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第四話「どうしてこうなった」

 横抱きにされたまましばらく街中を歩くという辱めを受けた和は、恥しくて死ぬというもあるのではないか、と阿呆な事を考えていた。しかしそれも束の間で、歩いていた遥の足がぴたり、と止まった。駅にはまだ早い事もあり疑問を持った和は、恐る恐る遥の懐から顔をあげる。


「……和泉君?」

「乗って」


 気付けば扉は開かれ、わけもわからぬまま押し込められて混乱したまま扉を閉められる。遥も同じく隣に腰を下ろしたので、和はますますわけがわからなかった。

 和が顔を上げた瞬間に飛び込んだ景色は、何の変哲もない街中にある有料駐車場だった。そこに停められた一台の軽自動車の前で遥が足を止めたと思えば、次には助手席に乗せられてしまい、和は疑問だらけだった。


「和泉君」

「シートベルト締めてね、危ないから」


 和の方に身体を傾け、遥がかいがいしく和のベルトを装着する。遥も同じように自身の身体にシートベルトを装着させると、エンジンに手をかけた。


「遥!」


 発進する前にすべての疑問を晴らしたかった和は、声を高くして彼の名を呼ぶ。それにため息を吐いた遥は、和の方へと顔を向けた。


「別に盗んだ車とかじゃないよ」

「わかってるよ!え、まさか和泉君の」

「違うちがう。卒業祝いだとか言って、父さんが車買っちゃったんだよ。このままだとペーパードライバーになるだろうって」

「え、免許を先に取ってたの!?」


 何もかもが初耳で、和は驚愕せざるをえない。苦笑する遥は、夏にね、とうなずいた。


「え、だって、夏はいっしょに田舎に……ってでもそうか、帰って来てからでもまあ、可能か」

「合宿で取ったからね、その場合は二週間弱あれば取れちゃうから」

「えーそうだったんだ!」

「佐山さんが個人で持ってる車とか、ちょこちょこ運転させてはもらってたんだけどねー。父さんがとにかく逃亡する足にしないか心配で家には置きたくなかったんだけど」

「昌さんて免許持ってるの?」

「持ってないけど……家に車があるってなったら取っちゃうかもしれないでしょう?」

「なるほど」


 苦笑する遥に、和は同じような表情で頷く。


「でも、どうして免許?お家に車もない状態で」

「うーん……軽なら在学中になんとか切り詰めれば買えるかなーと思って計画立ててたんだよ。練習は時々、佐山さんの車乗せてもらえればいいかな、と思ってたから」


 佐山というのは、遥が妹のように可愛がっている実花の家のお抱え運転手である。遥の父である昌の小説のファンという所から、遥と佐山は親交が深い。その繋がりで、遥は時折、佐山の監督の下ではあるが、車を運転させてもらっていたらしい。


「……で、昌さんが」

「そう。自分で買おうと思ってたんだからいいだろうって狙ってた車種を。気になるなら四年の間にお金返してくれればそれでいいって言われちゃってさ」

「そうだったんだ」

「まったく、普通にぽんと買われても俺が拒否するだろうってわかってるんだよね」


 困った顔で笑う遥は、とても複雑な表情をしている。けれど、どこか嬉しそうで、和も同じように微笑んでみせた。

 しかし、遥がこうも急いだのはなぜなのだろう。大学生になってからでも良かったろうし、車なんて学生時代に買うのは大変だろう。和は疑問に思ってそれを口にすれば、遥は再度、ゆっくりと微笑んで、今度こそ車を発進させて駐車場を出た。

 訊いてはいけないことだったろうか。

 ぼんやりとそう考えながら、和は車窓からのぞく街並をながめやる。

 和の大学からは、彼女の家よりも遥の暮らすマンションのがいくらか近い。それでも、おおよそはふたりの住む場所からの中間地点だ。

 彼女は車を運転する恋人の横顔をぼんやりと眺める。和は、新鮮さを覚えればハンドルを切る綺麗な手へと視線をうつした。しみひとつない白いきめ細やかな肌は、女性のそれと相違ない。いや、ひょっとすると女性よりも綺麗かもしれない。そこまで考えたところで、和と遥の視線が重なった。

 和がそれにぎくり、と一歩からだをひく。もっとも、車内なので気持ちの上で一歩分さがっただけで、多少上半身が揺れただけだった。彼女が前に視線をうつしてみれば、どうやら赤信号のようで、車は停止していた。

