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【第5章開始!】「愛はない」と言われた契約妻ですが、子供たちを愛でるのに忙しいので旦那様は空気として扱います  作者: 月雅
第1章

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第4話 旦那の帰還


「ねえエレナ、パパはどうして帰ってこないの?」


 その純粋な問いかけに、私は手を止めた。


 子供部屋には、穏やかな午後の陽射しが差し込んでいた。

 かつての冷え切った牢獄のような空気はもうない。

 暖炉では薪がパチパチと燃え、床には私が古いカーテンをリメイクして作ったラグが敷かれている。

 部屋全体が、ふわりと温かい空気に包まれていた。


 私は編みかけのマフラーを膝に置き、隣で積み木遊びをしているリナを見た。

 彼女の青い瞳は曇っているわけではなく、ただ不思議そうに瞬いている。


「お仕事がお忙しいのよ。この広い領地を守るために、遠くの森へ行っていらっしゃるの」


 私は当たり障りのない模範解答を口にした。

 嘘ではない。

 カイド・ヴォルグ辺境伯は、魔獣討伐の指揮官として最前線に出ている。

 それが彼の正義であり、生き方なのだろう。

 たとえ、幼い子供たちを放置しているとしても。


「ふうん。でも、ずっといないね」


 リナは興味を失ったように、また積み木に視線を戻した。

 その淡白な反応が、逆に切ない。

 「寂しい」と泣いてくれたほうが、まだ子供らしい。

 けれどこの子たちは、父親の不在を「そういうものだ」と受け入れてしまっている。


「……パパなんて、いなくていい」


 ボソリと呟いたのは、少し離れた場所で絵本を読んでいるルカだ。

 彼の手には、私が書庫から探してきた図鑑が握られている。


「ルカ様?」


「どうせ僕たちのことなんて嫌いなんだ。顔を見れば怖い顔をするし、何も話してくれない。ずっと仕事をしてればいいんだ」


 五歳児の言葉とは思えないほど、その響きは冷めていた。

 賢い子だ。

 だからこそ、大人の態度から敏感に感情を読み取ってしまう。

 カイド様の無口で不器用な態度が、子供たちには「拒絶」として伝わっているのだ。


「そんなことないわよ、とは言えないわね」


 私は苦笑した。

 無責任な慰めは言いたくない。

 実際にカイド様は子供たちを避けているし、私にも「関わるな」と言ったのだから。


「でもね、パパがいなくても、私がいるでしょう? 美味しいおやつも、温かいお部屋もある。それで十分じゃない?」


 私が両手を広げると、リナが嬉しそうに飛び込んできた。

 ルカも、少し迷ってから、そっと背中を預けてくる。

 二人の体温が心地よい。


 この一週間で、子供部屋の環境は劇的に改善された。

 食事は私が厨房で作ったものを運び込み、寒さ対策も万全。

 メイド長たちは渋い顔をしているが、私が「旦那様に言いつける」というカードをちらつかせているので手出しはできない。


 このまま、カイド様が帰ってくるまで――あるいは、帰ってきても気づかれないように――この平和な聖域を守り抜く。

 それが私のミッションだ。


 そう思っていた矢先だった。


 廊下から、重厚な足音が響いてきた。

 コツ、コツ、コツ。

 一定のリズムを刻む、硬い軍靴の音。

 使用人の遠慮がちな足音とは明らかに違う、威圧感を伴う音だ。


 ルカとリナの体が、同時に強張った。

 二人は私の服を強く握りしめ、怯えたように扉を見つめる。


(まさか)


