表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第5章開始!】「愛はない」と言われた契約妻ですが、子供たちを愛でるのに忙しいので旦那様は空気として扱います  作者: 月雅
第3章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/45

第8話 聖女の嘘



「まあ、素敵なお召し物ですこと。……でも、中身がお粗末だと、布地が泣いてしまいますわね」


 甘ったるい香水の匂いと共に、イザベラ伯爵令嬢が私の目の前に立ちはだかった。

 その背後には、同じようなドレスを着た取り巻きの令嬢たちが、扇子で口元を隠しながら冷ややかな視線を送っている。


 カイド様が飲み物を取りに行っている、ほんの数分の隙を狙ったのだ。

 あまりにも分かりやすい嫌がらせに、私は内心でため息をついた。


「お褒めいただき光栄です、イザベラ様。……ヴォルグ家の仕立て屋が腕によりをかけてくれましたので、布地も喜んでいるかと思いますけれど」


 私は優雅に微笑み返し、背後の子供たちを庇うように一歩前に出た。

 ルカとリナが、私のドレスの裾をぎゅっと握りしめるのがわかる。


「あら、口がお上手ですこと」


 イザベラ嬢は目を細め、わざとらしく声を張り上げた。

 周囲の貴族たちの注意を引くためだ。


「でも、お召し物で隠せても、罪までは隠せませんわよ。……ねえ、皆様? ご存じかしら。このエレナ様が、ご実家でどのような評判だったか」


 ざわめきが広がる。

 ダンスでの称賛で薄らいでいたはずの悪意が、再び鎌首をもたげ始めた。

 人の噂話、それも不幸なスキャンダルほど、退屈な夜会の好物はない。


「浪費、虚栄、そして……癇癪かんしゃく。気に入らないことがあると、使用人や立場の弱い者に当たり散らす悪癖がおありだとか」


 根も葉もない嘘だ。

 継母マリアが流したデマを、さらに誇張して語っている。


「そんな方が、前妻様のお子様方を育てていらっしゃるなんて……わたくし、心配で夜も眠れませんの」


 イザベラ嬢は悲劇のヒロインのように目を伏せ、チラリと子供たちを見た。


「ねえ、可哀想な子供たち。……正直に言ってごらんなさい。その女の人に、痛いことをされているのでしょう?」


 会場が静まり返った。

 虐待。

 それは貴族社会において、最も醜聞とされるタブーの一つだ。

 事実であれば、辺境伯家の名誉は地に落ちる。


 私は扇子を握りしめた。

 私への侮辱なら受け流せる。

 けれど、この子たちを利用して私を陥れようとするその卑劣さは、許容の限度を超えていた。


「……言葉を慎みなさい、イザベラ様」


 私は低い声で警告した。


「根拠のない誹謗中傷は、あなたご自身の品位を損ないますわよ」


「根拠ならありますわ!」


 イザベラ嬢が勝ち誇ったように叫んだ。


「わたくし、見たのです。先ほど、その男の子が震えていたのを。……あれは、日常的に暴力を振るわれている子供の反応ですわ」


 こじつけも甚だしい。

 ルカが震えていたのは、初めての場所で大勢の大人に囲まれた緊張からだ。

 それを、さも確証があるかのように歪曲して言い立てる。


「さあ、見せてごらんなさい。服の下に、あざがあるのではないの?」


 イザベラ嬢が手を伸ばし、ルカの腕を掴もうとした。

 強引に袖をまくり上げ、証拠を捏造するつもりなのだ。


 パシッ。


 乾いた音が響いた。

 私が扇子で、彼女の手を叩き落とした音だ。


「なっ……!」


「私の子供に、気安く触れないでいただけますか」


 私は彼女を睨みつけた。

 もはや社交辞令の笑みなど作らない。

 敵意には敵意を。

 子供を守るためなら、私は悪女にでも修羅にでもなる。


「無礼者! わたくしは伯爵令嬢ですのよ! 借金まみれの売られた妻ごときが!」


 イザベラ嬢が金切り声を上げる。

 周囲の貴族たちが、遠巻きに私たちを見つめている。

 その目は、どちらが勝つかを見極めようとする、冷淡な傍観者の目だ。

 誰も助けてはくれない。

 カイド様が戻るまで、私がこの場を凌ぐしかない。


「ええ、私は買われた妻かもしれません。ですが、今は辺境伯夫人です。我が家の嫡男に対する狼藉は、辺境伯家への挑戦と受け取りますが?」


「ふん、夫の威光を借りて! でも、真実は隠せませんわ。……ほら、子供たちが怯えているじゃありませんか。それが何よりの証拠です!」


 彼女が指差した先。

 私の背後で、ルカとリナが身を寄せ合っていた。

 確かに、二人は震えていた。

 イザベラ嬢の剣幕と、周囲の悪意ある視線に晒されて。


「かわいそうに。……継母にいじめられて、声も出せないのね。わたくしが助けてあげますわ」


 イザベラ嬢が、慈悲深い聖女のような顔を作って子供たちに呼びかける。

