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【第5章開始!】「愛はない」と言われた契約妻ですが、子供たちを愛でるのに忙しいので旦那様は空気として扱います  作者: 月雅
第4章

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第3話 誓いの剣



 東の空が白み始めた頃、屋敷のエントランスには、冷たく張り詰めた空気が漂っていた。


 整列した騎士たちの鎧が、昇り始めた朝日に反射して鈍く光る。

 馬たちの荒い息遣いと、金具が触れ合う微かな音だけが響く静寂。

 カイド様率いる辺境伯騎士団の主力部隊、総勢二百名。

 彼らは今、領地の命運をかけて北の戦場へと出立しようとしていた。


「……準備はいいか」


 カイド様が愛馬の手綱を握り、騎士たちを見渡した。

 完全武装した彼の姿は、家庭で見せる優しい父親の顔ではなく、冷徹な指揮官のそれだった。

 漆黒のマントが朝風に揺れる。


「はっ!」


 騎士たちが一斉に応える。その声には、悲壮な決意が滲んでいた。

 今回の敵は、過去最大級と予測される魔獣の大群だ。

 生きて帰れる保証はない。

 それでも、彼らは退かない。背後には、守るべき家族と領民がいるからだ。


「カイド様」


 私はルカとリナの手を引き、カイド様のもとへ歩み寄った。

 子供たちはまだ眠い目を擦りながらも、父親の出陣を見送るために早起きをしたのだ。


「エレナ。……子供たちを起こしてしまったか」


 カイド様が馬から降り、私たちの前に立った。

 その顔に、ふわりと柔らかい色が戻る。


「パパ……」


 リナがカイド様の足にしがみついた。

 カイド様はしゃがみ込み、リナを抱きしめた。

 硬い鎧の感触に、リナが少し顔をしかめるが、離れようとはしない。


「いい子にしているんだぞ。……ママの言うことをよく聞いて」


「うん。……パパも、ケガしないでね」


「ああ、約束する」


 カイド様はリナの頭を撫で、次にルカと向き合った。

 ルカは泣きそうな顔を必死に堪え、背筋を伸ばして立っている。

 昨日交わした「男同士の約束」を守ろうとしているのだ。


「ルカ。……留守を頼む」


「はい。……いってらっしゃい、お父様」


 ルカが敬礼の真似事をする。

 カイド様は眩しそうに目を細め、腰にいていた短剣を鞘ごと外し、ルカに手渡した。


「これは?」


「俺が初陣の時に父から譲り受けた護り刀だ。……お前に預ける」


 ルカが目を見開く。

 それはヴォルグ家の嫡男にとって、何より重い意味を持つ品だ。


「これを持っている間、お前がこの家の主だ。……家族を守れ」


「……はい!」


 ルカは短剣を両手で受け取り、胸に抱いた。

 その重みが、彼に勇気を与えているようだった。


 最後に、カイド様は私に向き直った。

 私たちは無言で見つめ合った。

 言葉はいらない。

 昨夜、すべて伝え合ったから。


「行ってきます」


「はい。……ご武運を」


 私は彼の手を取り、その甲に額を押し当てた。

 冷たいガントレットの感触。

 これが、戦場へ向かう男の手だ。


 カイド様は私の頭に手を置き、短く、しかし力強く言った。


「必ず、帰る」


 彼は翻り、馬上の人となった。

 その瞬間、再び「氷の辺境伯」の顔に戻る。


「全軍、出陣!」


 号令と共に、騎士団が動き出した。

 蹄の音が大地を揺らし、砂塵を巻き上げる。

 黒い塊となって北へ向かう彼らの背中を、私たちは見えなくなるまで見送り続けた。


 やがて、隊列が地平線の彼方へと消え、音も聞こえなくなった。

 残されたのは、朝の静寂と、冷たい風だけ。


「……行っちゃった」


 リナが寂しげに呟く。

 私は彼女の肩を抱き寄せた。


「ええ。でも、パパは必ず帰ってくるわ。……それまで、私たちがここを守りましょう」


「うん」


 私は振り返り、屋敷を見上げた。

 堅牢な石造りの我が家。

 ここには、カイド様が命懸けで守ろうとしているものすべてが詰まっている。


「セバスチャン」


 控えていた執事を呼ぶと、彼は静かに進み出た。


「はい、奥様」


「直ちに『非常事態宣言』を発令します。領内の警備レベルを最大に引き上げ、避難計画の最終確認を行ってください」


 私の声は、自分でも驚くほど冷静だった。

 感傷に浸っている時間はない。

 カイド様が前線で戦うなら、私はここで、領主代行としての務めを果たさなければならない。


「アレン。あなたは屋敷の防衛指揮を。……魔獣がここまで抜けてくる可能性は?」


 屋敷に残った副官のアレンに問う。


「万が一、前線が突破された場合はあり得ます。ですが、屋敷は要塞化されています。少々の魔獣ならば、我々だけで撃退可能です」


「頼りにしているわ」


 私はルカを見た。

 彼はまだ、カイド様から預かった短剣を大事そうに抱えている。


「ルカ様。あなたにも仕事があります」


「えっ? 僕に?」


「ええ。子供たちのまとめ役をお願いします。もし避難することになったら、あなたが率先して、小さい子たちが怖がらないように声をかけてあげて」


 ルカに役割を与える。

 それは彼を不安から守るためであり、同時に彼自身の成長を促すためでもある。


「わかった。僕、やるよ!」


 ルカの目に光が宿る。

 ただ待っているだけの無力な子供ではなく、家族を守る一員としての自覚が芽生えている。


 私は深呼吸をした。

 肺いっぱいに吸い込んだ空気は冷たかったけれど、頭の中は冴え渡っていた。


 第1部で環境を整え、第2部で内なる敵を排除し、第3部で外敵を退けた。

 そして今、私たちは最大の試練――「自然の脅威」と対峙している。

 

 怖い。

 正直に言えば、足が震えるほど怖い。

 もしカイド様が戻らなかったら。もし魔獣が押し寄せてきたら。

 悪い想像ばかりが頭をよぎる。


 でも、私は負けない。

 だって、私は「共犯者」なのだから。

 彼が背負う十字架の半分は、私が持つのだ。


「さあ、行きましょう。……忙しくなるわよ」


 私は子供たちの手を引き、屋敷の中へと歩き出した。

 その足取りは、決して軽くはないけれど、迷いはなかった。


 誓いの剣は、カイド様の手にあるだけではない。

 私の心の中にも、見えない剣がある。

 愛するものを守り抜くという、折れない意志の剣が。


 戦いは始まったばかりだ。

 遠く北の空に、黒い雲が湧き上がっていた。


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