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【第4章追加】「愛はない」と言われた契約妻ですが、子供たちを愛でるのに忙しいので旦那様は空気として扱います  作者: 月雅
第1章

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第1話 初夜の通告


「最初に言っておくが、君を愛することはない」


 開口一番、投げつけられた言葉はそれだった。


 重厚な扉が閉ざされた執務室。

 分厚い絨毯が敷かれているはずなのに、足元から冷気が這い上がってくるような気がする。


 私の目の前には、書類の山に埋もれるようにして座る一人の男。

 この広大な北の地を統べる主、カイド・ヴォルグ辺境伯だ。


 漆黒の髪に、凍てつくような青い瞳。

 整ってはいるが、血の通っていない彫像のような美貌。

 王都の貴族たちが彼を「氷の辺境伯」と呼び、忌避する理由がわかった気がした。


 もっとも、彼が恐れられている一番の理由は、その類稀なる武力と、容赦のない冷徹さにあるのだけれど。


 私はゆっくりと息を吐き出し、姿勢を正した。

 王都から馬車に揺られること十日。

 体は悲鳴を上げていたけれど、ここで崩れ落ちるわけにはいかない。


「……承知いたしました」


 私の返答が意外だったのか、カイド様の手がわずかに止まった。

 顔を上げ、値踏みするように私を見る。


「意味がわかっているのか?」


「はい。この結婚は、契約上のものですから」


 私は淡々と告げた。

 感情を殺すのは得意だ。実家での生活で、嫌というほど身についた技術だった。


「私の実家、フォレス男爵家の借金を、辺境伯様が肩代わりしてくださった。その対価として、私がここに差し出された。違いますか?」


「……間違ってはいない」


 カイド様は短く答え、手元の書類に視線を戻した。

 ペンの走る音だけが、広い室内に響く。


 まるで、これ以上の会話は無駄だと言わんばかりの態度。

 普通のご令嬢なら、この扱いだけで泣き出してしまうかもしれない。

 初夜どころか、歓迎の言葉ひとつないのだから。


 けれど、私は違った。

 胸の奥底で、安堵の息をついていた。


(よかった。話が早くて)


 もしも彼が、好色で粘着質な老人だったり、暴力を振るうような人物だったらどうしようかと、来る道中ずっと胃が痛かったのだ。

 けれど目の前の彼は、私に興味がないだけ。

 無関心。

 それは私にとって、最高の待遇だった。


「君の部屋は用意してある。西棟の二階だ」


 カイド様は顔も上げずに言った。


「生活に必要なものは揃っているはずだ。不足があれば執事に言え。俺は多忙だ。屋敷のことに口を出すつもりはないし、君にかまっている時間もない」


「はい」


「俺の執務室と、東棟への立ち入りは禁止する。それ以外なら、敷地内を歩くことくらいは許可するが……」


 そこで一度言葉を切り、彼は冷ややかな瞳で私を射抜いた。


「逃げようなどとは考えるなよ。君の実家との契約には、違約金の条項も含まれている」


「逃げません。帰る場所などありませんから」


 即答すると、彼はふん、と鼻を鳴らした。


「そうか。ならばいい」


 会話は終了したらしい。

 彼は再び書類の山と格闘し始めた。

 退室を促す言葉すらない。

 私は静かに一礼し、踵を返した。


 重い扉を開けて廊下に出ると、そこには年配の執事が控えていた。

 白髪をきっちりと撫でつけた、隙のない老紳士だ。


「エレナ様でございますね。ご案内いたします」


 執事の態度は礼儀正しいが、その目には一切の温かみがなかった。

 ああ、ここでもか、と思う。

 

