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【第5章開始!】「愛はない」と言われた契約妻ですが、子供たちを愛でるのに忙しいので旦那様は空気として扱います  作者: 月雅
第3章

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第5話 子供たちの勇気



 ルカは隣に立つリナの小さな手を、痛いくらいに強く握りしめた。


 会場の喧騒は、子供の耳にはあまりにも大きく、不快な雑音として響いていた。

 カイド様と私は、国王陛下への挨拶を済ませるため、ほんの少しだけ子供たちから距離を置いていた。

 もちろん、護衛の騎士は彼らのすぐ背後に控えているし、私たちの視線も届く場所にいる。

 物理的な危険はないはずだった。


 けれど、社交界の悪意は、剣や魔法よりも陰湿な形で忍び寄ってくる。


「……あら、ご覧なさい。可哀想な子供たち」


 香水の匂いをきつく漂わせた貴族の夫人が、扇子で口元を隠しながら子供たちに近づいた。

 その後ろには、数人の令嬢や紳士が続き、興味本位の目で二人を取り囲む。

 護衛の騎士が動こうとしたが、夫人は「ご挨拶をするだけですわ」と牽制した。

 社交の場において、言葉を交わすだけの行為を武力で排除することは難しい。


「お父様もお母様も、ご挨拶でお忙しいようね。……辺境から出てきたばかりで、マナーもご存じないのかしら」


 夫人がわざとらしく嘆いて見せる。

 リナが不安そうに身を縮め、ルカの背中に隠れようとした。


「ねえ、坊や。あなたたち、辺境では何を食べていたの? やはり、手づかみで獣の肉を?」


 下品な嘲笑が漏れる。

 彼らは子供たちを「野蛮人の子」として扱い、からかうことで優越感に浸ろうとしているのだ。

 イザベラ嬢が撒いた悪評が、彼らの好奇心を煽っていた。


「服だけは立派だけれど、中身はどうかしらね」

「あの母親じゃ、ろくな教育も受けていないでしょうに」

「借金のカタに売られた女を『ママ』と呼ぶなんて、不憫で涙が出ますわ」


 容赦のない言葉の礫が、幼い二人に降り注ぐ。

 私は挨拶の途中だったが、カイド様の袖を引いた。

 彼も気づいている。その瞳が氷点下の怒りを帯び始めている。

 今すぐにでも駆けつけ、無礼な貴族たちを黙らせようとした、その時だった。


「……訂正してください」


 凛とした声が、雑音を切り裂いた。

 声の主は、ルカだった。


 彼は震える膝を必死に抑えつけ、リナを背に庇いながら、自分たちを見下ろす大人たちを真っ直ぐに見上げていた。

 その瞳は、カイド様譲りの「ヴォルグ・ブルー」。

 深く、澄んだ青色が、強い意志を宿して輝いている。


「あら? 何か言ったかしら?」


 夫人が面白そうに耳を傾ける。


「訂正してください、と言いました」


 ルカは一歩前に出た。

 五歳の子供とは思えないほど、その立ち姿は堂々としていた。

 ヴォルグ家の嫡男として、父から教わった誇りを胸に。


「僕たちの教育についてなら、心配には及びません。お母様は……エレナお母様は、とても優しくて、賢い方です。僕たちにたくさんのことを教えてくれます」


「まあ、口答えするなんて。……やはり野蛮ですわね」


「野蛮ではありません!」


 ルカが叫んだ。

 その気迫に、夫人がたじろいで一歩下がる。


「お父様は、この国を守るために戦っている立派な騎士です。お母様は、僕たちを守ってくれる世界で一番素晴らしい人です。……悪口を言うのは、やめてください」


 ルカの声は震えていた。

 怖くないはずがない。

 見知らぬ大人たちに囲まれ、悪意を向けられているのだ。

 それでも彼は退かなかった。

 父の教え――『ヴォルグ家の男なら、背中は見せるな』という言葉を、小さな体で体現していた。


