第一話「卒業」
開店休業。をお読みくださった皆様、お久しぶりです。
「笹森和」
「はい」
名前を呼ばれ、硬質な声が彼女から発せられた。
まだまだ寒い、しかしもうすぐ春がやってきそうな暦。大勢の人間が一堂に会する体育館で、普段は多少だらけた様子を見せる人間さえも整然とその空間に溶け込んでいた。
壇上にあがる和は、少し緊張しているのか、なんの感慨も抱いてはいないのか、なんとも判断がつきかねる無表情を貫いていた。
真っ直ぐと前を見据え、受け取った証書の重さは、彼女にとっていかばかりなのか。出番が終わり、並ぶ列に戻った和は、少しだけ安堵しているようにも見えた。
今日、笹森和は高校を卒業する。
長いお偉方の話も、今日だけは、永遠に続いてはくれないだろうか、と望む者もきっといるのだろう。高校生という短くも儚い青春を終える事に、恐らくはほとんどの卒業生が抵抗を覚えていた。
和は、自身を反芻して、しかし自分はどうであろうか、と問いかけていた。
出番も終わり、少し心に余裕が出来たと感じる和は、やはり先程まで緊張していたのだ、と気付く。それに少しの意外性を覚えながらも、悪くはない感覚であった。
『私の波乱に満ちた高校生活も今日で終わるってわけね』
苦笑して見つめる先にいるのは、今まさに頭を過ぎっていた人物だ。出番を済ませた和と同じように、壇上のすぐ下に並び背筋を伸ばして前を見つめている。緊張しているのかどうかは、やはり表情からは量りかねた。彼も無表情を貫いている。
「和泉遥」
「はい」
ついに、彼の名前が呼ばれた。そしてその瞬間、周囲がにわかにざわついた。和はそれに、苦笑を浮かべる。
和泉遥は、笹森和の恋人である。
恋人、という言葉で済ませてしまうと、それはひどく簡単なものに思えるが、そこに至るまでの紆余曲折、そして至ったあとの山やら谷やらは、思い出すだけでも疲れるようなものばかりだ。
なぜ、彼が呼ばれた瞬間、静寂が破られたのか。それは、和泉遥がまったく普通ではない人間であるからに他ならない。
遥は、学園のアイドル的存在である。今は、あった、というべきなのか。今日を持ってこの高校を去る和泉遥の、彼がもはや公認しているファンクラブは、はたしてここで解散となるのだろうか。それは本人すらもあずかり知らぬところであり、また恋人である和にもわからない問題であった。もっとも、和にとってそれはどうでもよい事である。
壇上に立つ遥の顔は、まさしく端正と言う他なかった。
歩くとさらりと流れる髪はぬばたまの黒。触れれば柔らかく繊細で、癖はいっさいない。黒目がちな瞳はぱっちりと大きく、綺麗な二重がのぞいている。まばたきをすれば上睫毛と下睫毛がこすれる音がしそうなほどに長く、数秒見つめられればいっさいがっさいがどうでもよくなる程魅力的だ。低くないしかし高すぎもない鼻はなにがしかの芸術作品として残しておきたいほどに完璧なバランスで、唇は赤く色付いている。どこをどうとっても完璧な美で成り立っている遥の顔、そして立っているだけで圧倒されるその雰囲気は、女性のみならず時に男性すらも魅了した。
しかし、もちろん例外はある。
この学校において、笹森和が普通だと言われ、笹森和がやはり普通ではないと言われる所以は、すべて彼、和泉遥から始まっていた。
卒業証書を受け取り、壇上からおりる為に設置された階段にさしかかると、遥はふいに床から視線をうつす。存在を認めると、無表情とはうってかわって、蕩けるような笑顔を顔中に湛えた遥が、しかし何を見て相好をくずすに至ったのかなど、ここにいる生徒、果ては教師までが知っている。
和は、真っ直ぐに自身をみつめる遥の視線を真正面から受け止めれば、呆れのため息をひとつ吐き出して何事もなかったかのように無表情を貫いた。
今かわされたやりとりが、ある種ふたりの力関係を物語っている。
和泉遥は、笹森和を愛している。
