第4話 悪意の包囲網
「まあ、どこの田舎者かと思いましたら……ヴォルグ辺境伯様ではございませんか」
扇子で口元を隠し、わざとらしい高笑いが響いた。
王城の大広間。
建国記念パーティーの会場は、シャンデリアの輝きと貴族たちの宝石で眩暈がするほど煌びやかだ。
その光の渦の中で、ひときわ派手な真紅のドレスを纏った女性が、取り巻きを引き連れて私たちの前に立ちはだかった。
イザベラ・ラングレー伯爵令嬢。
かつてカイド様の婚約者候補の一人として名が挙がっていた、王都でも有名なご令嬢だ。
豊満な肢体を強調するドレスと、これみよがしなダイヤモンドのネックレス。
その美貌は確かだが、瞳の奥には隠しきれない棘があった。
「ごきげんよう、イザベラ嬢」
カイド様は表情一つ変えず、社交辞令としての挨拶を返した。
その腕には私が、足元にはルカとリナが寄り添っている。
「あら、ごきげんよう。……それにしても、驚きましたわ」
イザベラ嬢は私を上から下まで値踏みするように眺め、フンと鼻を鳴らした。
「まさか、噂の『買われた奥様』をこのような晴れ舞台にお連れになるなんて。辺境伯様の慈悲深さには感服いたしますわ」
周囲の貴族たちがクスクスと笑う。
『買われた』。
それは私の実家が借金のカタに私を嫁がせたことを指している。
社交界では公然の秘密とはいえ、面と向かって口にするのは無作法極まりない。
カイド様の腕に力がこもるのがわかった。
私はそっと彼の手を撫で、目で制した。
ここで怒っては相手の思う壺だ。
「お初にお目にかかります、イザベラ様。エレナ・ヴォルグでございます」
私は完璧なカーテシーを見せた。
背筋を伸ばし、膝を曲げる角度、視線の落とし方まで、王都のマナー通りに。
「辺境での暮らしが長うございましたので、王都の流儀に疎いところもあるかと存じますが、どうぞご指導くださいませ」
私の挨拶に、イザベラ嬢は一瞬だけ虚を衝かれた顔をした。
もっと卑屈な態度か、あるいは粗野な振る舞いを期待していたのだろう。
「あら、言葉遣いだけは覚えたようですのね。……でも、中身はどうかしら?」
彼女は意地悪く目を細め、視線を私の足元――ルカとリナに向けた。
「可哀想な子供たち。母親がいない寂しさを、金で買われた継母に埋めてもらおうとして。……ねえ、坊や。その女の人は、本当にお母様のように優しいのかしら?」
イザベラ嬢が腰をかがめ、ルカに話しかけた。
その声色は甘ったるいが、内容は毒そのものだ。
「本当の母親ではない」という事実を、子供たちの傷口に塩を塗るように突きつけている。
ルカがビクリと肩を震わせた。
リナが私のドレスの裾を強く握りしめる。
子供たちの顔から笑顔が消え、怯えの色が浮かぶ。
許せない。
私への侮辱ならいくらでも耐えられる。
でも、この子たちの心を弄ぶような真似は、絶対に許さない。
「イザベラ様」
私は一歩前に出て、子供たちを背後に隠した。
扇子を閉じ、パチリと音を立てる。
その音に、周囲の話し声が一瞬止まった。
「子供たちに戯言を吹き込むのはおやめください。この子たちは、私が腹を痛めて産んだ子ではありませんが、心からの愛情を注いで育てております」
「あら、戯言ですって? 事実を申し上げたまでですわ」
「事実というのは、見る角度によって変わるものです」
私は真っ直ぐに彼女を見据えた。
「例えば、イザベラ様が今お召しになっているそのネックレス。……とても立派ですが、少し『重そう』に見えますわね。輝きすぎて、ご本人の魅力を霞ませてしまっているようで」