 その白々しさに、吐き気がした。


 リナが、私のスカートをさらに強く握った。

 そして、小さな声で呟いた。


「……ちがう」


「え?」


 リナが顔を上げた。

 その瞳には涙が溜まっていたけれど、そこには明確な拒絶の色があった。


「ママは、いじめない。……ママは、やさしいもん」


 その声は小さかったけれど、静まり返った会場には十分に響いた。

 イザベラ嬢の表情が凍りつく。


「な、何を言っているの? 脅されているのね? 本当のことを言えば、わたくしが守って……」


「いらない!」


 今度はルカが叫んだ。

 彼はリナを庇うように前に出て、イザベラ嬢を睨みつけた。


「僕たちを守ってくれるのは、パパとママだけだ! あなたなんかに、助けてほしくない!」


 子供たちの声が、大広間に木霊する。

 それは、大人の作った欺瞞を打ち砕く、純粋で鋭利な真実の叫びだった。


「僕たちは知ってるんだ」


 ルカが拳を握りしめて言った。

 その言葉には、五歳児とは思えない重みがあった。

 本当の地獄を知っている者だけが持つ、説得力。


「いじめられるって、もっと痛くて、寒くて、お腹が空くことだ。……暗い部屋に閉じ込められて、誰も助けてくれないことだ」


 第2部で明らかになった、かつての虐待の記憶。

 それを、彼は自分の言葉で語った。


「でも、ママは違う。ママが来てから、ご飯は温かいし、お部屋も明るいし、パパも笑うようになったんだ」


 ルカは私の手を取り、自分の頬に押し当てた。


「ママの手は、温かいんだ。……叩いたりしない。優しく撫でてくれる手なんだ」


 私の目頭が熱くなった。

 あの日、怯えて土下座をした少年は、もういない。

 彼は今、自分の意志で、愛する家族を守るために戦っている。


「だから……嘘をつかないでください!」


 ルカの叫びに、イザベラ嬢はたじろいだ。

 彼女の作り上げた「虐待されている可哀想な子供たち」というシナリオは、当事者の証言によって粉々に砕け散ったのだ。


 周囲の空気が変わる。

 好奇の目は、疑惑の目へと変わり、イザベラ嬢に向けられる。


「……あのご令嬢、嘘をついていたのか?」

「子供があそこまで言うのだ、虐待などあるはずがない」

「辺境伯夫人を陥れようとしたのか……なんて浅ましい」


 さざ波のように広がる非難の声。

 イザベラ嬢の顔が、怒りと恥辱で赤く染まっていく。


「な、なによ……! 子供を洗脳したのね! なんて恐ろしい女!」


 彼女は往生際悪く喚き散らす。

 しかし、その言葉に耳を貸す者はもういなかった。

 彼女の必死さは、かえって自身の嘘を際立たせるだけだった。


「もうおよしなさい、イザベラ様」


 私は静かに告げた。

 これ以上の醜態は、同じ貴族として見るに堪えない。


「子供たちは、誰よりも正直です。彼らの言葉が、すべての答えですわ」


「黙りなさい! この……泥棒猫が!」


 イザベラ嬢が逆上し、私に向かって手を振り上げた。

 理性を失った彼女は、公衆の面前であることも忘れ、暴力に訴えようとしたのだ。


 私は動かなかった。

 避ける必要などない。

 だって、私には最強の盾があるのだから。


 ガシッ。


 振り下ろされたイザベラ嬢の腕が、空中で止められた。

 骨が軋むほどの力で掴まれ、彼女が悲鳴を上げる。


「……俺の妻と子供に、何をするつもりだ」


 地獄の底から這い上がってきたような、低く、冷徹な声。

 そこには、絶対零度の殺気が込められていた。


「カイド様……」


 戻ってきた夫は、片手でイザベラ嬢の腕を掴み上げ、もう片方の手にはグラスを持ったまま、氷のような瞳で見下ろしていた。

 その威圧感たるや、ダンスの時とは比べ物にならない。

 本物の「氷の辺境伯」が、そこにいた。


「へ、辺境伯……さま……」


 イザベラ嬢がガタガタと震え出す。

 顔色は土気色になり、唇がわなないている。


「俺がいない間に、随分と楽しそうな余興をしていたようだが」


 カイド様はイザベラ嬢の手を乱暴に振り払った。

 彼女は無様に床に尻餅をつく。


「聞かせてもらおうか。……貴様が吐いた嘘の代償を、どう払うつもりなのかをな」


 カイド様が私の隣に立ち、肩を抱いた。

 その体温が、私と子供たちを包み込む。

 ああ、これで終わりだ。

 彼女の運命は、この瞬間に決した。


 私はルカとリナの頭を撫でながら、床に這いつくばるイザベラ嬢を見下ろした。

 同情はしない。

 子供を傷つけた罪は、重いのだから。


 さあ、決着の時間だ。

 この華やかなパーティー会場を、彼女への断罪の法廷に変えてしまいましょう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