 情熱的ともいえる遥の視線に、和は一年以上も恋人を続ける男であるにもかかわらずどうしたらよいのかわからなくなる。時折、こういった感情を抱く。和にとって、もうずいぶんと慣れ親しんだ相手であり、もはや緊張したりする事などないとさえ思えるのに、こうやってふとしたときに、遥の熱にあてられては、がらにもなく頬を染めるのだ。そういうとき、和は奇妙にも、付き合いたての慣れない自分を思い出す。今でも彼女は初心な部分を持ち合わせてはいるが、それとこれとは少し感覚が違う。まるで、目の前にいる遥と、一度も触れ合ったことがないと錯覚するのだ。キスだけでなく、身体だって幾度と重ねているというのに。

 しかし、そんな気持ちを抱いているのは、決して彼女だけではなかった。

 頬を染めて困った様子になる愛しい恋人を見て、遥は内に秘める熱をもてあます。

 ふたりは、恋人で、それは誰の目から見てもあきらかであるほどに、遥は和を溺愛している。しかし、それは彼女に由るものが多分に含まれている。

 彼は、彼女に愛の言葉を囁くし、言葉だけではなく態度にだって示す。しかし、彼女はそんな彼の愛を当然だと思うことは一度だってない。どころか、今のように、まるで付き合いたての恋人同士であるかのように、遥の双眸に頬を染め、直視できないとばかりにふい、とそっぽをむく。遥は、そんな和が愛しくて仕方がない。どんなに言葉を伝えようとも、キスをしようとも、身体を重ねようとも、まるで初めてのあの日のように、彼女は遥を純粋な眼差しで見つめるのだ。

 そんなとき、遥は和を壊してしまいたい、と思う。

 衝動を、抑えられないと感じてしまう瞬間は、まさしくこんなときなのだ。思うまま、内にある熱を彼女に与え、注ぎ込んだそれをあますことなく受け入れて欲しいと感じる。

 いっそ果ててしまうで。

 遥はそこまで考えて、ふ、と自嘲する。そんなことをして、永遠に彼女を失ってしまえば、間違いなくおかしくなるのは遥なのだ。なにより大切にしたいと思う一方で、彼の中に眠る破壊衝動ともいえるそれを、彼女はどう思っているのだろうか。


「……和泉君てさあ」

「ん?」


 信号が青になり、遥が運転を再開させたことがきっかけなのか、それぞれの物思いがひと段落ついたからなのか、まずは和が口を開く。遥もそれに遅れることなく反応を示した。

 和は閉まっていた窓を全開までひらき、はあ、と大きく息を吐き出した。


「よっくまあ、そんな目で人のこと見れるよね。……何年経っても同じ顔で見られるのかもしれない可能性を考えたら私は心身ともにいくつあっても足りない気がするよ」


 和の言葉に、遥が無言になる。意味が伝わってないのだろうか、と考えて和が遥のほうへと顔を向けると、遥が眉間に思い切り皺を寄せ運転している。数瞬ののち、遥が、苛立ったように、ああもう!と叫び声をあげた。


「さっきから!なんなの!?」

「ええっ?」


 いまだ叫ぶように声をあげる遥に、和はまったくわからない、といったように疑問符を浮かべる。和がよくよく遥を見てみれば、うっすらと頬が赤い。先ほどの和の比ではないものの、どうしたのだろう、と和が遥の顔を確かめるようにまじまじと見つめる。


「……っ今もそうだけど!なんでそんなにこっち見てくるの?」

「え、ごめん、気が散る?」

「そうだけど、そうじゃない」

「言葉遊びがしたいの?」

「和、今俺が何考えてるかほんとになんにもわかってないの?」

「うん」


 何考えてるの?

 和がきょとん、と悪びれなく質問すれば、遥はおおげさともいえるほど大きなため息を吐いた。


「相変わらず……和は他人のことはよくわかるくせに、自分が関わると途端ににぶくなる」

「失礼な。自分に向けられる悪意には敏感なほうだよ」

「好意には鈍感なくせに」


 遥のいくぶんか低くなった声音に、和がうなり声をあげた。


「すっごいこっち見てくるからかわいくてキスしたくて仕方なかったんだけど」

「え」


 唐突ともいえる遥の告白に、和はなんとも抜けた音を発する。遥はそれに再度ため息を吐いて、言葉を続けた。


「で、そういう意味合いを込めて見つめれば顔赤くしてそらすしさ」

「…………」

「その照れた仕草がまたかわいいなあ、なんて思ってたら正確に意味合いを理解してくれてた上に何年経っても俺にどきどきしてくれるってことだよね?そういう宣言だよね、あれ」