「なっ……!」
イザベラ嬢が顔を赤らめた。
彼女の派手好きと、品位のなさを遠回しに指摘したのだ。
貴族社会の言葉遊び。
直接的な罵倒よりも、こうした皮肉のほうが深く刺さる。
「それに、我が家の子育てについてご心配いただくには及びません。……夫であるカイド様が、私を信頼して任せてくださっておりますから」
私はカイド様を見上げた。
彼は頼もしげに頷き、私の肩を抱き寄せた。
「ああ。エレナは最高の妻であり、母親だ。……外野が口を挟むことではない」
カイド様の低い声が、冷気と共に周囲を圧する。
「氷の辺境伯」の威圧感に、イザベラ嬢の取り巻きたちが青ざめて後ずさった。
イザベラ嬢は悔しげに唇を噛んだ。
カイド様に直接拒絶されたことが、彼女のプライドを酷く傷つけたようだ。
「……ふん。口がお上手なこと。でも、化けの皮はいずれ剥がれますわ」
彼女は扇子を開き、バサバサと仰いだ。
「所詮は借金まみれの男爵家の娘。辺境伯家の格に見合うはずがありません。……この社交界が、あなたのような異物をいつまでも許容すると思わないことですわね」
捨て台詞を残し、彼女は踵を返した。
取り巻きたちが慌てて後を追う。
嵐のような悪意の塊が去り、周囲には気まずい沈黙が残った。
私は深く息を吐き、足元の子供たちを見た。
ルカとリナは、不安そうに私を見上げている。
「ママ……あのひと、だあれ?」
リナが小さな声で聞いた。
「ただの通りすがりよ。気にしなくていいの」
私はしゃがみ込み、二人の頭を撫でた。
「怖かった?」
「……ううん」
ルカが首を横に振った。
その瞳には、恐怖ではなく、小さな怒りの炎が灯っていた。
「あの人、ママのこと悪く言った。……僕、嫌いだ」
「ふふ、そうね。私もあまり好きではないわ」
私は子供たちの素直な反応に救われた気がした。
彼らはちゃんと見ている。
誰が敵で、誰が味方かを。
「エレナ」
カイド様が心配そうに私を呼んだ。
「大丈夫か。……あのような無礼、許しておけんが」
「いいえ、カイド様。ここで騒ぎ立てては、あの方と同じレベルに落ちてしまいます」
私は立ち上がり、ドレスの裾を整えた。
「それに、彼女は焦っているのです。私たちが幸せそうにしているのが、許せないのでしょう」
イザベラ嬢の言葉の端々に、嫉妬が見え隠れしていた。
カイド様を逃した悔しさ。
見下していたはずの私が、辺境伯夫人として堂々と振る舞っていることへの苛立ち。
「……君は、本当に強いな」
カイド様が感心したように呟く。
「守られるだけの姫君ではないと、知っていたつもりだったが」
「あら、守っていただいていますよ。あなたの隣にいるだけで、私は百人力ですもの」
私が微笑むと、カイド様は少し照れくさそうに視線を逸らした。
その耳が赤いのが可愛らしい。
音楽が変わり、ダンスの時間が近づいていることを告げる。
会場の空気が少しずつ華やいでいく。
しかし、私たちに向けられる視線はまだ冷たい。
イザベラ嬢が撒いた毒は、周囲の貴族たちにも伝染しているようだ。
(負けないわ)
私は心の中で呟いた。
これは包囲網だ。
悪意と偏見で固められた、見えない壁。
でも、突破口はあるはずだ。
私はカイド様の腕に手を回し、しっかりと前を向いた。
まだパーティーは始まったばかり。
私たちが「本物」であることを証明する機会は、これからいくらでもある。
静かな怒りが、私の中で冷たく燃えていた。
イザベラ様。
あなたが望むような「惨めな悪妻」の姿は、残念ながらお見せできそうにありませんわ。




