5ー2
ゼクルスは、坑道を降りる昇降機に乗って、地下深くの実験場に辿り着いた。
「ゼクルス様をお連れしました」
声を張り上げるディランの視線、その先には乗馬用の服に身を包んだファナが手を振っている。
「いらっしゃい、ゼス! 武器は持ってないよね?」
「はいはい丸腰だよ。迎えのディランがチェックしたんだから、信じろ」
ディランと共に祭壇に登り、両手を挙げて見せる。
彼はファナに紐付きの鍵を返していた。
彼女が指に引っかけて回すそれは、ここに出入りする唯一の手段、先ほど乗ってきた昇降機を操作する為のものだ。
吹き抜けの上には青空が見えているが、あそこからの脱出は難しいだろう。
それこそ、空でも飛べぬ限りは。
だからこそ、人質をとって呼び出すにはうってつけという訳だ。
「ゼスお前……バカ正直に来る奴があるか? 愚か者」
「ひどいなぁ、兄上。助けに来たのに」
兄は丸腰のゼクルスとは違って宝剣を身につけているが、だからといってどうなる訳でもない。
祭壇の下には色とりどりのドラゴンが四頭も控えているのだから。
例の、体表に古式文字が書かれた兵器のドラゴン達だ。
「ふぅん、周りを観察しちゃったりして。意外と冷静なのね、ゼス。怒ったり、泣いたりしないの?」
「すれば戻れるのか? 一緒にお茶を飲んでた頃の僕達に」
ファナは黙って首を横に振った。
金のお下げが揺れる様はいつもと同じなのに、その『いつも』はもう無いのだろうと、どこか他人事のように思った。
「それで? こっそり謀反の準備を進めて、兄上までさらったお前は何がしたいんだ? 目的を言ってみろよ」
「ふふっ、研究を自由にさせて欲しいの! 禁術だなんて言わないで、全部私にやらせてよ。王家にバレたら処刑だって言うなら、倒しちゃえばいいじゃない。ドラゴンとの戦争でもいいよ、そうすればまた戦闘用の術式が必要になるでしょ?」
紐を首にかけ、そう言うファナの顔は実に得意げで。
心配事など一つも無いという風だ。
「他の領主が味方してくれるよう算段でもつけているのか? ベルンシュタインだけじゃ勝てないぞ」
「算段はないけど……皆ハルト兄様みたいにすればいいわ。大事な人をさらっちゃえば、お願い聞いてくれるでしょ」
「いつからだ……? いつから、そんな事を考えてた? ファナ!」
声も出ないゼクルスとは違い、アインハルトは縛られたままで叫んだ。
「そんな事って、謀反のこと? 始めたのはお父様だし、いつからって言われてもね……あ、でも、自由に研究したいっていうのは、小さい頃から思ってたよ。あれもダメこれもダメって窮屈だし」
ファナは腰のベルトポーチから指輪を取り出して、ゼクルスの掌に乗せる。
「それでね、ハルト兄様を助けてあげる代わりに、ゼスにはこの指輪をはめて欲しいの。最終調整がまだだし、どんな気持ちになるか詳しく教えてね!」
素材は獣の角のようなクリーム色で、幅広の面には所狭しと古式文字が刻まれている。
「これは、『走狗』の術式を応用しているな……まさか」
「そう! それはね、はめた人間が私に抵抗できなくなる指輪……いわゆる洗脳の指輪なの。ちょっと芸が無いから、名前は後で考えるけど、ドラゴンの角を削るの大変だったんだから。大事にしてね」
ファナは頬を染めて伏し目がちに、恋人に贈り物をする乙女のように言う。
「ゼスが奴隷になってくれたら、ベルンシュタインの地位もお金も全部研究の為に使えるわ。あ、もちろん義眼の術式も改良しましょう。私だけじゃなくて、あなたにも利点があるようにしてあげるから、安心してね!」
義眼のはずの左目に激痛が走り、思わず膝をつく。
「何でだよ、ファナ……お前にはたくさんの人を助けられる力があるのに……戦だなんて、そんな……今まで何人死んだと思ってるんだよ! お前だって見たじゃないか、砦の残骸を!」
ディランが目を伏せる横で、ファナはにっこり微笑んだ。
「もちろん見たよ。あちこち砦を歩き回って、ドラゴンの術式がうまく機能しているのをね。安心しちゃった」
渡された指輪は重く。
(僕は……一体誰と話しているんだ?)
胸のうちで、ガラガラと。
信じていた大切なものが崩れる音が、聞こえた気もする。
(もしかしたら、もうとっくに壊れていたのに、気づかないふりをして。直せる、戻れると思って、必死に接ぎ合わせていたのかもしれない)
「それにさ、人が死んだからって何? ゼスだって、私の可愛い雪豹を殺したじゃない! 他の獣で何回も実験して、やっと成功した大事な子だったのに!」
「雪豹って……あの双頭の? あいつ、お前が改造したのか?」
「そうよ! オドって名前だってつけてあげて、私に懐いてたんだから!」
ファナにしては珍しく、怒気が露わになっている。よほど大事にしていたらしい。
「懐いていたなら、何でだ! 『走狗』を施術したら長生きできないって分かっていた筈だろ! 砦であいつ、僕に真っ先に向かってきたんだぞ! 僕を敵だと思って、お前を守るために戦ったんじゃないのか!」
「そんなの知らないもん! 『走狗』だって、これから改善して、生体への負担を減らそうと思ってたのに……勝手にここを逃げ出したりして、私は死んで欲しく無かったのに!」
ファナは頬をふくらませて、ぶんぶんとかぶりを振った。
「お父様だって怒ってたわ、戦時中は尻を叩いて戦闘用術式を開発させたくせに、負けた途端に王家に尻尾を振って、研究を禁止するなんてひどい、嘘つきだって!」
ファナの父トーランは、ことあるごとにこぼしていたそうだ。
『お前はこんな所で終わる子じゃないんだ』
『お前の才能なら、『走狗』の実用化は確実なのに』
『戦争さえ終わらなければ、負けたりしなかったら、もっと自由に研究させてやれたのになぁ』
『ごめんよ、ファナ。無力な父を許しておくれ』
――ファナが輝石術の才に恵まれず、努力もしなかったなら。
ゼクルスが失明せず、義眼を作る必要に迫られなければ。
称賛され、婚約が確定することもなく――トーランの想いが強まることも無かっただろう。
「さぁ! この指輪をはめて、私の奴隷になってよ! そうすれば取り戻せるの! お父様が言ってた、自由に研究できてた時代を!」
ディランがアインハルトを引っ立てて、若葉色のドラゴンの方へ追いやった。
「ドラゴンちゃん。私が合図したら、その人間を食べちゃいなさい」
ファナに指示され、ドラゴンはアインハルトをくわえて、ぐっと体を伸ばした。
「兄上!」
「何をしてる、さっさと逃げろ! ファナの望み通りになったら、もっと人が死ぬんだぞ!」
「あ……ぁ……」
「さぁ、ゼス!」
耳を貫くようなファナの言葉。
――指輪さえ、すれば。
――もしかしたら、術式にあらがう事ができるかもしれない。
――目の前で、人が死ぬよりはよほどいい。
そう、諦めて。
指輪を二本の指でつまむまでの時間が長すぎたようだ。
「もぅ、遅い!」
怒ったファナが手を叩き、ドラゴンは無造作にアインハルトを投げ上げた。
――上がった後は当然下がるもので。
落下地点は、大きく開いたドラゴンの口。
「やめろ!」




