第1話 王都からの招待状
カイド様は、まるで汚いものでも扱うかのように、一通の封筒を執務机の上に放り投げた。
分厚い上質紙に、金箔で縁取られた豪奢な封筒。
中央には王家の紋章が蝋で封印されている。
見るからに高貴で、そして厄介ごとの匂いがする代物だった。
「……今年も来たか」
カイド様が深いため息をつき、革張りの椅子に背を預けた。
その顔には、魔獣の群れを前にした時よりも深い憂鬱が刻まれている。
私は紅茶のカップをソーサーに置き、その封筒を見つめた。
「建国記念パーティーの招待状ですね」
「ああ。国王陛下主催の、年に一度の茶番劇だ」
彼は忌々しげに吐き捨てた。
カイド・ヴォルグ辺境伯は、北の地を守る武門の当主として、王家から重用されている。
だが同時に、華美な社交や腹の探り合いを何よりも嫌っていた。
これまでは「遠征中」や「体調不良」を理由に欠席することも多かったようだが、今年はそうはいかない事情があった。
「今年は式典の節目に当たる年だ。全貴族に参加の義務がある。……欠席すれば、反逆の意思ありと見做されかねん」
カイド様が眉間を揉む。
武力で国を守っている彼に対し、中央の貴族たちは常に警戒と嫉妬の目を向けている。
揚げ足を取られるような真似は避けるべきだ。
「私も、同伴するべきでしょうか」
私が静かに尋ねると、カイド様はハッとして私を見た。
その瞳に、申し訳なさそうな色が浮かぶ。
「……すまない、エレナ。君をあんな場所には連れて行きたくないのだが……」
「招待状の宛名は『辺境伯夫妻』となっていますものね」
私は苦笑した。
公式な行事である以上、正妻である私が同伴しないのは不自然だ。
ましてや、私は実家との騒動を経て、正式に辺境伯夫人として社交界に登録されている。
問題は、私の「評判」だ。
王都の社交界において、エレナ・フォレス――今はエレナ・ヴォルグ――の名は、悪名と共に知れ渡っている。
『借金のカタに売られた浪費家の娘』。
『野蛮な辺境伯に嫁いだ悪妻』。
根も葉もない噂だが、実家の継母たちが撒き散らした毒は、まだ社交界の底に沈殿しているはずだ。
「君が出席すれば、必ず心ない言葉をかけられる。……俺のことを『野獣』と嘲る連中は、君のことも面白おかしく噂するだろう」
カイド様が拳を握りしめる。
彼は自分のことならどれほど侮辱されても構わない人だ。
けれど、身内が傷つけられることには我慢がならない。
特に、私や子供たちのこととなれば。
「言わせておけばいいのです。噂なんて、人の口に戸は立てられませんから」
私は努めて明るく言った。
正直に言えば、不安はある。
煌びやかで、底意地の悪い貴族たちの視線に晒されるのは気が重い。
けれど、私はもう一人ではない。
「それに、今の私たちは『共犯者』でしょう? どんな戦場でも、お供しますわ」
私が微笑むと、カイド様はようやく表情を緩めた。
「……強いな、君は」
「あなたに鍛えられましたから」
私たちが視線を交わし、信頼を確かめ合っていた時だった。
「パパ! ママ!」
執務室の扉が少しだけ開き、二つの小さな顔が覗いた。
ルカとリナだ。
二人は部屋の空気を察したのか、おずおずと中に入ってきた。
「どうしたんだ、二人とも」
カイド様が表情を一瞬で「パパ」のものに変え、手招きをした。
二人はトコトコと駆け寄り、カイド様の膝元と、私のスカートにそれぞれしがみついた。
「あのね、セバスチャンがいってたの」
リナが私を見上げて言った。
「パパとママ、おうとに行くの?」
「遠いところなんでしょう? ……僕たち、またお留守番?」
ルカが不安げにカイド様を見つめる。
その言葉に、私の心臓が痛んだ。
第2部での事件以来、子供たちは私たちが視界から消えることを極端に恐れるようになっていた。
屋敷の環境は改善され、信頼できる使用人たちに入れ替わったとはいえ、心の奥底にある「置き去りにされる恐怖」はまだ癒えていないのだ。
王都への旅は、馬車で片道五日かかる。
滞在期間を含めれば、半月は家を空けることになるだろう。
その間、この子たちを置いていく?
