表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第5章開始!】「愛はない」と言われた契約妻ですが、子供たちを愛でるのに忙しいので旦那様は空気として扱います  作者: 月雅
第4章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/45

第2話 出陣の決意



「……やはり、ただ事ではないようだな」


 カイド様が広げた戦況報告書の上で、指先を滑らせた。

 北の砦から届いた緊急の書簡には、魔獣たちの不穏な動きが克明に記されている。

 普段は単独行動を好む魔獣たちが群れを成し、南へ――つまり、人間の居住区域へと向かって移動を始めているという。


 執務室には、重苦しい空気が漂っていた。

 窓の外は夕焼けに染まっているが、その赤さはどこか血の色を連想させて、不吉な予感を煽る。


「過去の記録と照合しても、この規模の移動は異常だ。……『大侵攻』が起きる可能性は、極めて高い」


 カイド様が顔を上げ、厳しい表情で告げた。

 その瞳には、すでに戦場を見据える武人の色が宿っている。


「いつ、始まるのでしょうか」


 私が尋ねると、彼は短く息を吐いた。


「早ければ三日後。遅くとも一週間以内だ。……悠長に構えている時間はない」


 三日後。

 あまりにも短い猶予だった。

 それまでに騎士団を再編し、防衛線を構築し、領民の避難誘導を行わなければならない。

 辺境伯領の存亡をかけた戦いが、目前に迫っている。


「俺は、明朝出立する」


 カイド様が断言した。


「主力部隊を率いて北の最前線へ向かう。魔獣の群れが人里に到達する前に、森の中で食い止める」


「……はい」


 覚悟はしていた。

 けれど、実際にその言葉を聞くと、胸が締め付けられるような痛みが走る。

 再び、彼を戦場へ送り出さなければならない。

 今度は、これまで以上の激戦地へ。


「エレナ。君には、後方の守りを頼みたい」


 カイド様が私の手を取り、真剣な眼差しで見つめた。


「俺が留守の間、領主代行として屋敷と領民を守ってくれ。セバスチャンやアレンも補佐につけるが……最終的な判断は、君に託す」


 重い責任だった。

 辺境伯の妻として、領民の命を預かる。

 それは、ただ屋敷を守るのとは次元の違うプレッシャーだ。

 けれど、私は迷わずに頷いた。


「承知いたしました。……カイド様が安心して戦えるよう、銃後は私が死守します」


「ああ。君ならできると信じている」


 彼は私の手を強く握りしめ、そして少しだけ表情を曇らせた。


「……子供たちには、どう伝えるべきか」


 その言葉に、私も言葉を詰まらせた。

 ルカとリナは、ようやく父親との絆を取り戻し、安心できる日常を手に入れたばかりだ。

 それなのに、また父親がいなくなってしまう。

 しかも今度は、「死」の危険が伴う戦場へ行くのだ。


「正直に話すべきだと思います」


 私は考えた末に答えた。


「あの子たちは賢い子です。隠しても、きっと雰囲気で察してしまいます。……嘘をついて不安にさせるより、きちんとお別れを言わせてあげるべきです」


「……そうだな。それが、父親としての誠意か」


 カイド様は立ち上がり、窓の外を見た。

 夕闇が迫る庭で、まだ遊んでいる子供たちの姿が見える。


「行こう。……夕食の前に、話をしよう」


 私たちは執務室を出て、子供部屋へと向かった。

 廊下を歩く足音が、いつもよりも重く響く。

 これから告げる言葉が、子供たちの笑顔を奪ってしまうかもしれないと思うと、足がすくみそうになる。


 けれど、カイド様は止まらなかった。

 その背中は、戦場へ向かう時と同じくらい、強い決意に満ちていた。


 子供部屋に入ると、ルカとリナが積み木で遊んでいた。

 私たちが並んで入ってきたのを見て、二人はぱっと顔を輝かせた。


「パパ! ママ! おかえりなさい!」

「みてみて! おっきなおしろつくったの!」


 無邪気な笑顔。

 その輝きが眩しくて、胸が痛む。


 カイド様は二人の前にしゃがみ込み、その頭を優しく撫でた。


