6ー4
冬の朝。
ゼクルスは、シェーデル邸の外に立っていた。
今日は幼馴染みとの別れの日だ。
濃紺に白い縁取り、要所に銀糸の刺繍が施された冬用のコートを着込んでいても、足下からじわじわと冷気が這い上がってくる。
人間や、ここまで乗ってきた馬車を引く馬の吐息は白く、風に吹かれてすぐに消えてしまう。
ドラゴンのように、何かを壊すこともない。
「……ねぇ、ハルト兄様とエル姉様は来てくれないの?」
屋敷から出てきたファナは、サーモンピンクのコートを着た体をぶるると震わせて、不思議そうに周りを見回す。
「あぁ。兄上はドラゴンとの約定を守るために発ったからもういない。姉上は怯える領民たちを慰めるために、走り回っている。そっちの方が気が紛れるんだってさ」
喋るだけで、冷気が喉を刺すようだ。
二回ほど咳払いして、言葉を口にする。
「ファナ・シェーデルに、リンツ領主ゼクルス・フォン・ベルンシュタインが沙汰を下す。お前はその生涯をリンツ領の僻地、ラルーフ修道院で過ごすように。外出も輝石術の研究も一切禁止だ」
そう告げると、ファナはぽかんとこちらを見ている。
「修道院長には、お前の罪状と沙汰を伝え、一切書物には近づけないよう依頼してある。山ほどの寄付金と一緒にな。……全く、お前は本当に金のかかる女だよ」
「……あのねぇ、その程度で私から輝石術を取りあげられると思っているの? 何があったって、生きている限り研究してやるから」
「いいえ。ダメですよ、お嬢様」
そう言ったのはディランだ。ファナの背後から、大きな鞄を二つ持って歩いてくる。
「先代シェーデル卿の墓参りは終わったか?」
「はい。私はもう帰ってこられませんから。最後の墓参りをお許し頂き、ありがとうございました」
「ディラン、研究がダメってどういう意味? それに、もう帰れないって?」
ファナの質問に、ディランはくしゃりと顔をゆがめたが、言葉を続けた。
「私はゼクルス様に、お嬢様の助命をお願いしました。修道院に入り、輝石術を手放すことが処刑を取りやめる条件なのです」
処刑、という言葉に初めて、ファナは目を見開いた。
「しょけい……なんで? なんで、そんな事するの?」
「僕が領主で、お前が人を殺したから。領主には罪人を裁く権限と義務がある」
強く風が吹き、コートの裾がはためく。ゼクルスはマフラーを少し伸ばして、顎の周りまで覆うようにした。
「お前のした事でたくさんの人が傷ついて、死んで、生き残った人も苦しんでいる。だから、領民たちに恐怖は終わった、もう安心だ、と示す為に、お前を公開処刑する筈だったんだよ。僕の領主として最初の仕事でね」
「でも、ゼクルス様は私の助命嘆願で取りやめて下さいました。アインハルト様がドラゴンの元へ行ったのも、エレイン様が領民を慰めているのも、リンツ領を守り、お嬢様を生かす為です」
ほぅっ、とファナの口から息がこぼれる。赤さんごの瞳が安堵に緩んだのが分かった。
「私たちはもう二度とシュターブルクにも、シェーデルのお屋敷にも帰れないでしょう。でも、俺の居場所はいつでもお嬢様のそばです」
ディランは恭しくひざまずき、ファナの手を取る。
「これからもずっと、お供致しますよ」
そう言って、お互いの指に金の指輪をはめた。
ドラゴンの角を核石に、表裏にびっしり古式文字を彫り込んだそれを。
「うわぁ、きれい! 初めて見る構文だ……この字の癖、ゼスだよね? 輝石術は一切禁止って言ったのに、どうしてこんな指輪くれたの? 私、研究しちゃうよ」
「……どうやって?」
「そんなの聞かなくたって、ゼスなら知ってるでしょ。文字を全部書き写して、既存の資料と照らし合わせて法則性を見つけ……」
いつものように瞳を輝かせ、うっとりと指輪を見つめていたファナだったが、気づいたようだ。