いや、溺愛している。
彼と彼女について語るにはまず、大袈裟すぎる程の言葉を操らなくてはならず、時としてそれは語る人々を詩人にさせるだろう。
ある者はふたりの愛は永遠なのだと呟き、またある者は彼は愛の奴隷であり、それを容認する彼女もまた深い愛情を彼に抱いているのだと語った。
きっかけは、学園アイドルからの猛烈なアプローチからであった。
『君のすべてを、俺にくれませんか?』
そう言った彼の瞳は、真剣そのものだった。
学園のアイドルだと周りが言って憚らない遥から、放課後に人気のない屋上まで呼び出されるという稀有な体験をした笹森和嬢は、しかし更に未知なる体験をするに至った。
好きです、と言われるよりもある種強烈な告白に、しかし和は胡乱気な視線を寄越しつつこう応える。
『意味はわかりませんが、結論を言わせていただきましょう。嫌です』
頬を赤らめるでもなく、戸惑いを口に乗せるでもなく、和はきっぱりと彼を拒絶したのだ。
そもそも。
和は遥に屋上へついてきて欲しいと言われた時点で、面倒事であると内心で思っていたくらいで、学園のアイドルをかっこいいと思わないでもないが、はっきりいって関わりたくもなければ趣味でもなんでもない、と早い段階で一蹴していたという、彼女自体が非常に稀有な思考回路の持ち主であった。
目立ちたくない。自分がいる極上の世界を踏み荒らされたくない。彼女が思う目下最優先事項はまさしくそれであり、どんなに上等な男が寄ってこようと、それは揺らぐ事はなかった。
遥は、そんな彼女を諦める事ができずに、とにかく追い求めた。
追い求めて、逃げられて、また追って、を繰り返せば、息切れをしたのは和が先だった。
彼女らしい形で彼の告白に応え、遥の猛攻から四ヵ月後、めでたくふたりは結ばれた。
そこからは大団円、ともいえず、色々な問題が起こり、しかしすっかり普通ではなかったと判明した和は、遥のファンからえげつない嫌がらせを受ければそれ以上の悪事でもってこれを制し、遥の婚約者があらわれれば持ち前の意外性で恋敵であるはずの女の子をすっかり妹分におさめてしまった。仲違いをし、学校全体を巻き込んで仲直りをした事もある。
遥と出逢ってから、和の世界は確実に広がった。それが嬉しくもあり、しかし面倒臭くもあった和は、結局自分の感情を殺すこともなく、何も変わらず日々を過ごした。
ひとりの時間が大切だと感じればそれを優先し、べったりとくっつきたがる遥に説教をし、それでも彼と過ごしたい時は素直に過ごしてきた。
遥は和を溺愛し、しかし今となっては和も遥を深く求めている。それでも、和が自分の世界を失う事はない。
つまり、笹森和は全然まったく普通ではなかった。
そんな笹森和が、和泉遥というどこまでも普通ではない男と恋人になることは、もはや自然であるとさえ思える。今となっては、周囲はすっかり祝福していて、ふたりは伝説のカップルになりつつあった。
しかして、そんなふたりが今日、卒業する。
学校は、元々流れる惜別という名の空気を、卒業生のみならず在校生ほぼ全員が、その空気を背負って今日という日を迎えていた。
「和!」
彼に尻尾というものがあったならば、今まさに激しく振り回せれていることだろう。和はそんな事を馬鹿馬鹿しいと思いつつも考えてしまって、苦笑を浮かべる他なかった。
突進せん勢いで迫り来る彼をひょい、と横に避ければ、叩かれた肩に気付いて和は後ろを振り返る。
「和、卒業おめでとう」
「梓さんも、おめでとう」
自然な茶の長い髪を揺らしつつ、まるでモデルのように美しい少女が、和へと笑いかけた。遥と並べばある意味では完璧な美が成立するかもしれない。事実、かつて彼女は遥の隣に立っていた女性である。そんな彼女がなぜ和に笑いかけ、また和も梓に笑いかけるに至ったのか、それを語るには今は少しばかり時間が足りない。とにもかくにも、彼女達が今は友人同士であるというのは、紛れもない事実である。
