5ー5
圧倒的な体格差のある相手に挑まねばならない時。
小さい方が武器にできるのは速さだと相場が決まっている。
廃坑という場所柄、上空からの一方的な攻撃を受けないことも幸運だろう。
――しかし、その幸運はささやか過ぎた。
「あぁ……なぜ人間の図体は7メートル無いのか」
「現実逃避してないで、足動かして下さい、兄上!」
上から迫る鉤爪を避けたと思ったら、即座に右から尻尾が襲う。
風圧をやり過ごし、フックを投げてシャンデリアに引っかけて、上空に逃れようものなら、大口に並んだ牙は目の前だ。
「くっそ!」
咄嗟に『破裂』の術式を仕込んだナイフを片手で放つ。
「ゴアッ」
誰も乗っていない赤いドラゴンは、炎の代わりに血と黒曜石の欠片を吐いてのたうち回る。
その隙に地面に降りて駆け出す。
(痛いだろうなぁ……でも、怒らせただけか)
喉で黒曜石が破裂する痛みなど知りたくもないが、吐血したドラゴンは立ち上がり、殺意にギラつく眼差しをこちらに向けてくる。
「どうやって牙折るんですか!」
「うるせぇな、さっさと武器よこせ!」
咆哮で壁がビリビリ震える中、移動させた武器の山から、戦斧をとって放る。
兄が一番得意なのは長剣だが、牙を折れるような破壊的な術式を仕込んだものは、残念ながら作り置きが無いのだ。
(くっそ、今度はもっと危ない武器をたくさん作っておかないと……!)
目的の牙は遙か頭上である事に加え、巨体故に人間の攻撃は決定打になりにくい。
なのに、こちらはドラゴンの攻撃が一度でも当たれば即死だ。
仮に即死しなかったとしても、足を怪我して走れなくなれば同じことである。
「もうやだ……逃げたい」
「この世からお逃げになりたいのですか? お手伝いします!」
荒い息でこぼした言葉が聞かれていたようだ。
ディランが赤銅色のドラゴンの首をこちらに向けて、炎を吐く体勢に入る。
「うわっちょっ!」
「愚か者! ドラゴンの誇りはどうした!」
そこにコルヌが割って入り、横っ面に尻尾の一撃。
「ありがとう!」
コルヌの攻撃でふらつく赤銅色の足下に走り込み、爪と肉の隙間に全体重をかけて『氷結』のナイフをねじ込む。
「凍って、落ちろっ!」
さすがのドラゴンでも、爪の隙間は柔らかかったらしい。
大振りのナイフは深くめり込み、真っ赤な氷が赤銅色の足を爆ぜさせる。
衝撃に立っていられず、苦鳴を上げて倒れ込むドラゴン。
「兄上、これでさすがに届くでしょう!」
「させません!」
「僕だって、させないさ!」
振り落とされる前に脱出したディランが、アインハルトに斬りかかる前に、『氷結』ナイフを投げて動けなくする。
「折れろっ!」
その隙に、兄がドラゴンに振りかぶった戦斧が『爆発』して、きれいに牙だけを吹っ飛ばした。
「よっしゃ成功! ちゃんと指向性のある爆発になってるな!」
快哉を叫ぶと、兄が驚いてこちらを向いた。
「ちゃんとって何だ、ちゃんとって! 俺に失敗作を渡したのか!」
「やだなぁ、失敗作なんかじゃないですよぉ。たまたま実験の機会が無くて、ぶっつけ本番だっただけで。兄上は怪我もなく、ちゃんと成功したでしょう」
言いながら、腕と足を氷漬けにされてもがくディランを『糸』で縛り上げる。
「俺を実験台にしたな! もっと悪いわ!」
「たまたまだって言ってるでしょう! 何でもできる兄上には、失敗ばかりの弟の気持ちなんて分からないでしょうね!」
「ハッ、そうかよ! 甘やかされた末っ子には『このままではロクな大人にならない』と心配する兄の真心は分からないだろうな! 大体お前は、俺が何の努力もなく……」
言い返そうとして――視界がぐらりと揺れた。
ふらついて、立っていられない。次の攻撃をと持っていた武器を落とした音が、頭を揺さぶるように響く。
どこからか跳ねた瓦礫が見えない左側から当たったのだ、というのは、足下にこぼれた血を見て分かった。
「まだだ……あと、少し……保って……」
肉体と癒合していた義眼を無理矢理引きはがした影響が、今さら来たのだろうか。
「ほぉら! 人が作ってあげたものを粗末にするから、バチが当たったのよ!」
ファナが駆る青いドラゴンの雄叫びが耳をつんざき、膝をつく。
「ゼス!」
「ダメよ!」
駆けつけようとしたアインハルトを、ドラゴンが手で払いのけた。
