何ひとつ永遠なんてなく、いつか、すべてにかえるのだから、君はうつくしいと
彼女は、よく消えそうになる人だった。
初めて会ったのは、放課後の理科室。窓から差し込む光の中で、彼女はガラス瓶を透かして見ていた。まるで、自分がそこにいないみたいに。
「何してるの?」
声をかけると、彼女はゆっくり振り向いた。少し驚いた顔のあとで、すぐに笑う。
「光を見てたの。ほら、きれいでしょ」
そう言って差し出された瓶の中には、ただの水しか入っていない。けれど、確かに光は揺れていた。形のないものが、そこにあるみたいに。
それから、時々一緒に過ごすようになった。
彼女は名前を教えてくれたけど、不思議と呼ぶ機会は少なかった。代わりに、どうでもいい話をたくさんした。好きな音楽とか、昨日見た夢とか、将来のこととか。
でも将来の話になると、彼女は決まって少し遠くを見る。
「ねえ」
ある日、彼女が言った。
「ずっと続くものって、あると思う?」
少し考えてから、俺は答えた。
「あるんじゃない。少なくとも、そう思いたい」
彼女は小さく首を振る。
「私はね、ないと思う」
その声は、やけに静かだった。
「何ひとつ永遠なんてなくて、いつか、全部元に戻るの。形がなくなって、混ざって、わからなくなる」
理科室の窓の外で、風が木を揺らしていた。
「でもさ、それって悲しくない?」
思わず言うと、彼女は少しだけ笑った。
「ううん。だからこそ、きれいなんだよ」
その言葉の意味を、そのときの俺はちゃんと理解できなかった。彼女が学校に来なくなったのは、それからすぐだった。
最初は風邪だと思った。次は、用事かなって。でも一週間、二週間と過ぎても、彼女の席は空いたまま。
誰も詳しいことは知らなかった。ただ一度、担任が言った。
「しばらく休むそうだ」
それだけだった。
気づけば、理科室にも行かなくなっていた。
あの場所に行けば、また彼女がいる気がして。でもいない現実を見るのが、少し怖かった。
それでも、ある日の放課後、ふと思い出したように足が向いた。扉を開けると、あのときと同じように光が差し込んでいる。けれど、そこに彼女はいない。
代わりに、机の上に一つだけ、ガラス瓶が置かれていた。
中には、水。そして、揺れる光。
瓶の下に、小さな紙が挟まっていた。
「君は、たぶん忘れてしまうと思う」
そんな書き出しだった。
「私のことも、この時間も。人はそうやって生きていくから」
読み進める手が、少し震える。
「でもね、それでいいんだよ。全部が残ってしまったら、きっと重すぎるから」
窓の外の光が、瓶の中で揺れる。
「何ひとつ永遠なんてなくて、いつか、すべてにかえるのだから」
最後の一行だけ、少しだけ文字がにじんでいた。
「君はうつくしいと、私は思う」
紙を持つ手が止まる。
そのとき、やっとわかった気がした。
彼女が言っていたこと。消えていくから、今がある。
残らないから、触れた瞬間が特別になる。
瓶の中の水は、ただの水だ。
けれど、そこに映る光は、二度と同じ形にはならない。
彼女も、きっとそうだった。
もう会えないかもしれない。
名前も、そのうち思い出せなくなるかもしれない。
声も、仕草も、全部。それでも。
あの放課後の光だけは、なぜか消えなかった。
揺れて、歪んで、それでも確かにそこにあった。
だから俺は、瓶をそっと持ち上げて、光に透かした。
何も残らない世界の中で。
それでも、確かにここにあったものを、見失わないように。彼女が言った通りに。その儚さごと、美しいと思えるように。




