に教えてもらわなかった?」


 呆れた様子で口を開いた和に、今村は段々と顔を下げていく。大方の予想はついていたが、やはり彼女が噂を広めた張本人らしい。


「ご、ごめんなさい。なんかはしゃいじゃって……」

「向井さんからそんなに色々訊いてると思わなかったよ。私の周りは確かになんだか格好良い男性が多かったけどさ」

「笹森さんって華やかなひとをひきつける何かがあるって、由美が言ってたよ!」

「いや、そんなきらきらした瞳でみつめられても」


 まいったなあ、と呟いて、和はため息を吐く。

 このような人間は、まず脅しが効かない。とにかく本能で生きているところがあるから、きっと頼み込んだところで無意識にぽろりと喋ってしまうだろう。


「とにかく。今度から誰にでも他人のプライバシーに関わるようなことをぺらぺら喋らないこと。いつか痛い目に遭うよ、その軽口」

「いひゃい、ほへんははい!」


 今村の両頬をせいいっぱい引っ張りながら和が微笑めば、今村は泣き出しそうな顔をして言葉にならない謝罪を紡ぐ。和はそれを認めれば、すっかり毒気を抜かれてしまい手を離した。

 自身の頬をいたわるようにさする今村を横目に、和はそもそも、とため息を吐く。


「向井さんもひとが悪いなあ。言い方に語弊があるんだよ」

「……ごへい?」

「私の周りに格好良いひとがいたのってそもそも和泉君が高校時代に話してたクラスメイトだから私はまったく会話なんてしたことないし、和泉君自身も交友関係は広く浅くだったから、その人たちの連絡先なんて知らないまま卒業したんだよ?」

「え! そうなの?」

「そう。だから私に何かを期待したって無駄。せいぜい和泉君くらいしか引っ張って来れないし、和泉君も自分の知り合いを女の子に紹介するのとか極端に嫌うからお願いなんて到底できない」


 肩を竦める和にどうして? と今村が質問すれば、和は苦笑する。


「和泉君、昔そういうトラブルがすごく多かったんだって。女の子の迫力がすごくてしょっちゅうもめて友だち失くしたりとか。だからそういうのもうこりごりらしいよ」

「ああ、そっかなるほど!」

「そ。だから今度もし何か訊かれたらどうせだからそこんとこの事実もいっしょに伝えておいてね」


 私が迷惑だから。そう言った和に、今村は再度謝罪をして次の授業があるから、と去って行った。


「……ったく」


 和は眉間に皺を寄せながら携帯電話を操作する。そこに表示された名前は、かつて和が高校時代になにがどうしてそうなったのかはわからないが、彼女のファンクラブなるものが出来、そのファンクラブの会長職を務めていた者だった。こんな早くに彼女らの世話になるとは思ってもおらず、和はいかにも渋々といった様子で電話をかける。


「……あ、清水(しみず)さん? ごめんね。実はお願いがあって」


 和の申し出は、ごく単純なものだった。向井への釘刺しと、卒業した元三年三組全員に以下の内容を伝えて欲しいと言ったのだ。


『笹森和と和泉遥の関係をみだりに外部に、特にふたりが通う大学の生徒に触れ回るようなことがあれば、それをもらした者の身に何が起きるかはわからない』


 たったこれだけの事でも、あの高校出身者ならば和の怖さは誰もが知るところであり、効果は抜群だった。おまけにごくごく自然に向井由美がお仕置きと称してその第一犠牲者になったらしいという噂を流せば、もちろん好奇心旺盛な和の元クラスメイト達は、ひとり残らずそのおしゃべりな口を噤むこととなった。

 和が本当に向井由美へ某かのお仕置きをしたかどうかは、その当事者たちにしかわからない。けれどそれ以後、向井が和と遥について何事も語らなくなったという事も、和が今村に吐いたかわいい嘘に向井がしっかり付き合ったという事も、しっかりと事実として起こった出来事だ。


『でもきっと、これだけじゃまだ問題解決しないんだろうなー』


 こういったときの自身の勘の良さには自信がある。

 内心でぼやきつつも、和は特別それを恐怖と感じて竦みあがっているわけではない。とにかくただ面倒で、次々起こるそれらに消耗する体力やら精神力やら時間やらが惜しくて仕方なかった。

 複数の人間に囲まれようと、どんなきつい言葉で詰られようと、彼女のひょうひょうとした態度がくずれることはない。それでも笹森和は、今日も自身を普通の人間であると宣言し、また口先だけではなく自身もそう信じて疑わない。そんな彼女は、大学生活においても周りから徐々に畏怖の対象になっていっている事実にもちろん気付くことはなかった。


 


 

 


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