「梓さん、確か県外だったよね」
「そ、四月から一人暮らしよ」
肩を竦める彼女に、和は二人じゃなくて?と意地悪い笑いを向ける。
「おい、余計な事を口にするな」
「! 託、いきなり登場しないでよびっくりするな」
呆れ顔で二人の会話に割り込んできたのは、現、梓の恋人であり、和の幼馴染みでもある鈴木託斗である。どこか中性的な雰囲気も持つ遥とは裏腹に、精悍な顔付きをしている託斗は、ほどほどに短い髪を少しだけ風に揺らしながら、多少剣呑な雰囲気で目を眇めている。
かつて、託斗は和に淡い恋心を抱いた事もあったが、結果は現在に至る。託斗はたびたび遥に同情心めいた言葉を口にし、早々に梓を好きになれたことに心から喜びを覚えているようであった。現在も、二人は問題なく交際を続けている。
「和!なんで俺を無視して鈴木君やら梓やらと会話しだすの!?」
「だって別に和泉君とはいつでも会話できるじゃん」
「あら、私と託斗だってそんな遠くに行くわけじゃないもの。いつだって遊びにきたらいいわ」
梓の言葉に今度は意地の悪い笑みを浮かべることなく疑問符の浮かんだ顔で目を丸くした和が、先程と同じせりふを繰り返す。
「あれ、やっぱり二人暮らし?」
それにやはり先程と同じように呆れ顔を向けた託斗は、うんざりとした声を上げる。
「梓、誤解を招くような事を言うな。単に家が近いだけで、別に二人で暮らすわけじゃない」
ふうん、と声を上げつつ、しかし頬を赤らめた梓を視界に留めると、ふたたび和にいやらしい笑いが浮かんできそうである。託斗は短く行くぞ、と告げて、早々に姿を消した。
「笹森チャ~ン、卒おめ!」
「なんでも略すのはよくないな、宮田君」
「はい、ごめんなさい」
今日はおさえ気味の格好も、しかしそれでも周りよりは浮いて見える。伸びきったセーター、引きずられたズボンの裾がいかにも遊び人であると語っていそうで、ポケットにはなにが入っているのか、彼が動くたびちゃり、と音が鳴った。
「浩平、和に近付くな」
和と微笑み合うこの男は、同じく今日を持って高校を卒業する宮田浩平である。遥とは中学時代からの付き合いで、彼が心を許した唯一の友人ともいえる。
しかしそんな親友とて、和に少しでも近付こうこのならば反応してしまうのか、不機嫌顔を隠すこともなく、遥は二人のあいだにぐい、と割って入った。しかし浩平は、今日ばかりはそれが不満のようだった。
「今日は握手くらいしてもいいじゃん!なんなら抱擁!」
「潰す」
「冗談だってば!」
殴りかかろうとする遥から逃げるように去っていく浩平を微笑みつつ眺めていると、なんともけだるそうな声が辺りに響き渡る。
「おーい、そろそろ教室もどれよ卒業生ー」
最後のHRを終えれば、いよいよ高校生活が幕を閉じる。和の担任である長島円の声につられて何人かの生徒が返事をすれば、卒業生は思い思いに校舎内へと歩を進める。和は遥を待つのも面倒で、同じように校舎内へと溶け込んでいった。
後方で名前を呼ばれた気がしたが、和は聞こえないふりをした。
「んじゃ、これで解散なー。おまえら、せいぜい元気でやれよ」
なんとも情緒のない言葉と共に、最後の最後までクラスからブーイングを貰いつつ、三年三組は解散した。全てを終えた生徒達が教室内で抱き合ったり、涙声で元気でね、などと囁きあっている。和は静かにその場をあとにすれば、廊下を迷いなく進む。
三年間共に過ごした校舎も、明日からは通う事はなくなる。吸い込んだ空気は、まさしく学校のにおいそのもので、いつしかこれを忘れ、またなにかの機会でこれに出逢えば、郷愁めいたものを覚えるのだろうか、と和は多少感傷的な気分になる。
図書室は、今日も開放されていて、和はゆっくりとそこへ立ち入れば、すぐに名を呼ばれた。
「笹森さん、卒業おめでとう」