「僕たちのことは何を言ってもいいです。でも、パパとママのことを悪く言う人は……僕が許しません」


 ルカが睨みつけると、取り囲んでいた貴族たちが顔を見合わせた。

 気まずい空気が流れる。

 彼らはただの子供だと思って侮っていたのだ。

 まさか、これほど理路整然と、誇り高く反論されるとは思っていなかった。


「な、生意気な……」

「親の顔が見てみたいものだわ」


 捨て台詞を吐こうとした紳士の肩に、重い手が置かれた。


「――親なら、ここにいるが?」


 地獄の底から響くような低い声。

 紳士が「ひっ」と悲鳴を上げ、振り返る。


 そこには、修羅の形相をしたカイド様が立っていた。

 その背後には、同じく静かな怒りを燃やす私が控えている。

 カイド様が放つ殺気は凄まじく、周囲の温度が一気に下がったかのような錯覚を覚えるほどだ。


「お、お初にお目にかかります、辺境伯閣下……」


 紳士が冷や汗を流しながらへつらう。


「我々はただ、お子様方が可愛らしかったので、少しお話を……」


「ほう。俺の息子が『許さない』と言うほどの会話が、可愛らしいお喋りだと?」


 カイド様の指が、紳士の肩に食い込む。

 紳士は痛みに顔を歪め、言葉を失った。


「失せろ」


 短く、しかし絶対的な命令。

 貴族たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。

 彼らは所詮、安全な場所から石を投げることしかできない卑怯者だ。

 本物の強者の前では、尻尾を巻いて逃げるしかない。


 邪魔者がいなくなると、カイド様はすぐに膝を突き、ルカと視線を合わせた。

 その表情から、先ほどまでの冷徹さは消え失せている。


「……ルカ」


「パパ……」


 ルカの瞳から、堪えていた涙が溢れ出した。

 張り詰めていた糸が切れたのだ。

 彼はカイド様の胸に飛び込み、しゃくり上げた。


「こわかった……でも、がんばったよ……」


「ああ、見ていたぞ。……立派だった」


 カイド様はルカを強く抱きしめ、その背中を大きな手で撫でた。


「お前は強い。俺よりもずっと、勇敢な騎士だ」


 その言葉に、ルカは泣きながらも嬉しそうに頷いた。

 父に認められたこと。

 家族を守れたこと。

 その事実が、彼の小さな胸に大きな自信を植え付けたはずだ。


 私はリナを抱き上げた。

 彼女も怖かっただろうに、お兄ちゃんが戦っている間、じっと耐えていたのだ。


「リナ様も、偉かったわね。泣かないで待てたもの」


「うん……おにいちゃん、かっこよかった」


 リナが涙目で微笑む。

 私はハンカチで彼女の涙を拭い、ルカとカイド様を見た。


 周囲の視線が変わっていた。

 先ほどまでの嘲笑や侮蔑の色は薄れ、代わりに驚きと、ある種の感嘆が混じっている。

 「野蛮人の子供」という偏見は、ルカの毅然とした態度によって打ち砕かれたのだ。


 あの子は、礼儀正しく、家族思いで、勇気ある少年として振る舞った。

 それは、どんな着飾った言葉よりも雄弁に、ヴォルグ家の教育の正しさを証明していた。


「エレナ」


 カイド様がルカを抱き上げたまま、私に手を差し出した。


「行こう。ダンスの時間だ」


「はい」


 私はその手を取った。

 まだ戦いは終わっていない。

 むしろ、これからが本番だ。

 でも、もう不安はなかった。


 子供たちがこれほどまでに頑張ってくれたのだ。

 大人が負けるわけにはいかない。

 私はルカの勇気を胸に刻み、顔を上げた。


 シャンデリアの光が、私たち家族を照らし出す。

 それはスポットライトのように、次の舞台へと私たちを誘っていた。


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