 嫌な予感が背筋を走る。

 次の瞬間、ノックもなく扉が開かれた。


「……ここか」


 低く、地を這うような声。

 入り口に立っていたのは、この屋敷の主、カイド・ヴォルグその人だった。


 最後に会った時と同じ、漆黒の軍服姿。

 けれどその肩には砂埃がつき、長い黒髪はわずかに乱れている。

 遠征から戻ったばかりなのだろう。

 その鋭い氷のような瞳が、部屋の中を一巡し、そして私たちの上で止まった。


「あ……」


 リナが小さな悲鳴を上げ、私の背中に隠れた。

 ルカも顔面蒼白で、私にしがみついている。

 まるで、恐ろしい魔獣が現れたかのような反応だ。


 私は深呼吸をし、努めて冷静に立ち上がった。

 子供たちを庇うように前に出る。


「お帰りなさいませ、旦那様。ご連絡もなしに、どうされましたか?」


 声が震えなかった自分を褒めてあげたい。

 カイド様は眉をひそめ、部屋の中を見回した。

 彼の記憶にある「子供部屋」とは、あまりにも様相が異なっていたからだろう。


 以前は殺風景で寒々しかった部屋が、今は明るいラグやクッションで彩られ、甘いお菓子の香りが漂っている。

 壁には、私と子供たちが作った折り紙の動物たちが飾られている。


「……これは、どういうことだ」


 カイド様が低い声で問うた。

 怒っているのか、それとも単に驚いているのか、その表情からは読み取れない。


「見ての通りです。子供たちが過ごしやすいように、少し模様替えをさせていただきました」


「少し、ではないな」


 彼は部屋の中へ足を踏み入れた。

 その一歩一歩が、子供たちには脅威として映るようだ。

 背中の後ろで、二人がガタガタと震えているのがわかる。


「執事からは、君が部屋に引きこもっていると聞いていたが」


「引きこもっておりますよ。この部屋に」


 私はすかさず答えた。

 嘘は言っていない。西棟からは一歩も出ていないし、社交もしていないのだから。


「……報告とは随分違うようだが」


 カイド様は私の前で立ち止まり、視線を下に向けた。

 私にしがみつく子供たちを見る。

 その瞬間、ルカが勇気を振り絞って叫んだ。


「いじめるな!」


 震える声だった。

 ルカは私の前に飛び出し、小さな両手を広げてカイド様を睨みつけた。


「エレナをいじめるな! あっちへ行け!」


「ルカ様!」


 私は慌ててルカを引き寄せた。

 相手はこの地の最高権力者だ。いくら実の子供とはいえ、当主に逆らうなど貴族社会では許されない。


 カイド様の目が、わずかに見開かれた。

 驚愕。

 そんな感情が、その鉄仮面のような顔に一瞬だけ浮かんだ。


「……俺が、いじめる?」


「いつもそうじゃないか! 僕たちのことを無視して、怖い顔をして! エレナは僕たちを守ってくれたんだ。優しくしてくれたんだ。だから……パパなんて嫌いだ!」


 ルカの叫びが、部屋に木霊した。

 静寂が落ちる。

 暖炉の爆ぜる音だけが、やけに大きく聞こえた。


 カイド様は動かなかった。

 怒鳴りつけることも、手を上げることもなく、ただ呆然と息子を見下ろしている。

 その瞳の奥にある色が、困惑と、そして深い悲しみに揺らいだように見えたのは、私の気のせいだろうか。


「……そうか」


 長い沈黙の後、カイド様がポツリと漏らした。

 その声には、怒気は含まれていなかった。

 むしろ、諦めのような、乾いた響きがあった。


「嫌いか。……まあ、そうだろうな」


 彼は自嘲気味に口の端を歪めた。

 そして、ふと私に視線を戻した。


「君が、これをやったのか」


 彼は部屋の変貌ぶりを指した。

 暖炉、ラグ、散らばる玩具、そして血色の良くなった子供たちの顔。


「はい。勝手な真似をして申し訳ありません。ですが、どうしても必要だと判断しました」


 私は背筋を伸ばして答えた。

 言い訳はしない。

 ここが正念場だ。もし彼が「余計なことをするな」と命じれば、この生活は終わる。


「使用人たちからは、君がわがままを言って厨房を荒らし、子供たちを変な玩具で惑わせていると聞いていたが」


 やはり、あのメイドたちはあることないこと吹き込んでいたらしい。

 私は内心で舌打ちしたい気分だったが、表情には出さなかった。


「事実と異なります。私はただ、子供たちに必要な環境を整えただけです。食事も、部屋の温度も、遊びも。すべては子供たちの健やかな成長のためです」


「……この子たちが、君に懐いているのは事実のようだな」


 カイド様は、私にしがみついて離れないリナと、敵意を剥き出しにして私を守ろうとするルカを見た。

 その視線は、どこか眩しいものを見るかのようだった。


「俺には、できなかったことだ」


 彼は小さく息を吐き、踵を返した。


「好きにすればいい」


「え?」


「君に任せると言ったはずだ。子供たちが……笑っているのなら、それでいい」


 彼はそれだけ言い残し、出口へと向かった。

 背中が、来た時よりも少しだけ小さく見えた。


 扉に手をかけたところで、彼は一度だけ立ち止まり、振り返らずに言った。


「夕食の席には、子供たちも連れてこい」


「……はい?」


「今までは部屋で摂らせていたが、君がそこまで言うなら、食堂の環境も整っているのだろう? ……久しぶりに、子供達の顔をちゃんと見たい」


 それだけ言うと、彼は足早に出て行った。

 バタン、と扉が閉まる。


 私はその場にへたり込みそうになるのを、ぐっと堪えた。

 心臓が早鐘を打っている。

 勝った。

 いや、勝負ではないけれど、少なくとも否定はされなかった。


「……いっちゃった」


 リナが恐る恐る顔を出した。

 ルカも、肩の力を抜いて大きく息を吐いている。


「怖かった?」


 私が聞くと、二人はコクリと頷いた。


「でも、エレナがいじめられなくてよかった」


 ルカが小さな声で言った。

 その言葉に、胸が熱くなる。

 この子は、恐怖に震えながらも私を守ろうとしてくれたのだ。


「ありがとう、ルカ様。とってもかっこよかったわ」


 私はルカを抱きしめた。

 彼は照れくさそうに顔を背けたが、抵抗はしなかった。


(カイド様……)


 私は扉の方を見つめた。

 あの人の、最後の表情。

 「俺にはできなかった」と言った時の、寂しげな横顔。


 彼は決して、子供たちを愛していないわけではないのかもしれない。

 ただ、どう接していいのか分からず、不器用に遠ざけていただけなのかもしれない。

 使用人たちの報告を鵜呑みにしていたのも、無関心だからではなく、現場を見る勇気がなかったから?


 もしそうだとしたら。

 この家族には、まだ修復の余地があるかもしれない。


「さあ、大変よ」


 私はパンと手を叩いて、空気を切り替えた。


「夕食は食堂で食べるんですって。カイド様と一緒に」


「ええっ!?」

「やだ! こわい!」


 子供たちが悲鳴を上げる。

 無理もない。今まで冷遇されてきた相手との食事なんて、拷問以外の何物でもないだろう。


「大丈夫よ。私が一緒だもの」


 私は二人にウインクしてみせた。


「それに、食堂のご飯なら、もっと美味しいものが出てくるはずよ。お肉とか、デザートとか」


「……でざーと?」

「お肉……」


 食いしん坊な二人の瞳が揺らいだ。

 よし、いける。


「おしゃれして行きましょう。せっかくの機会だもの、パパを驚かせてやるのよ」


 私はクローゼットを開け放った。

 私の新しい戦いが、第2ラウンドへと移行しようとしていた。

 今度の舞台は、氷の辺境伯との食卓だ。


 あの不器用な男に、家族の温かさというものを教えてあげなくては。

 これは、私なりの復讐であり、そして救済なのだから。


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