「高橋君。卒業おめでとう」
和を見て微笑む男子生徒に、和も同じように笑みを返した。
図書委員を務めていた高橋とは、なんだかんだ長い付き合いになった。特別親しいわけでもなかったが、同じく本好きということもあり、なにかと情報交換をしたものだ。和は貸し借りしたあれやこれやを思い出して、カウンターに腰かける高橋へと視線をやる。
「そういえば、この中に隠れてたこともあったんだっけ」
「ああ、懐かしいねえ。あのときの笹森さんもそうだけど、和泉君もなかなか怖かったな」
「そうかなあ」
それはいつかの話で、遥の取り巻きがこの図書室を訪れた時、高橋にカウンター内へと匿ってもらったことがあったのだ。ふたりはそんな思い出を振り返り、笑い合った。
やがて高橋が図書室をあとにし、和は奥へと歩を進める。ふと、見慣れた生徒が目に入って、和は声をかける。
「時任君」
「……和先輩、卒業おめでとうございます」
「…………ありがとう」
後輩連中が何人も遥や浩平や梓に話しかけていたが、そういえば彼の姿を先程見かけなかった。和が沈黙して時任をみつめると、時任はふ、と笑んだ。
「ここならふたりきりになれるかな、と思って」
「……あそう」
和が時任に告白というものをされたのは、既に遥と恋仲になってからのことだった。それからこの後輩はなにかと和にちょっかいをかけてはきていたが、きっともう恋慕の感情もないのだろう、と和には思えていた。和にとっても、もはや後輩でしかない。
「和先輩、好きでした」
「時任君」
「最後くらいかっこつけてこんなこと言ってもいいでしょ?」
「……まあ、よしとするよ」
「最後まで厳しいんだから!」
「あはは」
もう、と憤慨する時任に、和は笑い声をあげる。しかし次の瞬間、ふと真顔になった時任に、和は少しだけ心臓を跳ねさせる。先ほど後輩だと思ったばかりなのに、ふいに男の顔を見せられて、にわかに彼女は動揺した。
「ねえ、最後にひとつだけお願いしても良い?」
小首を傾げる時任に、和はどこか嫌な予感を覚えつつ眉根を寄せる。
「……なに?」
「抱きしめさせて」
「…………」
「だめ?」
少々考えたが、抱擁くらいならば、と和は了承の意を込め頷いた。時任がありがとう、と緊張した面持ちで微笑めば、ゆっくりと和に近付く。
ふわり、と時任の体温が和に伝わり、まわされた腕の力はしかし決して強いものではなかった。和は抱きしめられた状態で、彼の続きを待つ。
「……卒業しても、元気でね」
「ん、時任君も」
「…………さよなら」
最後の言葉が、震えていた。和はそれに気付かないふりをして、同じようにさようなら、と返した。離れ難いといわんばかりに、とても緩慢な動作で和を手離した時任に、再度別れのあいさつを告げれば、和は図書室をあとにした。
しんみりとした気持ちのまま、次に向かったのは鍵が壊れた空き教室だ。よくお昼ごはんをとっていたことを思い出し、和は微笑む。
「和さん!」
「! 実花ちゃん。どうしてここ……」
「ふふ、遥と和さんが卒業するんだって思ったらここに来たくなっちゃったの。寒いからミルクティーを買ってこようと思って席を外しているところだったのよ」
「そうだったんだ」
微笑む実花の手には、暖かいミルクティーの缶が握られていた。青いラベルを一瞥し、和も微笑を返す。松永実花は、かつて遥の婚約者だった。わがまま放題で育ったお嬢様の実花が今は人を思いやれるようになったのには、和がある程度関係しているものの、本来の彼女によるものだったのだろう、と和は感じている。
すっかり可愛い妹分になった実花は、座る和の隣を陣取って、甘えたように和の肩へ自身の頭をあずける。和はそれを特に不快に思うこともなく、優しい仕草で撫でてやる。
「……寂しいなあ」
「ん?」
「もう、三年の教室に行っても、和さんにも遥にも会えないのね」
「それはまあ……ていうか実花ちゃんや時任君が使うわけでしょ、三年の教室」
