第7話 名付けの悩み
「……カイド様、それはさすがに」
私はティーカップを置き、目の前に並べられた羊皮紙のリストを指差した。
そこには、達筆な文字でびっしりと名前の候補が書き連ねられている。
「なぜだ? どれも由緒正しい名前だと思うが」
カイド様が真剣な顔で首をかしげる。
彼はこの数日間、暇さえあれば書庫に籠り、古今の文献を漁って赤ちゃんの名前を考えていたのだ。
その熱意は素晴らしい。
素晴らしいのだが、方向性が少しばかり……いや、かなりずれている気がする。
「ええと……『ガルガンチュア』?」
「うむ。伝説の巨人の名だ。強く逞しく育つようにとの願いを込めて」
「女の子だったらどうするんですか」
「む……では『ブリュンヒルデ』はどうだ。戦乙女の名だぞ」
「……強すぎます。もっとこう、可愛らしい響きの名前はないのですか?」
私が溜め息交じりに言うと、カイド様は眉間に皺を寄せ、腕を組んで考え込んだ。
ヴォルグ家の歴代当主の名前は、確かに強そうなものが多い。
カイド、ヴォルフ、グスタフ……。
武門の家柄としては正解なのだろうけれど、平和な時代に生まれた子供に背負わせるには、いささか重厚すぎる。
「ルカ様、リナ様はどう思う?」
私はソファで絵本を読んでいた子供たちに助け船を出した。
二人は顔を見合わせ、クスクスと笑いながら近づいてきた。
「ガルガンチュアは、強そうだけど……呼びにくいよ」
ルカが正直な感想を述べる。
「リナはねえ、お花のなまえがいいな! 『リリィ』とか、『ローズ』とか!」
「花か……。確かに可憐だが、少し弱々しくはないか?」
カイド様が難色を示す。
どうやら彼の中では、「強さ」と「可愛さ」の両立が最大の難関らしい。
「カイド様。この子は、戦うために生まれてくるのではありません」
私は優しく諭した。
「愛されて、幸せになるために生まれてくるのです。だから、呼ぶたびに心が温かくなるような、そんな名前がいいわ」
「……心が温かくなる名前、か」
カイド様は私の言葉を反芻するように呟き、リストを机に置いた。
そして、私のお腹をじっと見つめる。
「俺は……不器用だ。気の利いた名前など、思いつかないかもしれん」
「そんなことはありません。あなたが一生懸命考えてくれた名前なら、この子はきっと気に入りますよ」
私が手を握ると、彼は少し照れくさそうに目を伏せた。
「……もう少し、考えさせてくれ」
その日の夜。
子供たちが寝静まった後、私たちはテラスに出て、夜風に当たっていた。
満天の星空が広がっている。
北の空は澄んでいて、星々が宝石のように輝いている。
「綺麗ですね」
「ああ。……昔、戦場で野営をした時、よくこの星空を見ていた」
カイド様が夜空を見上げながら、ポツリと語り出した。
「孤独だった。寒くて、痛くて、いつ死ぬかもわからない。……そんな時、星の光だけが救いだった」
彼の言葉に、胸が痛む。
私が知る前の彼は、いつも一人で戦っていたのだ。
誰にも頼らず、弱音も吐かず、ただひたすらに。
「でも、今は違う」
彼が私の肩を抱き寄せた。
「隣に君がいる。子供たちがいる。……この星空を見ても、もう寂しくはない」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で一つの言葉が浮かんだ。
「……ステラ」
「え?」
「『ステラ』はどうでしょう。……星という意味です」
私は夜空を指差した。
「暗闇の中で輝き、道を示してくれる光。カイド様を孤独から救ってくれた星のように、この子も誰かの希望になってほしい」
カイド様が目を見開く。
そして、ゆっくりと口の中でその名を転がした。
「ステラ……。美しい響きだ」
「男の子なら、『アステル』はどうかしら。同じく星を意味する言葉です」
「アステル……。強く、気高い響きもあるな」
カイド様の表情が、パッと明るくなった。
先ほどまでの悩み顔が嘘のように、納得した顔をしている。
「いい名前だ。……それにしよう」
「気に入っていただけましたか?」
「ああ。俺たちの子供に相応しい」
彼は私のお腹に手を当て、優しく撫でた。
「聞こえるか。お前は、俺たちの星だ」
お腹の赤ちゃんが、ポコンと動いた。
まるで「気に入ったよ」と返事をしているかのように。
「ふふ、喜んでいるみたいですね」
「そうだな。……早く呼んでやりたい」
カイド様は本当に嬉しそうだ。
強さだけでも、可愛さだけでもない。
私たちの想い出と、願いが込められた名前。
それが決まったことで、新しい家族を迎える準備が、また一つ整った気がした。
翌朝。
朝食の席で、名前の候補を発表すると、子供たちは大賛成してくれた。
「ステラちゃん! かわいい!」
「アステルくん! かっこいい!」
ルカとリナが口々に呼んでみる。
その響きが、食卓を明るく彩る。
「どちらになるかは、生まれてからのお楽しみですね」
セバスチャンが給仕をしながら、目を細めて言った。
彼もまた、こっそりと名前の刺繍入りの産着を準備し始めるに違いない。
「男の子でも女の子でも、僕たちが守ってあげるよ!」
ルカが頼もしく宣言する。
リナも「おねえちゃんが、えほんよんであげる!」と張り切っている。
私は幸せな気持ちで、家族の笑顔を見渡した。
名前が決まるということは、その存在がより具体的になるということだ。
まだ見ぬ我が子が、もうすぐここにやってくる。
その日が待ち遠しくてたまらない。
窓の外では、蝉の声が響いている。
夏はもうすぐ終わる。
そして、実りの秋がやってくる。
私たちの「星」が、この世界に降り立つ季節が。




