日常は喪われた、けれど
「ちょっと暖かくなってきたね、お祖母ちゃん」
「そうね、やっとお日様が高くなってくれたものね」
シュターブルク城の正門前で、レティとエイラは、ゼクルスが手配してくれた乗り合い馬車が来るのを待っていた。
エイラに教えてもらって結ったお下げが揺れる感触は、なんだかこそばゆい。
隣では、一緒の馬車で故郷に帰るという若い兵士が大きな欠伸をしている。
確かアベルという名前で、顔を半分隠す包帯からは赤毛がはみ出していた。
「おーい、レティ、エイラ!」
「あ、ゼクルスさま! 来てくれたの?」
そこへ、手を振りながら銀髪の少年が歩いてきた。
「勿論だ。約束したじゃないか」
真っ黒いブーツの足が止まる。
今日は砦に来ていた頃とは違って、お葬式から帰ってきたかのような暗い色合いのコートだ。裾や袖口に小さな雪の模様があって、彼の髪と同じ銀色に輝いている。
その銀髪は黒い革紐で縦断されており、同じ黒が左目にふたをしていた。
「移住先が決まったんだな」
「はい。弟に事情を話したら、是非来てくれと。レティと同じ年頃の子もいるとかで、あの子はお手紙も交換しているんです」
エイラとの世間話が終わると、以前約束した通り、アルニ砦襲撃の顛末について話してくれた。
ドラゴン達は悪い人間に捕まって、砦を襲うように輝石術で無理強いされていたこと。
『悪い人間』の親玉が、ゼクルスの婚約者のファナだったこと。
ファナからは輝石術を取りあげて、遠くの修道院に送ったこと。
「だからね、怖いことはもう起こらないよ。安心してくれ」
ゼクルスは優しく頭をなでてくれたが、その顔色は晴れない。
「ゼクルス様、今日はどうして左の目にふたをしているの? 痛いから悲しいお顔なの?」
「あぁ、これ? こっちの目に怪我をしちゃってね。見えなくなったからふたすることに決めたんだ。今はもう痛くないよ、大丈夫」
痛くないのなら、なぜもう片方の目をそらしたりするのだろう、とレティは首を傾げた。
「……もしかして、ファナって人にフラれちゃったの?」
「ぐぁ」
そう口にすると。
ゼクルスが、料理人に首を掴まれたガチョウのような声をあげた。
「ちょ、ちょっと君! いくらなんでも今のは良くないんじゃないかなぁ!」
「なんで?」
突然、アベルが間に入ってきて、拳を固めて言う。
「フラれた男は傷ついてるんだから、もっと……こう、労って欲しいんだよ」
「おいこら。僕はフラれてなどいない」
「ゼクルス様、大変申し訳ありません! レティには私からよく言って聞かせますので、どうかお慈悲を!」
レティの傍らで、真っ青な顔のエイラが地に額をこすりつけて詫びている。
「だから、フラれてないのに……」
両手はポケットに、背を丸め、ぼやいた口はへの字になっている。
(あぁ……あの顔、ハイケに告白してフラれた時のマックスの顔とおんなじ……慰めてあげなくちゃ!)
どうすれば元気になってもらえるだろうかと考えたレティは、ゼクルスに貰った琥珀を思い出した。
「あ、あのねゼクルス様! 教わった手品、出来るようになったんだよ、見て見て!」
「あー、はいはい」
彼の明らかに気のない返事にもめげず、三人の観客をしゃがませて手品を披露した。
「まず、こちらの琥珀をよーくご覧下さい」
この手品の種は実に明快、琥珀が二つあることだ。
一つの琥珀を見せてから拳を握り、注意を引いてから、二つ目の琥珀をすかさず観客のポケットに。
拳を開く時は、一つ目を袖口にすべらせて隠すことで、琥珀が移動したと思わせるのだ。
「すげぇ! 今、どうやってやったんだ?」
「やぁね、手品の種は明かさないものなのよ」
ポケットから出した琥珀をレティに返しながら、驚くアベル。
気持ちいいくらいに目を丸くしてくれた彼に、レティはいい気分になって、ふふんと鼻で息をした。
(なかなかいい反応じゃないの……もしかしたら、私には手品の才能があるのかもしれないわ! もっと練習して一人前の手品師になったら、お金がいっぱい稼げるだろうから、お祖母ちゃんに美味しいものを食べさせてあげようっと)
今までに食べた美味しいものを思い浮かべながら、ゼクルスにお辞儀をする。
「ゼクルス様、琥珀をどうもありがとう。ゼクルス様の左目と同じで、とってもきれいだね」
そう、言った時。
彼の右目が大きく開いて、涙があふれた。
「え」
「あ、いや……目にほこりが入ったみたいだ」
頬を伝うそれを拭い、ゼクルスはアベルに声をかけた。
「アベル・フィロス。怪我の具合はどうだ? 君にはエイラとレティの護衛を命じたが、支障がない程度には回復したか?」
「はっ。この通り、問題ありません! お二人の行き先まで、護衛を全うします!」
「砦の調査で、ファナと僕を守るために戦ってくれてありがとう。同僚の墓は作ったから、いつでも墓参に来るといい。領主ゼクルスが許可する」
「お気遣い、痛み入ります」
直立不動で敬礼した後、アベルはこっそりとゼクルスに言った。
「あの、ゼクルス様」
「……なんだ」
「俺も城のメイドにフラれました。献身的に看病してくれた子に求婚したら、『ごめんなさい、もう結婚を約束した人がいるから』って」
「……そ、そうか。先約があったとは、残念だったな」
「なので、ゼクルス様一人ではないので、そう気を落とさずに……」
「しつこいな君は! フラれてないって言ってるだろう!」
その後、三人とも怒ったゼクルスに叱られてしまった。
(なんで私まで叱られないといけないのかしら)
下を向いたレティが頬を膨らませていると、馬蹄と車輪の音が近づいてきた。
丁度いいとばかりに、さっさと馬車に乗り込む。
「お祖母ちゃん、はやく!」
「……ちょっと、待っておくれよ」
馬車に乗り込むのに苦労しているエイラの手をアベルが取り、エスコートして、自分も乗り込む。
荷物はゼクルスが御者に渡した。
「じゃあな、みんな。元気で!」
馬車が走り出し、手を振るゼクルスが小さくなる。
「ゼクルス様、ありがとうございました! 琥珀、大事にするね!」
レティは、彼が見えなくなるまで振った手を下ろして、服のポケットに入れる。
そこにある琥珀の感触を確かめるように、そっと握った。