 王都での私の悪評は、この最果ての地にも届いているらしい。

 『稀代の悪女』。

 『贅沢三昧で実家を傾けた浪費家』。

 『継母と義妹を虐げる傲慢な娘』。


 全部、嘘なのに。


 継母のマリアと、その連れ子の義妹が散財したツケを、すべて私になすりつけた結果だ。

 父は新しい妻の言いなりで、私の言葉になど耳を貸さなかった。

 弁明しても無駄だと悟ってからは、私は心を閉ざし、言われるがままに生きてきた。


 そして最後は、借金のカタとして売られた。

 まるで家畜のように。


「こちらでございます」


 案内されたのは、本邸から少し離れた西棟の一室だった。

 扉が開かれると、ひやりとした空気が肌を撫でる。


「……ここが、私の部屋ですか」


 広さは十分にある。家具も、古めかしいが一級品だ。

 けれど、どこか寒々しい。

 長らく使われていなかった部屋特有の、埃っぽい匂いが微かに漂っている。


「旦那様のご指示により、こちらの部屋を用意させていただきました。最低限の荷解きは、使用人に命じておきます」


 執事はそれだけ言うと、深く頭を下げた。


「夕食は食堂にご用意いたしますが、いかがなさいますか」


「……結構です。長旅で疲れましたので、今夜は休みます」


「かしこまりました。では、ごゆっくり」


 執事が去り、扉が閉まる。

 カチャリ、と無機質な音が響いた。


 私はようやく、大きなため息をついた。

 張り詰めていた糸が切れ、その場にへたり込む。


「はあ……疲れた」


 ドサリとベッドに倒れ込むと、少し湿気たシーツの感触がした。

 天井が高い。

 窓の外には、王都では見たこともないような深い針葉樹の森が広がっている。

 空はどんよりと曇り、今にも雪が降り出しそうだ。


(これが、私の新しい牢獄)


 そう思うべきなのだろうか。

 愛のない結婚。

 冷酷な夫。

 敵意を含んだ使用人たち。

 そして、実家という名の足かせ。


 絶望的な状況だ。

 普通の貴族令嬢なら、枕を濡らして嘆く場面だ。


 でも。


「……ふふ」


 乾いた笑いが漏れた。

 視界が滲むこともない。

 むしろ、胸の奥から奇妙な高揚感が湧き上がってくるのを感じていた。


 私は仰向けになったまま、天井に向かって手を伸ばす。


「最高じゃない」


 誰も私を殴らない。

 誰も私に、「金を出せ」と怒鳴り散らさない。

 継母のヒステリックな声も、義妹の嘲笑も、ここにはない。


 あるのは、静寂と、無関心だけ。


(愛されなくていい。期待されなくていい。ただ、静かに暮らせるなら)


 私には、前世の記憶がある。

 日本という国で、保育士として働いていた記憶。

 子供たちの笑顔に囲まれ、忙しくも充実していた日々。

 事故で呆気なく終わってしまったけれど、あの頃の私は、確かに自分の足で立っていた。


 今の私には、あの頃のような自由はない。

 けれど、少なくとも地獄のような実家よりはマシだ。


「食事と寝床が保証されたニート生活、ってことよね?」


 カイド様は言った。

 「屋敷のことに口を出すつもりはない」と。

 つまり、目障りなことさえしなければ、私はここで好きに生きていいということだ。


 衣食住は保証されている。

 夫は帰ってこない。

 これ以上の好条件があるだろうか?


「よし」


 私は勢いよく上半身を起こした。

 頬を両手で叩き、気合を入れる。


「まずは、この部屋の掃除からね」


 窓枠の隅に溜まった埃を見て、私は腕まくりをした。

 生活魔法の出番だ。

 魔力は少ないけれど、掃除くらいならなんとかなる。


 誰かのためじゃない。

 私が、私らしく生きるために。


 窓を開けると、冷たい風が吹き込んできた。

 頬を刺すような寒さだったが、王都の淀んだ空気よりも、ずっと清々しく感じられた。


 ここが私の、新しい戦場だ。

 絶対に、平穏な生活を手に入れてみせる。

 そう決意して、私は生活魔法の小さな灯りを指先に灯した。


 まさかその「平穏」が、この屋敷に隠された秘密によって、すぐに打ち砕かれることになるとは知らずに。


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