――文字が読めないと。
「っ?」
慌ててディランの手を取り指輪を見るが、息を呑んで目を瞬く。
「そんな、まさか……!」
ファナは肩掛けバッグから、長年愛読していた輝石術の教本を取り出して開いた。
「え、え、なんで、なんで、なんでっ!」
教本を取り落とし、へたりこんでゼクルスを見る。
「まさか、この指輪は……」
「ご明察。『洗脳』指輪を参考にして、お前が監禁してた職人達と作った『識字阻害』の指輪だ。指輪をしている人間は文字を読めないし、書けない」
ファナの顔から血の気が引いた。
「ちなみに。その指輪は自由に外せる。外せない仕掛けは無い」
「えっ」
「ただし、外すとディランの指が吹っ飛ぶ。そして……お前の指輪はボロボロに崩れて無くなる。お前がきれいだと言った、初めて見る術式は二度と読めなくなる」
歯を食いしばるファナを追撃する言葉は、準備してある。
「仮に修道院を脱走したとしても、完全な構文は入手不可能だ。構想メモは全部焼いたし、僕も忘れてしまった。協力してくれた職人達は全員引っ越し済みだ。突き止められると思うなよ」
「うそ……うそよ……」
ファナはかぶりを振って教本のページをめくったが、顔がみるみるうちにゆがむ。
(シェーデル家お抱えの職人たちで実験は済んでるが……効果覿面でよかった)
彼女は輝石術の事なら何でも知りたがったものだ。
そして、今までの人生でそれは常に叶えられてきた。
――だが、もう二度と叶うことはない。
指輪を外して読み書き能力を取り戻せば、未知の術式は失われ、唯一の味方が傷つく。
かといって指輪をしたままでは、決して読み書きは出来ない。
「お嬢様、私たちは償わなければならないんです。早く馬車に乗りましょう」
ファナは立たせてくれるディランの手を振り払い、ゼクルスにつかみかかる。
「ひどいよ! 私から輝石術を取りあげるなんて!」
「ひどい? お前が輝石術にした事と同じくらいのひどさだろ」
眼帯を外して、左の目蓋を開く。眼窩に収まっているのは、数多く作られた試作品の義眼だ。
もちろん、何も見えない。
「輝石術はお前を……そして僕を幸せにしてくれた。なのにお前は輝石術を貶めた。裏切ったんだよ、ファナ」
「私はなにも裏切ってなんか……」
「いいや。お前がドラゴンに襲わせたアルニ砦の生存者は、輝石術を『怖い』と言っているんだ。お前のせいだよ、輝石術が悪く言われたのは」
そう告げると。
ファナの手から力が抜けて、ずるずるとへたり込む。
「……ディラン。僕との約束、守れよ」
「心得ております。命を助けて頂いた代わりに、決してお嬢様を輝石術には近づけません」
ディランの最敬礼に、安堵のため息がこぼれた。掴まれていたコートの皺を伸ばす。
「ファナはもっとお前に感謝するべきだな。ドラゴンを相手取って命がけで助けてくれる男なんてそうそういないのに」
「……もったいないお言葉です」
「少なくとも、僕には出来なかっただろう。まさに愛のなせる技だ」
「っ!」
――この言葉は、常に余裕をくずさない使用人の虚をつけたようで、思わず笑ってしまった。
「実にうまい隠し方だったよ。貴族の婚約者を使用人が恋い慕うなんて……まぁ、今となってはどうでもいいさ。きっと、僕よりもお前の方がファナを幸せにできるよ」
すっかり意気消沈したファナと、口をつぐんだディランの背中を叩いて急かす。
「ほらほら、僕はいつまでもお前達にかまけている暇は無い。次に約束があるんだ」
二人を馬車に押し込み、馬丁に待たせたことを詫びて心付けをはずむ。
「じゃあな、ファナ、ディラン」
「ゼクルス様、この御恩は終生忘れません!」
鞭を入れられた馬がいななき、走り出す。
ゼクルスは特に見送ることもなく、背を向けた。