……無理だ。
あんな事件があったばかりなのに、また寂しい思いをさせるなんて。
「……連れて行くわけにはいかないだろうか」
カイド様が私を見て、迷いながらも口にした。
私も同じことを考えていた。
「子供を社交の場に? 前例がないわけではありませんが……リスクがありますわ」
王都までの長旅。
そして何より、悪意に満ちた社交界の空気に、純真な子供たちを晒すことになる。
「野蛮人の子供」と陰口を叩かれるかもしれない。
でも。
離れ離れになる不安のほうが、今のこの子たちにとっては毒かもしれない。
「僕、いい子にするよ!」
ルカが必死に訴えた。
私の手をぎゅっと握りしめて。
「お勉強もするし、騒がないし……だから、一緒にいたい」
「リナも! リナもママとパパと一緒がいい!」
リナが涙目でカイド様の膝によじ登る。
カイド様はリナを抱き留め、その小さな頭を撫でた。
「……俺も、お前たちと離れたくない」
彼は素直な本音を漏らした。
かつて無関心だった反動か、今のカイド様は子供たちと片時も離れたがらない親馬鹿ぶりを発揮している。
彼は私を見て、決意を秘めた目で頷いた。
「エレナ。家族全員で行こう」
「カイド様……」
「隠す必要などない。俺たちがどれほど幸せか、あの腐った貴族どもに見せつけてやればいい」
彼の言葉に、私も覚悟が決まった。
そうね。
こそこそ隠れて生きる必要なんてない。
私たちは何も悪いことはしていないのだから。
「わかりました。では、準備を始めなくてはいけませんね」
私はルカに向き直り、目線を合わせた。
「ルカ様、リナ様。王都はとても人が多くて、煌びやかな場所よ。でも、怖い人たちもいるかもしれないわ」
「こわい人?」
「ええ。パパやママの悪口を言う人がいるかもしれない。それでも、一緒に行ける?」
ルカは少し考えてから、キッと顔を上げた。
その瞳には、カイド様譲りの強い光が宿っていた。
「行く。僕が、ママとリナを守るから」
「頼もしいわね」
私はルカの頬を撫でた。
この子たちは強い。
あの地獄のような日々を生き抜き、笑顔を取り戻したのだ。
貴族の嫌味くらい、私たちの絆があれば撥ね返せるはずだ。
「セバスチャン!」
カイド様が呼ぶと、扉の外に控えていた執事が静かに入室してきた。
減給処分を受けて以来、彼の仕事ぶりは鬼気迫るものがある。
今日も完璧な身なりで、主人の命令を待っていた。
「はい、旦那様」
「王都へ行く。家族全員でな」
セバスチャンは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに深く一礼した。
「かしこまりました。……直ちに旅装の準備と、王都の別邸への連絡を行います。また、お子様方の警護のため、信頼できる護衛を選抜いたします」
「頼む。……ネズミ一匹、寄せ付けるなよ」
「御意」
セバスチャンが退室していく。
その背中には、以前のような慢心はなく、ただ実直な忠誠心だけが見えた。
カイド様はリナを抱いたまま立ち上がり、窓の外――南の方角を見据えた。
「王都か。……久しぶりだな」
「ええ。私にとっては、嫌な思い出しかない場所ですけれど」
実家での冷遇。
社交界での嘲笑。
借金のカタとして売られた日。
けれど、今の私はあの頃の惨めな令嬢ではない。
辺境伯カイド・ヴォルグの妻であり、二人の子供の母だ。
守るべきものがあり、守ってくれる人がいる。
「行こう、エレナ。……俺たちの『家族』を、世界に認めさせるために」
カイド様が手を差し出した。
私はその手を取り、強く握り返した。
「はい、あなた」
リナがキャッキャと笑い、ルカが私のドレスの裾を掴んで胸を張る。
不安がないと言えば嘘になる。
王都には、私たちを陥れようとする悪意が待ち構えているかもしれない。
でも、この手が繋がっている限り、私たちは負けない。
これは、ただのパーティーへの出席ではない。
私たちの「再生」と「幸福」を証明するための、戦いへの出陣なのだ。
テーブルの上に残された招待状が、窓からの風に揺れた。
金箔の紋章が、挑戦的に輝いているように見えた。




