表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第5章開始!】「愛はない」と言われた契約妻ですが、子供たちを愛でるのに忙しいので旦那様は空気として扱います  作者: 月雅
第5章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

42/45

第2話 小さな先生



「お勉強の時間です」


 その声は、部屋の温度を一度下げるような冷ややかな響きを持っていた。


 子供部屋の扉が開き、一人の女性が入ってきた。

 きっちりと撫でつけた茶色の髪、鼻にかかった銀縁眼鏡、そして皺ひとつない紺色のドレス。

 手には分厚い教本と、指揮棒のような指示棒を持っている。


 新しく雇われた家庭教師、ソフィア先生だ。


「さあ、お遊びは終わりです。ルカ様、リナ様、席に着いてください」


 彼女は部屋の真ん中で遊んでいた子供たちを見下ろし、厳しく言った。

 ルカとリナは、手作りのおもちゃ――カイド様が作った歪な木の剣や、私が教えた折り紙の動物たち――を慌てて背中に隠した。


「……はーい」


 不承不承といった様子で、二人は小さな学習机に向かう。

 その背中は丸まっていて、これから始まる時間が楽しくないことを雄弁に物語っていた。


 私は部屋の隅にあるソファから、その様子を見守っていた。

 セバスチャンが選んだだけあって、ソフィア先生は優秀だ。

 王都の名門貴族の子息を何人も教育してきた実績があり、礼儀作法から歴史、算術に至るまで、完璧なカリキュラムを持っている。


 けれど、少しばかり真面目すぎるのが難点かもしれない。


「まずは文字の書き取りから始めます。姿勢を正して。……リナ様、背筋が曲がっていますよ」


 ピシリ、と指示棒が机を叩く。

 リナがビクリと肩を震わせ、慌てて背筋を伸ばす。


「ルカ様、ペンの持ち方が違います。貴族としての品格は指先に宿るのです。何度言えばわかるのですか?」


「ご、ごめんなさい……」


 ルカが萎縮して、さらにペンを握りしめてしまう。

 悪循環だ。

 以前の「恐怖による支配」とは違うけれど、この張り詰めた空気は、自由な発想を持つ子供たちには窮屈すぎる。


「先生」


 私は見かねて声をかけた。


「もう少し、リラックスさせてあげてもよろしいのではなくて? まだ六歳になったばかりですし」


 ソフィア先生は眼鏡の奥の目を光らせ、私に向き直った。


「奥様。甘やかしは子供のためになりません。辺境伯家の跡取りとして、そしてご令嬢として、彼らには相応の教養を身につけていただかねばなりません」


 正論だ。

 ぐうの音も出ないほど正しい。

 けれど、正しさだけで子供が育つわけではない。


「……そうですね。でも、学ぶことは楽しいことだと思ってほしいのです」


「楽しい?」


 彼女は心底不思議そうに首をかしげた。


「勉強とは、己を律し、知識を蓄える苦行です。楽しむものではありません」


 ああ、これは手強い。

 彼女の中では「教育=厳格な訓練」という図式が出来上がっているようだ。

 前世の保育士としての経験が、「それは違う」と叫んでいるけれど、ここで口論しても子供たちを不安にさせるだけだ。


「……少し、休憩にしましょうか」


 私は提案した。

 ソフィア先生は不満げだったが、女主人の言葉には逆らえず、渋々ながら休憩を認めた。


「ふぅ……」


 ルカとリナが同時にため息をつき、机に突っ伏した。

 可哀想に。

 本来なら外を駆け回りたい盛りなのに。


「ねえ、二人とも。ちょっとこっちへいらっしゃい」


 私が手招きすると、二人はのろのろと近づいてきた。

 私は懐から、色とりどりの紙を取り出した。


「折り紙?」


 ルカの目が少し輝く。


「ええ。勉強ばかりじゃ疲れちゃうものね。……ソフィア先生も、ご一緒にいかがですか?」


 私は敢えて、堅物の先生を誘ってみた。

 彼女は眉をひそめた。


「私は結構です。そのような庶民の遊びに興味は……」


「あら、これはただの遊びではありませんよ。幾何学の勉強にもなりますし、指先の訓練にもなりますの」


 私は一枚の紙を手に取り、手早く折り始めた。