苦笑する和に、実花がそうよね、と口を尖らせる。自分では処理しきれない感情が、彼女の中には渦巻いているのだろう。それもまた愛らしいと感じて、和は優しい微笑を湛える。
「でも、実花ちゃんとはいつでも会えるよ?あのマンションに卒業するまでは住むんでしょ?」
「ええ。隣に佐山が暮らしてくれることになったの」
「え、これから一年間?」
うん、とうなずく実花に、和は目を丸くする。
佐山とは、松永家お抱えの運転手であり、実花にとっては第二の兄のように慕っている存在である。ちなみに第一は遥だ。
はじめは、お手伝いを雇い、隣もしくは実花の部屋に同居してもらおうと考えていたようだが、心配性な実花の父親である晴臣が、男手がほしいと今回の件を進言したようだ。確かに佐山が隣に暮らせば安心ではあるが、和はそれに別の心配事が増えやしないだろうか、と疑問を浮かべた。
『まあ、あのひとも人一倍、理性があるひとではあるけど。どうなんだか』
適度な距離が縮まってしまえば、果たしてどうなってしまうのだろうか。考えつつ、和はしかし実花に何を言うでもなくそうなんだ、と返事をするだけに留めた。
実花と分かれて、次に向かうのが和の最終目的地だ。確信を持ってそこに近付けば、和は扉に手をかける。
やはり。
すんなりとまわったドアノブに微笑み、和はそのまま屋上へと続く扉を開いた。
「……和」
「うわ、寒いね。けっこう居た?」
和の言葉に、遥が少し前に来たばかりだ、と首を振る。しかし唇がすっかり色を無くしていた為、恐らく嘘をついたのだろう、と和にはわかった。
「ねえ和」
「んー?」
「これからもよろしくね」
「うん」
「…………ふふ」
遥のよろしく、という言葉に、隣に立つ和が当然のように返事をすれば、遥が不気味な笑い声をあげる。それが奇妙で和が一歩後退すれば、遥はだって、と唇を尖らせた。
「ここで和と話した時は、卒業するまでもあとも、いっしょにいられるなんて思ってなかったし。それを考えると嬉しくて。ずっといっしょにいようね」
「それはわかんないけど」
「またそういうこと!」
「うん、まあでも、そうね、努力はずっとしていきたいね。いっしょにいたいから」
和の言葉に感動したのか、遥が愛しい恋人をちからいっぱい抱きしめる。突然の行動にも、しかし驚くことなく受け入れれば、和は遥の背中に自身もそっと腕をまわした。
「…………」
「? 和泉君」
無言になる遥を訝り、和が声をかければ、抱きしめていた遥が一歩離れて彼女をみつめる。
和は、それにぎくり、とした。
理由はわからないが、遥の瞳が据わっている。これはかなりの危険信号だ。そのまま腕の中から離れようと和が身動ぎすれば、しかし彼はそれを許さない。
腰にまわした腕に力をこめて、遥が耳元で囁いた。
「これ、誰のにおい?」
低い声に、なにも身構えていなかった和はらしくなく動揺を示した。本来、ポーカーフェイスは彼女がもっとも得意とするところなのだ。
「実花と会ってきたって言うのはわかる。でもあきらかに男のにおいがするんだけど」
「いやいやいやいや、なんか言い方がいかがわしいよ!」
「…………時任?」
遥の言葉に、今度こそかたまった和を、遥は確認すれば微笑んだ。
「そう。お仕置き決定だね」
「ちが、これはその、最後のあいさつみたいな」
「詳しい事は帰ってから訊くから。行こうか」
悲痛な叫び声が校舎中に響き渡る。しかしそれを不審がるものはいない。この学校で和が何度となくこういった類の声を響かせているのは、皆のよく知るところであるのだから。
和泉遥と笹森和は、学校公認のバカップルだ。
それは卒業式を迎えた本日も、変わることはなかった。
ストックをためておけばいいのにそれをせずに…
不定期にならないようなるべく頑張りますがしばらくは間があくかもしれないです…すいません…!