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【第5章開始!】「愛はない」と言われた契約妻ですが、子供たちを愛でるのに忙しいので旦那様は空気として扱います  作者: 月雅
第2章

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第7話 氷の断罪



「まだ言い逃れをするつもりか」


 地下牢の冷たい石壁に、カイド様の低い声が反響した。


 鉄格子の中には、かつて我が物顔で屋敷を闊歩していたマーサたちが押し込められている。

 豪奢なメイド服は汚れ、整えられていた髪は乱れ、その表情には疲労と恐怖が貼り付いていた。

 一晩の尋問によって、彼女たちの嘘はすべて剥がれ落ちていた。


「だ、旦那様……信じてくださいまし。わたくしは、ただ子供様のために……」


 マーサは鉄格子にしがみつき、枯れた声で懇願を繰り返している。

 しかし、その瞳は泳ぎ、カイド様の視線を直視できていない。


「子供のため、か」


 カイド様は冷ややかに鼻を鳴らし、セバスチャンから手渡された書類を掲げた。


「昨晩の調査で、王都の闇金業者との取引記録が見つかった。お前が横領した金の一部は、そこへ流れているようだが? ……ギャンブルの借金返済が、子供のための教育費だと言うのか」


「あ……」


 マーサが口を開けたまま凍りつく。

 決定的な証拠だった。

 彼女は私腹を肥やすだけでなく、自身の遊興費のために子供たちの食事を削り、暖房を切り、衣服を奪っていたのだ。

 その事実は、単なる横領以上に、カイド様の逆鱗に触れるものだった。


「もはや弁解の余地はない」


 カイド様は書類を部下に渡し、冷徹な瞳でマーサを見下ろした。

 そこにあるのは、長年仕えた使用人への情などではない。

 領地の法を犯し、主家を裏切った罪人を見る、統治者の目だった。


「マーサ・ベルンシュタイン。貴様を業務上横領、詐欺、および傷害の罪で告発する」


 宣告が下された瞬間、マーサは崩れ落ちた。


「そ、そんな……わたくしは、このヴォルグ家に人生を捧げて……」


「捧げたのは欲望だろう。ヴォルグ家の名を汚し、幼い子供を虐げた貴様に、慈悲を与えるつもりはない」


 カイド様は衛兵たちに顎で合図を送った。


「連れて行け。領法に基づき、裁判所へ引き渡す。……極めて悪質な事案だ。実刑は免れまい」


 ガチャリ、と重い足枷が嵌められる音が響く。


「いやぁぁぁ! 旦那様! お許しを! 牢獄など嫌です! 誰か、誰か助けてぇ!」


 マーサの絶叫が地下廊下に木霊する。

 彼女の取り巻きだったメイドたちも、同様に連行されていく。

 泣き叫ぶ者、呆然とする者、互いに罪をなすりつけ合う者。

 その醜悪な姿は、かつて彼女たちが子供たちに向けていた冷酷さの裏返しだった。


 私はカイド様の隣で、その光景を静かに見届けていた。

 胸がすくような思いはない。

 ただ、淡々とした「処理」が終わったという安堵感だけがあった。

 これで、物理的な害悪は排除された。


 最後の罪人が連れ出され、鉄格子の中に静寂が戻る。

 カイド様は深く息を吐き、眉間を揉んだ。


「……終わったな」


「ええ。お疲れ様でした」


 私が声をかけると、彼は自嘲気味に笑った。


「疲れる資格などない。……だが、これで少しは空気が綺麗になるだろう」


 彼は踵を返し、地上へと続く階段を上り始めた。

 その足取りは重いが、迷いはなかった。


 執務室に戻ると、そこにはセバスチャンと、数名の主要な使用人たちが待機していた。

 彼らは一様に顔色が悪く、緊張で強張っている。

 特にセバスチャンは、やつれ切っていた。

 徹夜の調査と、自らの過ちに対する心労で、一気に十年ほど老け込んだように見える。


「旦那様。……処分者の引き渡し、完了いたしました」


 セバスチャンが深々と頭を下げる。

 その声は震えていた。


「うむ。ご苦労だった」


 カイド様はデスクの椅子に座らず、立ったまま彼らを見据えた。


「さて。次は残った者たちの処分だ」


 部屋の空気が張り詰める。

 直接的な悪事に関わっていなくとも、この屋敷の腐敗を見過ごしていた責任は誰にでもある。


「セバスチャン」


「はっ」


 執事が進み出て、床に膝を突いた。


「お前には、マーサの暴走を許し、長年にわたり不正を見逃した管理責任がある。……その罪は重い」


「はい。弁明の言葉もございません。……いかなる罰も甘んじてお受けいたします」