今度は避けられず、虫のように壁に叩き付けられて。
しばらくは動けないだろう。
「そこの赤いの! ゼスをかじりなさい!」
コルヌの妨害をすり抜けて、赤いドラゴンがゼクルスに迫る。
顎が大きく開き。
動けないまま、生暖かく、肉が腐ったような臭いに包まれる。
ひときわ大きな牙が、近くまで降りてくるのを――黙って見ていた。
「……ありがとう、近くに来てくれて」
手中には既に、鉄製の『雷撃』ナイフが二本。
柄頭を二回打ち付けて『糸』を引き出し、ヒビの入った牙に片方をぐるぐる巻く。
「させないっ!」
「ぐっ」
ファナの投げた瓦礫が当たって、もう片方を落としてしまう。
「よくも私の義眼を壊してくれたわね……! ゼスのナイフも壊してあげる。私と同じで、手作りの品は大事だもんね!」
「やめろ!」
「赤いの、かじるのは止めてナイフを踏みつぶしなさい! ゼスがしたように!」
牙が離れて。
巌のごとき足が、小さなナイフに全体重をかけた瞬間。
――その場を飛びのいて、伏せる。
目を焼く雷光がほとばしり、轟音と悲鳴が地底を振るわせた。
シャンデリアの飾り石がいくつか落ちてくる中を、閉じていた片目を開いてひた走る。
青いドラゴンの足下に、見えない『糸』を張り巡らせるために。
前後不覚の赤いドラゴンの体、そこら中に転がる瓦礫、糸をかける場所には困らない。
「もう、なに……」
仕掛けを終えたら、ファナが咳き込む声を頼りに祭壇の階を登り、足のベルトにある投擲用ナイフを確かめた。
「赤いの、動きなさい!」
「ひどい事言うなぁ。牙みたいな至近距離で『雷撃』が炸裂したんだ。いくらドラゴンだって、動ける筈がないだろ」
光が収まったそこで。
ふらつく赤いドラゴンがぐらり、と地に倒れた。
巻き上がるほこりに紛れて、折れた牙が転がる。
「見誤ったな、ファナ。『衝撃を加えると術式が解放される』ナイフを壊してしまうとは」
叩きつけられた痛みなどおくびにも出さず、立ち上がったアインハルトは失望を露わにした。
「まぁ、仕方ないですよ、兄上。あんな高いところにいたら文字は見えないでしょうし。ナイフから糸が出ていれば、並みの職人は勘違いするかもしれません。『糸を限界まで引っ張るのが解放条件だ』ってね」
そう言い終えると、ファナが顔を真っ赤にするのが見えた。
(……かかったな)
ファナ・シェーデルは掛け値無しの天才だ。決して『並みの職人』などでは無い。
もし輝石術の技量が『並み』であったなら、失明した者に光を取り戻す義眼など作ることは出来なかっただろう。『走狗』の完成度も高く、戦場で使えるようになるまでそう時間はかからない筈だ。
彼女もそれを自覚し、誇りに思っていることをゼクルスはよく分かっていた。
(だからこそ、お前は侮辱を聞き流せなくて……腹を立てるんだ)
「おい、もう終わりか? 負けたのだから同胞を返してもらおう。お前達に任せておくと、同胞が死にかねない」
そこでちょうど良く、コルヌが口を開いてくれた。
「な……何ですって? まだ負けてない!」
ファナの怒号に、ディランが「お嬢様!」と叫んだが、咆哮にかき消されてしまう。
「どうかな、もう終わりだろ!」
太ももに巻いたベルトから投擲用ナイフを取って放つ。左右の手で三本ずつ、命中を考えないバラまきだ。
「何よ、同じ手は喰わないんだから!」
ファナは頬を膨らませ、青いドラゴンに下がるように命じた。
どんな術式が仕込まれたか分からないナイフ。
左右に広がるように投げたそれを避けるにはそうするしかない。
「あぁ、なるほど」
アインハルトの呟きと共に。
青いドラゴンは足下に張られた『糸』に引っかかった。
いくら霊素製の『糸』が強靱とはいっても、ドラゴンのふらつきには耐えられずに切れてしまう。
――だが、それで充分なのだ。
たたらをふむドラゴンの顔面にナイフが直撃し、壊れて、細かいものをまき散らす。
ギャウッ、と悲鳴をあげて、青いドラゴンは苦しみだした。
「何よこれ、うっ……」
すかさずドラゴンの足下に走り込み、鞍から放り出されたファナを受け止める。
「今だコルヌ、牙を折ってくれ!」
「小僧、大儀であった!」
若葉色のドラゴンが尻尾で追撃を食らわせ、ついに最後のドラゴンの牙が地に転がる。
