第10話 継がれるもの
「……エレナ、大丈夫か」
カイド様の震える声が、耳元で聞こえた。
私はベッドの上で浅く呼吸を繰り返しながら、ぎこちなく頷いた。
「ええ……大丈夫です。まだ、陣痛の間隔は……少しありますから」
季節は巡り、木々の葉がすっかり落ちた初冬。
予定日よりも少し早かったけれど、ついにその時が訪れた。
夜明け前、下腹部に鈍い痛みが走り、それが規則的な波となって押し寄せてきている。
寝室には、セバスチャンが手配した医師と産婆が控え、湯やタオルの準備が進められている。
カイド様は私の手を握ったまま、顔面蒼白で固まっていた。
戦場では決して取り乱さない彼が、今はまるで迷子の子供のようだ。
「カイド様……少し、力を抜いてください。……手が、痛いです」
「あ、ああ! すまない!」
彼が慌てて手を離そうとするので、私はそれを引き留めた。
「離さないで。……そばにいてください」
「もちろんだ。……何があっても、離れるものか」
彼が再び、今度は優しく手を握り返す。
その温もりが、陣痛の痛みを和らげてくれる気がした。
コン、コン。
控えめなノックの音がして、扉が少しだけ開いた。
「ママ……?」
ルカとリナだ。
まだ夜明け前だというのに、屋敷の慌ただしさを察して起きてきたのだろう。
パジャマ姿の二人が、不安そうに顔を覗かせている。
「入ってはいけません!」
産婆が厳しい声で止めようとした。
出産は子供に見せるものではない、という配慮だろう。
けれど、私は首を横に振った。
「いいえ……入れてあげて」
「しかし、奥様……」
「大丈夫です。……この子たちにも、新しい家族を迎える瞬間を、共有してほしいのです」
私の願いを聞き入れ、カイド様が頷く。
ルカとリナはおずおずとベッドサイドまで来て、私の顔を覗き込んだ。
「ママ、痛いの? アカチャン、うまれるの?」
リナが涙目で聞く。
「ええ。もうすぐよ。……あなたたちの弟か、妹に会えるわ」
「がんばって、ママ」
ルカが私の汗ばんだ額を、小さな手で拭ってくれた。
その手が震えているのがわかる。
怖がらせてしまっているかもしれない。
でも、命が生まれるということは、綺麗事だけではない。
痛みと、苦しみと、そしてそれを乗り越えた先にある喜び。
それを知ってほしかった。
「ルカ様、リナ様。……あなたたちにお願いがあるの」
私は痛みの波が引いている隙に、言葉を紡いだ。
「これから生まれてくる子は、とても小さくて、弱い存在よ。……だから、あなたたちが守ってあげてね」
「うん! まかせて!」
「リナ、おねえちゃんだもん! だっこしてあげる!」
二人が力強く頷く。
その瞳には、もう不安はない。
兄として、姉としての自覚と、決意が宿っている。
「ありがとう。……でもね、覚えておいて」
私は二人の手を握った。
「赤ちゃんが生まれても、パパとママにとって、あなたたちは一番大切な宝物よ。……それだけは、絶対に変わらないわ」
一番伝えたかったこと。
新しい命が生まれることで、自分たちが愛されなくなるのではないかという不安。
それを拭い去るために、私は言葉を尽くした。
「あいしているわ、ルカ。……あいしているわ、リナ」
「……うん。僕も!」
「リナも、ママがいちばんすき!」
二人が私に抱きつく。
その重みと温もりが、私に最後の力を与えてくれた。
「……うっ!」
大きな痛みの波が来る。
産婆が声を上げた。
「旦那様、お子様方を!」
「わかった。……ルカ、リナ、あっちで待っていてくれ」
カイド様が二人を部屋の隅にあるソファへ誘導し、またすぐに私の元へ戻ってきた。
彼は私の頭を抱き寄せ、耳元で囁き続ける。
「頑張れ、エレナ。……君ならできる。俺がついている」
その声だけを頼りに、私は呼吸を整え、痛みに身を任せた。
そして、夜明けと共に。
オギャァァァ!
元気な産声が、屋敷中に響き渡った。
「生まれました! 元気な男の子です!」
産婆の声が、祝福のラッパのように聞こえる。
私は全身の力が抜け、ベッドに沈み込んだ。
涙が溢れて止まらない。
「エレナ……! よくやった! ありがとう……!」
カイド様が私を抱きしめ、何度もキスを降らせる。
その頬も涙で濡れていた。
産湯を使われ、白い産着に包まれた赤ちゃんが、私の腕の中に連れてこられた。
小さくて、赤くて、くしゃくしゃの顔。
けれど、その瞳はカイド様と同じ、美しいヴォルグ・ブルーだった。
「……アステル」
私が名前を呼ぶと、赤ちゃんは小さくあくびをした。
「アステルか。……いい名前だ」
カイド様が指先で赤ちゃんの頬に触れる。
その指を、小さな手がぎゅっと握り返した。
「うわぁ……ちっちゃい!」
ルカとリナが、ベッドの縁から顔を出した。
目を輝かせて、新しい弟を見つめている。
「かわいいねえ」
「おてて、あったかいよ」
二人がそっと触れると、アステルは安心したように目を細めた。
窓の外から、朝日が差し込んでくる。
新しい一日。
そして、新しい家族の始まり。
私は幸せな光景を目に焼き付けた。
愛する夫。
頼もしい子供たち。
そして、生まれたばかりの希望。
かつて「愛はない」と言われたこの場所は、今、世界で一番愛に溢れた場所になった。
これ以上の幸せなんて、もう望まない。
ただ、この温かい陽だまりの中で、みんなと一緒に生きていきたい。
継がれるもの。
それは血や家柄だけではない。
私たちが紡いできた愛と絆が、この子たちに、そしてその次の世代へと、確かに受け継がれていくのだ。
私はカイド様を見上げ、微笑んだ。
言葉はいらない。
私たちの物語は、これからも続いていくのだから。
(完)
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