「え、そんな曲解解釈にびっくり」

「まちがってる?」


 遥の問いかけに、和は間違っている、と言えないところが辛かった。あれは確かに、そういった意味合いにもとれるし、というか、そういう意味だ。何年経てば、彼に心臓を捻られるような感覚をさせられなくなるだろうか、と考えたのだが、なんだか一生無理な気が和にはしていたのだ。

 

「覚悟しておいてね」

「え……?」

「お仕置きもそうだけど。俺は今、愛が暴走しないよう抑えるのに必死なんだから」


 遥の言葉に、慄いた和はそれから車内で無言を貫いた。


 週末の逢瀬を終えて、大学に赴いた彼女は、まさしく満身創痍であった。

 お仕置き、と称した遥の行為は思いだすと赤面と蒼白を繰り返すようなもので、ただでさえ嫉妬深い遥に強く出れなかった和は月曜の朝まで結局マンションで過ごすはめになった。


「あ!いた!笹森さん!?」


 広い教室の隅でぐったりとしている和に、興奮気味で何人かの女性が話しかけてくる。和は内心でまずいと思いながらも、機敏に動けないからだをうらめしく思った。一応とばかりに短く返事をする。


「あんなにかっこいい彼氏いるなんて意外ー!」

「ほんっとそこらの芸能人よりかっこいいね!」


 どういう意味だ、と内心で呟きつつ、和はそりゃどうも、とてきとうに返事をする。その中でもグループのなかのひとりが、一際輝いた瞳で彼女をみつめてくるので、和はその視線が気になった。ほどなくして、理由は判明する。


「笹森さんと彼氏さんて、地元の高校で伝説のカップルなんだよね!?」

「えー、なにそれ?」

「私の友だちに笹森さんと同じ高校の子がいるんだけど、言ってた!彼氏のほうからの猛アタックで、笹森さんはずっと断ってたんだけど押しに負けて付き合うようになったって!」

「えええーそうなの!?てっきり笹森さんから告白したのかと思った!」

「ていうかなんでそんなことになったの!?」


 和は、ひとつの言葉が気になれば、静かに席を立ち上がる。

 緩慢としたその動作がしかし妙に恐ろしく、先ほどの勢いはどこにいったのか、女性たちは火が消えたかのように口をつぐんだ。

 和は、にっこりと微笑む。


「……差し支えなければ、そのお友だちの名前を教えてもらえるかな?」

「えっ、ええと、向井(むかい)由美(ゆみ)って言うんだけど……」

「げっ!向井さん!?」


 特別親しい人間はクラスメイトでは鈴木託斗だけであったが、和はその名に覚えがないわけではない。向井とは、二年次に和の前に座っていた女生徒だ。


「ちなみに、どこまで訊いた?」

「え?」

「その伝説とやらの内容、どこまで知ってる?」

「え?ええーとふたりの告白」

「あ、もういい」


 和は目の前の彼女の言葉を慌てて切った。告白という単語を聞けばわかる。恐らく、和がドッキリを仕掛けて遥を騙し、そこから校舎に出たすぐの所で告白シーンを全校生徒の前でかました時の事を言っているのだろう。一体どこからどこまで話したのか。和はため息を吐けば、改めて向井の友人にむきなおる。


「他言無用で」

「え」

「なるべくそれ、言いふらさないでほしいんだけど」


 和の有無を言わせない迫力に、わかった、と一応はうなずき席に戻って行った彼女だが、人の口に戸は立てられない。少なくとも、あのグループ内にはすっかり広まってしまうことだろう。


「……ああもう」


 頭痛を覚えて、和はもう一度席に着く。この広い大学全土に知れ渡るとは思えないが、逆に言ってしまえば、高校の頃のように噂を抑制する術も、和にはない。これから面倒な事が起こる予感は拭えなくて、和はなんとも憂鬱だった。


「和」

「! 夏目。この講義とってたんだ」

「おはよう」

「おはよう……相変わらずのマイペースっぷりで」

「和」

「はいはいなんですかー」


 多少おざなりに返事をすれば、夏目が無言で和の隣に座る。別に拒否をする理由も彼女にはないので、そのまま黙って頬杖をついていた。

 夏目は、隣の和をみつめれば、首を傾げる。


「高校を影で牛耳っていたっていうのは本当?」


 夏目の言葉に、和は憤怒すべきか呆けるべきかますます頭を抱えてしまった。



 

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