「……立派な城だな。誰が住むんだ?」


「パパとママと、ルカとリナだよ!」


 リナが得意げに答える。

 カイド様は微かに微笑み、そして静かに切り出した。


「ルカ、リナ。……大事な話がある」


 その声のトーンに、子供たちは敏感に反応した。

 笑顔が消え、不安そうな表情になる。

 カイド様は二人の目を見て、ごまかさずに告げた。


「パパは明日から、遠くへお仕事に行くことになった」


「……え?」


 ルカが目を見開く。


「また、いなくなるの?」


「ああ。……少し長い間、家を空けることになる」


「やだ!」


 リナが叫び、カイド様の首に抱きついた。


「いっちゃやだ! ずっといっしょにいるって、やくそくしたもん!」


 その悲痛な叫びに、カイド様は苦しげに顔を歪めた。

 約束。

 そう、第2部の終わりに、彼は「ずっと一緒だ」と誓ったのだ。

 それを破ることになるのが、何よりも辛いのだろう。


「すまない、リナ。……でも、パパは行かなきゃならないんだ」


 カイド様はリナの背中を撫でながら、諭すように言った。


「悪い魔獣たちが、この国に来ようとしている。……パパが行って、追い払わないといけないんだ」


「ほかのひとじゃ、だめなの?」


 ルカが涙声で聞いた。


「パパがいなきゃ、だめなの?」


「……パパは、この領地で一番強い騎士だからな」


 カイド様は少しだけ誇らしげに、そして寂しげに笑った。


「パパが守らないと、みんなが危ない目に遭う。……ルカも、リナも、ママもだ」


 その言葉に、ルカはハッとしたように私を見た。

 そして、自分の小さな拳を握りしめた。


「……ママを守るため?」


「そうだ。……俺の大切な家族を守るために、俺は戦いに行く」


 カイド様はルカの肩に手を置いた。


「ルカ。俺がいない間、ママとリナを頼めるか?」


 それは、男同士の約束だった。

 子供扱いではなく、一人の男として留守を託す。

 ルカの瞳が揺れ、やがて涙を湛えながらも強い光を宿した。


「……うん。わかった」


 ルカは必死に涙を堪え、頷いた。


「僕が、守るよ。……パパの代わりに」


「いい子だ」


 カイド様はルカを抱きしめた。

 リナも一緒に、三人で固く抱き合う。

 私はその輪の外で、涙が溢れるのを我慢しながら見守っていた。


 なんて強い人たちなのだろう。

 別れを惜しむだけでなく、互いを思いやり、役割を果たそうとしている。

 これが、ヴォルグ家の家族なのだ。


「……必ず、帰ってくるからな」


 カイド様が、二人の耳元で誓った。


「どんなに離れていても、心はずっと一緒だ。……約束する」


「やくそく、だよ」

「ぜったい、だよ」


 指切りをする。

 小さくて細い指と、大きくて武骨な指が絡み合う。

 それは、どんな魔法の契約よりも確かな、愛の契約だった。


 その夜。

 子供たちが眠りについた後、私は寝室でカイド様の旅支度を手伝っていた。

 使い込まれた剣を磨き、マントを畳む。

 一つ一つの動作に、無事を祈る気持ちを込める。


「……エレナ」


 カイド様が背後から私を抱きしめた。

 その体温に、張り詰めていた心がふわりと解ける。


「行ってきます」


「はい。……行ってらっしゃいませ」


 私たちは振り返り、口づけを交わした。

 言葉はいらなかった。

 互いの鼓動が、愛と信頼を伝えてくれる。


 明日になれば、彼は戦場へ発つ。

 次に会えるのがいつになるか、もしかしたら二度と会えないかもしれないという恐怖が、頭をよぎる。

 けれど、私はそれを口にはしなかった。

 「気をつけて」と言う代わりに、私はただ微笑んで、彼の背中を押すのだ。


 それが、辺境伯の妻としての、私の戦いだから。


 窓の外では、風が強く吹き始めていた。

 嵐の前の静けさは終わり、いよいよ運命の歯車が動き出す。

 私たちはそれぞれの場所で、愛するものを守るために戦うのだ。


 離れていても、心は一つ。

 その確信だけを胸に、私たちは最後の夜を過ごした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