 セバスチャンは額を床に擦り付けた。

 解雇、あるいは追放。

 彼ほどの古参であれば、それなりの功績もあったはずだが、今回の失態はそれを帳消しにして余りある。


 カイド様はしばし沈黙し、窓の外を見やった。

 そして、静かに告げた。


「減給三割。および、半年間の権限縮小を命じる」


 セバスチャンが顔を上げた。

 驚きのあまり、言葉が出てこないようだった。


「……か、解雇では……ございませんか?」


「首を切るのは簡単だ。だが、それでは誰がこの屋敷を立て直す?」


 カイド様は厳しい眼差しで執事を見下ろした。


「新しい使用人を雇い、教育し、以前よりも強固で透明性のある組織を作る。……それがお前に課す罰だ。逃げることは許さん」


 それは、死ぬよりも辛い茨の道かもしれない。

 信頼を失った状態から、再び這い上がらなければならないのだから。

 けれど、セバスチャンの瞳には涙と共に、新たな光が宿っていた。


「……有難き幸せ。この身が朽ち果てるまで、滅私奉公いたします」


「他の者たちも同様だ」


 カイド様は室内にいる使用人たちを見渡した。


「見て見ぬふりをした者、声を上げられなかった者。全員に連帯責任としての減給を科す。……不服がある者は、今すぐ去れ」


 誰一人として動かなかった。

 全員が深く頭を下げ、主人の温情と厳しさを受け入れた。


「よい。……直ちに業務に戻れ。屋敷中の掃除だ。物理的にも、精神的にもな」


「はっ!」


 使用人たちが一礼し、足早に退室していく。

 最後にセバスチャンが、私とカイド様に深く一礼し、扉を閉めた。


 静寂が戻った執務室で、カイド様はドサリと椅子に座り込んだ。

 大きな溜息をつき、天井を仰ぐ。


「……甘かったか」


 独り言のように呟く。


「セバスチャンまで切れば、屋敷が回らなくなる。……こちらの都合で罰を軽くしたと言われても仕方がない」


「いいえ。適切な判断だと思います」


 私は彼のそばに歩み寄り、冷めてしまった紅茶を新しいものに淹れ替えた。


「彼らは痛みを共有しました。一度過ちを犯し、それを許された人間は、二度と同じ過ちを繰り返さないよう必死になります。……新しい人を雇うより、ずっと強固な忠誠心を得られるはずです」


「……そうだといいがな」


 カイド様はカップを受け取り、一口だけ口をつけた。


「これで、膿は出し切った。……外側はな」


 彼の視線が、ふと子供部屋のある方向へと向けられた。

 その瞳には、まだ深い憂いが残っている。


 そう。

 屋敷の掃除は終わった。

 悪人は去り、組織は再編された。

 けれど、最も重要な問題は未解決のままだ。


 子供たちの心。

 そして、父親との断絶された関係。


「……あいつらは、まだ俺を怖がっているだろうか」


 弱気な問いかけ。

 最強の武人である彼が、たった五歳の子供の反応に怯えている。


「怖がっていますよ」


 私は嘘をつかずに答えた。

 ここで慰めるのは優しさではない。


「恐怖は、マーサがいなくなったからといって、すぐに消えるものではありません。あの子たちの中では、まだ『パパ』と『痛み』が結びついているのですから」


「……そうだな」


 カイド様は苦しげに顔を歪めた。


「俺は……どうすればいい。何を言っても、言い訳にしか聞こえない気がする」


「言葉はいりません。必要なのは、態度です」


 私は彼の手を取り、強く握りしめた。


「領主としての裁きは終わりました。次は、父親としての責任を果たしてください。……プライドも、立場も、すべて捨てて」


 カイド様が私を見る。

 その瞳が揺れ、やがて静かな決意の色へと変わっていく。


「……ああ。わかっている」


 彼は立ち上がった。

 その背中は、罪人を断罪した時の冷徹な統治者ではなく、過ちを悔い、許しを請おうとする一人の父親のものだった。


「行こう、エレナ。……子供たちのところへ」


 私たちは部屋を出た。

 廊下は静まり返っているが、昨日までの淀んだ空気とは違う。

 窓から差し込む光が、磨かれた床に反射して輝いている。


 長い冬が終わり、本当の春が来ようとしている。

 けれどその前に、私たちは最後にして最大の難関を越えなければならない。

 凍りついた心を溶かすのは、法でも正義でもなく、ただ愚直なまでの誠意だけなのだから。


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