 山折り、谷折り。

 正確に角を合わせ、折り目をつける。


「見てください。一枚の正方形が、立体的な形に変わるのです」


 数分後、私の手の中には美しい「鶴」が完成していた。


「……ほう」


 ソフィア先生が、思わずといった様子で眼鏡を押し上げた。

 興味を引いたようだ。


「ルカ様、リナ様。先生に折り方を教えてあげてくれないかしら?」


「えっ? 僕たちが?」


 ルカが驚く。

 いつも教わる側だった自分が、先生に教えるなんて。


「ええ。あなたたちは『折り紙の先生』よ」


 私がウィンクすると、ルカとリナは顔を見合わせ、そしてニヤリと笑った。

 子供にとって「先生役」を任されることほど、自尊心をくすぐられることはない。


「いいよ! 先生、ここ座って!」


 リナが自分の隣の席を叩く。

 ソフィア先生は戸惑っていたが、子供たちの勢いに押され、しぶしぶ座った。


「まずは半分に折るんだよ。……ほら、角がずれてる」


 ルカが厳しい口調で指摘する。

 それは、さっきソフィア先生に言われたことの真似だ。


「む……こうですか?」


 ソフィア先生が、不慣れな手つきで紙を折る。

 意外にも不器用だ。

 指先が震え、紙がぐしゃりとなりそうになる。


「ちがうよー。もっと優しくしなきゃ」


 リナが手を取って教える。


「ここはこうして……パッて開くの!」


「パッ、ですか……? 理論的ではありませんね」


 ソフィア先生が首を捻る。

 その様子がおかしくて、私はクスクスと笑った。

 完璧に見えた先生の、人間らしい一面。


「できた!」


 苦戦の末、ソフィア先生の手にも歪な鶴が完成した。

 彼女はそれを手のひらに乗せ、まじまじと見つめた。


「……なるほど。構造を理解すれば、一枚の紙から多様な形態を作り出せるわけですか。興味深い」


「でしょう? 先生の鶴、ちょっと首が曲がってるけど、可愛いよ」


 ルカが上から目線で褒める。

 ソフィア先生はムッとするかと思いきや、意外にも素直に頷いた。


「……そうですね。初めてにしては上出来かもしれません」


 彼女の口元に、微かな笑みが浮かんでいた。

 ほんの一瞬だったけれど、それは冷たい仮面が外れた瞬間だった。


「先生、つぎは風船つくろうよ!」

「手裏剣もかっこいいよ!」


 子供たちが次々とリクエストする。

 さっきまでの重苦しい空気はどこへやら、部屋には和やかな時間が流れていた。


 勉強は大切だ。

 でも、それは一方的に押し付けられるものではなく、互いに教え合い、発見する喜びがあってこそ身に付くものだ。

 「小さな先生」たちの授業は、堅物な家庭教師にもそのことを教えてくれたようだ。


「……わかりました。では、あと一つだけ作ったら、算術に戻りますよ」


 ソフィア先生が言った。

 その声は、最初よりもずっと柔らかかった。


「はーい!」


 子供たちが元気に返事をする。

 その顔には、もう「やらされている」という憂鬱さはなかった。


 私はそっと部屋を出た。

 これなら大丈夫だ。

 ソフィア先生も悪い人ではない。ただ、少し真面目すぎて不器用なだけ。

 カイド様と似ているかもしれない。


 廊下に出ると、カイド様が心配そうに待っていた。


「……どうだ? 泣いていないか?」


「ふふ、大丈夫ですよ。……今は、新しい先生とお勉強に夢中です」


「そうか。……ならいいが」


 カイド様はホッとしたように息を吐き、私の肩を抱いた。


「無理はしていないか、エレナ。座っていただけとはいえ、疲れただろう」


「いいえ。……子供たちの成長を見られて、楽しかったですよ」


 お兄ちゃん、お姉ちゃんになる準備は、着々と進んでいる。

 知識だけでなく、誰かに教える優しさや、相手を認める寛容さ。

 そういうものを、遊びの中で学んでいってくれればいい。


 私はお腹に手を当てた。

 この子もいつか、兄や姉に折り紙を教わる日が来るのだろうか。

 想像するだけで、心が温かくなる。


 子供部屋からは、まだ楽しそうな笑い声が聞こえていた。

 それは、この屋敷に満ちる幸せの音色だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