「あぁ、やっと終わった!」
ゼクルスはファナを抱えたまま移動して、ディランの傍らに放り出した。
「どうだ、僕が丹精込めた目つぶしの味は?」
涙と鼻水をボロボロ流し、激しく咳き込むファナを手早く拘束する。
「目つぶし?」
「そうだよ、ディラン。こんな僕でも幼馴染みに勝ちたいって思ってた頃があってね。子供なりのちょっとしたイタズラ心で、唐辛子を中心にいろいろ危険な物を混ぜて作ったのさ。配合の比率と、どれぐらいの衝撃で壊れるかと、バラまく量の調整が難しくて……僕だって何度も涙を……はっくしょい!」
「混ぜるな! というか、高い香辛料を使いすぎだ!」
ゼクルスに拳骨をくらわしたアインハルトも、ひとつくしゃみをする。
「うるさいなぁ。命が助かったんだからいいでしょうよ」
ちょうど顔の傷から血が滴ったので、大げさに痛がってみせる。
「おい、分かってるんだろうな、ファナ。武器を全て失ったお前の負けだぞ」
そう言うと。
ファナの咳に嗚咽が混じり、固めた拳が地を叩く。
「あんな……あんなふざけたナイフで、ドラゴンを……唐辛子だなんて信じられない!」
「ま、ドラゴンにも粘膜があったんだろうな、苦しんだってことは。さぁ、どうする? 今度はお前が丸腰でやりあうか? 僕は構わないぞ」
「いや、悪いがそんな時間はない」
アインハルトの声に、彼が指さす先を見ると、廃坑の壁面がぼろりと剥がれて落ちた。
『走狗』から解放され、立ち上がったドラゴン達の頭上から、細かいほこりが降り、シャンデリアはみしみしと鳴る。
「まさか……崩れるんですか? この廃坑」
「あぁ、そのまさかだ。さすがにドラゴン四頭の大立ち回りには耐えられなかったらしい」
アインハルトは、赤銅色のドラゴンに声を張り上げた。
「グラナート、正気に戻ったか? 約束通り同胞は全て解放した。あなたには面倒をかけるが、ここにいる人間を地上まで送り届けてもらえないか? 頼む」
「心得た!」
グラナートが一吠えすると、他のドラゴンも同じように吠えて、体を震わせた。
「金色の二人は我が手づかみで運んでやろう。うっかり力加減を間違うかもしれぬが、死んでも文句はあるまいな?」
グラナートが、牙の折れた箇所を見せつけるように、ファナとディランに対して口を開けた。
ファナはろくに目も開けられないまま、びくりと身を震わせる。
しかし、そこでディランが縛られたまま這い出て、グラナートにひざまずく。
「当方の不始末を深謝いたします。私どもがあなた方に行った仕打ちに対しては、どのような弁明もいたしません。ですがどうか、私の命と引き替えに我が主にお慈悲を賜りますよう、お願い申し上げます」
「ほほぅ、主というのはそこの小娘か? 主が無事ならば、お前自身は死んでもいいと?」
「はい。私は主に救われた者です。この命、主のために使うことに異存はございません」
ゼクルスの前で、ディランはじっと、迷いのない瞳でグラナートを見つめていた。
「……つまらぬな。死にたくないと泣き叫ぶなら、まだ殺しがいがあったものを。我を主を救う道具に貶めるとは、愚物にかける時すら惜しい」
グラナートが吐き捨てたその時、ついにシャンデリアが落ち、コルヌが尻尾を振ってはねのけた。
「グラ! 時間が無い、一足先にゆくぞ!」
コルヌがグラナートの前から、ファナとディランをかっさらい、廃坑の壁面を駆け上がってゆく。
「まったく、勝手なことを……まぁよい、いつもの事だ」
ゼクルスとアインハルトは、そっとグラナートの掌に乗せられて、崩落しつつある廃坑を脱出する。
「あぁ……もう、朝、なんですね……」
四頭のドラゴンが地上に駆け上がると、ちょうど。
まばゆい朝日があたりを照らし始めた。
人間では到達できない高空を、ドラゴン達は自由を味わうように飛び回る。
降り注ぐ光が、きらきらと辺りのものを浮かび上がらせる様は実に美しかったが、ゼクルスにはじっくりと眺めている余裕など無かった。
とてつもなく眠かったからだ。
「おい、ゼス?」
肩を揺さぶられたくらいでは眠気が払えない。
傷は大したことが無いはずなのに、血を流しすぎたのだろうか。
「兄上、ごめんなさい。僕、眠くて……」
ゼクルスの意識は、ゆっくりと光に溶けていった。




