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【第5章開始!】「愛はない」と言われた契約妻ですが、子供たちを愛でるのに忙しいので旦那様は空気として扱います  作者: 月雅
第4章

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第9話 傷だらけの英雄



 「カイド様……っ!」


 私は転がるように階段を駆け下り、彼の胸へと飛び込んだ。

 泥と鉄錆、そして微かに魔獣の体液が焦げたような臭い。

 普段なら顔をしかめるようなその悪臭さえ、今は愛おしかった。

 彼が生きて帰ってきた証なのだから。


「……ただいま、エレナ」


 カイド様が抱きしめ返してくれる。

 その力は強く、確かな体温があった。

 幻ではない。

 彼はここにいる。


「よかった……本当によかった……!」


 私は彼の胸に顔を埋め、子供のように泣きじゃくった。

 安堵と、この二週間の緊張から解放された反動で、涙が止まらない。


「心配をかけたな」


 カイド様が私の頭を撫でる。

 その手には包帯が巻かれていたが、温かさは変わらなかった。


「パパ!」


 ルカとリナも駆け寄り、カイド様の足に縋り付く。

 カイド様は私から片手を離し、しゃがみ込んで二人を抱き寄せた。


「……いい子にしていたか」


「うん! がんばったよ!」

「パパ、ケガしてる……痛い?」


 リナがカイド様の顔にある擦り傷を指先でなぞる。

 カイド様は苦笑し、首を横に振った。


「こんなもの、かすり傷だ。……お前たちの笑顔を見たら、痛みなど吹き飛んでしまったよ」


 それは強がりではなく、本心からの言葉のように聞こえた。

 彼の瞳は、激戦の疲れを感じさせないほど優しく、愛情に満ちていた。


 周囲では、騎士たちと領民たちが再会を喜び合っている。

 涙を流して抱き合う夫婦、無事を確かめ合う親子。

 屋敷の前庭は、安堵と幸福の空気に包まれていた。


「旦那様」


 セバスチャンが進み出て、深々と頭を下げた。


「ご無事で何よりでございます。……留守中、奥様が見事に屋敷をお守りくださいました」


「ああ、聞いている。……アレンからの報告でな」


 カイド様は立ち上がり、私を見つめた。


「エレナ。君のおかげだ」


「え?」


「君が銃後を完璧に守ってくれたから、俺たちは背後を気にせず、前面の敵に集中できた。……君がいなければ、この勝利はなかった」


 カイド様は、周りに大勢の人がいるのも構わず、私の手を取り口づけを落とした。


「君は、俺の誇りだ」


 その言葉に、胸がいっぱいになる。

 私は何も特別なことはしていない。

 ただ、彼が帰る場所を守りたかっただけ。

 それが、こんなにも感謝されるなんて。


「……私は、あなたの妻ですから」


 私は涙を拭い、微笑んだ。


「さあ、中へ入りましょう。お風呂と、温かい食事を用意させてあります」


「ああ。……腹が減って死にそうだ」


 カイド様がおどけて見せると、子供たちがクスクスと笑った。

 私たちは並んで屋敷の中へと入っていった。


 その夜。

 久しぶりに家族全員が揃った食卓は、これ以上ないほど賑やかだった。

 カイド様は子供たちにせがまれて、戦場での武勇伝(子供向けにマイルドにしたもの)を語り、ルカとリナは目を輝かせて聞き入っている。


「それでね、パパが一振りでドーン!ってやったんだよ!」

「すごいねえ!」


 私は彼らの会話を聞きながら、静かにワインを傾けた。

 幸せだ。

 この何気ない時間が、どれほど尊いものか、改めて噛み締める。


 食事が終わり、子供たちを寝かしつけた後。

 私は寝室で、カイド様の傷の手当てをしていた。

 湯あみをしてさっぱりした彼の体には、新しい傷跡がいくつも増えている。


「……痛みますか?」


 包帯を巻き直しながら尋ねると、彼は首を振った。


「いや。……だが、少し疲れたな」


 彼はベッドに腰掛け、ふぅと息を吐いた。

 張り詰めていた緊張が解け、泥のような疲労感が押し寄せているのだろう。


「ゆっくり休んでください。もう、戦わなくていいのですから」


 私が言うと、カイド様は私の手を引き、隣に座らせた。

 そして、私の肩に頭を預けてきた。


「……エレナ」


「はい」


「怖かったか?」


 低い声で問われ、私は一瞬言葉に詰まった。

 強がって見せていたけれど、本当は怖くてたまらなかった。

 彼を失うかもしれない恐怖に、毎晩震えていた。


「……はい。とても」


 正直に答えると、彼は私の手を強く握りしめた。


「すまなかった。……もう二度と、こんな思いはさせないと誓ったのに」


「いいえ。……あなたが無事に帰ってきてくれただけで、十分です」


 私は彼に寄り添い、その髪を撫でた。

 ごわごわとした髪の感触が、愛おしい。


「カイド様。……私、強くなりましたよ」


「ああ、知っている」


「あなたがいなくても、領地を守れるくらいには」


「頼もしい限りだ」


「でも……」


 私は彼の耳元で囁いた。


「あなたがいないと、寂しくて死んでしまいそうでした」


 カイド様が顔を上げ、私を見た。

 その瞳が揺れている。


「……俺もだ」


 彼は私を抱きしめ、倒れ込むようにしてベッドに横たわった。

 腕の中に閉じ込められる。

 彼の鼓動が、私の鼓動と重なる。


「戦場で、何度も君と子供たちの顔が浮かんだ。……死にたくないと思った。這ってでも帰ろうと思った」


 かつての彼なら、死を恐れることはなかったかもしれない。

 けれど今は違う。

 守るべきものがあるからこそ、生への執着が生まれ、それが彼をより強くしたのだ。


「おかえりなさい、カイド様」


 私は彼の胸にキスをした。


「……ただいま、エレナ」


 彼は満足げに目を閉じ、やがて深い寝息を立て始めた。

 その寝顔は、英雄のそれではなく、安らぎを得た一人の男の顔だった。


 私は彼の隣で、その寝顔を見つめ続けた。

 窓の外には、満月が輝いている。

 嵐は過ぎ去った。

 明日からはまた、穏やかな日常が始まる。


 傷だらけの英雄と、彼を待っていた家族の物語。

 その結末は、これ以上ないハッピーエンドだ。

 私は幸せを噛み締めながら、愛する人の腕の中で眠りについた。


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