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アインハルトが行方知れずとなってから数日。
シュターブルクの城では、お茶を楽しむ人間が二人に減っていた。
「坊ちゃま、報告がございます」
「二人が見つかったのか!」
「いいえ」
兄に続き、また一人失踪者が出た城で。
ゼクルスは立ち上がりかけ――座った。
「アルニ砦の襲撃で、救援隊唯一の生き残りがいたことを覚えていらっしゃいますか? ヘルマンというのですが……彼が意識を取り戻し、どうしてもお二人に報告したい事があると」
リウスの後ろから、メイドに支えられて姿を現したのは、包帯に覆われ、杖をついた男。
「ゆっくでいいぞ。まだ痛むだろう」
「過分なお言葉、痛み入ります」
古めかしい言い方は、祖父の代から仕えてくれている老人に特徴的なものだ。
包帯に半分覆われた顔にはしわが刻まれているが、なぜかその片目は喜びに輝いているように見えた。
「エレイン様、ゼクルス様に申し上げます。先ほど、ファナ様が全ての準備を終えたとの連絡がありました。アインハルト様がおられないのが残念ですが……今こそ決起の時でございます。どうぞご決断を」
(決起の時、って何のことだ? ディランが病室にいた? いつ?)
ヘルマンの言葉に首を傾げ、隣の姉を見れば、首を横に振る。
リウスとメイドも怪訝な顔だ。
「決起はともかく……ヘルマン、ファナと使用人のディランの行方が分からなくて捜している。君は何か知らないか?」
「申し訳ありません。夢うつつでして、行方までは……ただ、お手紙をゼクルス様にと」
渡されたのはシェーデル家の封蝋が使われた、真っ白い封書だ。
――ゼクルス・フォン・ベルンシュタイン様
あなたの兄君アインハルト様は、廃坑研究所にてお預かりしております。
生きての再会をお望みであれば、非武装のあなた一人でお越し下さい。
もしこちらの要求に応じて頂けない場合は、アインハルト様はドラゴンの胃袋に収まることになります。
くれぐれも、お互いにとって利益のある道をお選び下さいますよう、お願い申し上げます。
――ファナ・シェーデル
「いや……まさか……そんな、筈は……」
「ゼス? どうしたの?」
手紙を持ったまま震えるゼクルスの脇から、のぞき込んだエレインが息を呑んだ。
「リウス、私の動きやすい服を準備してちょうだい。……信じられないけど、アインハルトを攫ったのはファナよ。助けに行かないと」
「なんですと? アインハルト様が! そんな馬鹿な」
ゼクルスが『何かの間違いだ』と言うよりも前に、ヘルマンが驚きの声を上げた。
手紙を見せてやると瞠目し、二の句が継げないという風だ。
「ヘルマン、質問に二つ答えてくれ。一つ目は『決起というのは何に対してか』。二つ目は『ファナが終わらせた準備とは何か』だ」
姉弟の顔を交互に見る老人の瞳からは、先ほどまでの輝きは失われていた。
決起というのは、ベルンシュタインが王家に対して謀反を起こすこと。
ファナの準備とは、王家打倒に十分な戦力を整えること。
平時には会計も担っていたヘルマンの役目は、くれぐれも王家に知られぬよう、軍資金を調達することだったのだ。
「そうか。鉱石の横流しをしていたのは君だったんだな」
「あぁ……横流しという事になっていたのですね。一年ほど前、ファナ様から、ドラゴンを戦力に出来るめどが立ったと聞き……雌伏もここまでだと……やっと、ジスラン様にご恩返しが叶うと……胸を躍らせておりました」
「お祖父様に?」
ヘルマンの片目から滂沱と涙があふれ、膝をつく。
エレインが椅子に座らせて背中をさすると、顔をくしゃくしゃにして話してくれた。
ヘルマンもまた他の老兵たちと同じく、ジスランに敗戦後の衣食住を世話してもらい、感謝していること。
恩人の孫であるゼクルス達が、何かと王家に睨まれていることに憤りと――負い目を感じていたこと。
だからこそ、謀反は三姉弟の総意だと思っていたこと。
「負い目だなんて……君がそんなものを感じる必要はない」
「いいえ、いいえ、ゼクルス様。私どもが勝ち戦さえできていたなら……罪もない幼子に、生涯の烙印が押されることなど、無かったのです。宝剣などと宣って、敗戦領主の目印を常に帯びねばならぬ屈辱いかばかりか……雪ぐためなら、老骨の命など」
ヘルマンの言葉に、反射的に腰の短剣に触る。
三姉弟そろって、初めて国王に拝謁した幼い頃。
輝く短剣を受け取って、常に身につけておくよう言われた時は、自分が特別な人間になった気がしたものだ。
子供が無くしたり壊したりした時、圧力をかけるための口実の一つ――信用できない人間の烙印だと知るまでの、僅かな間だったけれど。
「ヘルマン殿、あなたは間違いましたな」
唐突に、リウスの声がした。
視線を動かすと、常に穏やかな執事が冷ややかな眼差しをヘルマンに向けている。
ゼクルスが初めて見る顔だ。
「な、何を……っ!」
「我々の主は、罪もない幼子を犠牲にしてまで雪辱を望む方々ではありません。無論、あなたも御存知と思っておりましたが、どうやらわたくしの買いかぶりだったようです」
罪もない幼子、というのがゼクルス達ではなく、アルニ砦の子供達を指すのだ、と。
気づいたヘルマンの顔が、さっと白くなった。
「ゼスが、お父様から砦の慰問を引き継いだのはいつだったかしら。ずいぶん長いこと通っていたわね」
「……そうです。あそこは僕の大切な人たちがいた場所でした。皆、死んだ日の朝も、昨日と同じ一日が始まると信じて疑わなかったでしょう」
朝目覚め、身支度に朝食、その後はそれぞれの日課に勤しむ。
それは、炎の中に消えてしまって二度と戻らない日常。
――ゼクルスが守れなかったのは、そんな一日なのだ。
ヘルマンのすすり泣きと謝罪の中。
普段なら振り払っただろう姉の手を、今は黙って頭を撫でるままにしておく。
黙って茶器を片付けるリウスの後ろ姿も、なぜだか頼もしく見えるのが不思議だ。
「姉上、ファナから贈られた髪飾りはまだつけていますか? こうなった以上、危ないので外して下さい」
「そうね、分かったわ」
脅迫状まで来ているのだから、髪飾りに仕込みが無いとは思えない。
念のためメイドに工具を持って来させ、怪しい術式が無いか確認する。
細心の注意を払って外し、バラバラに分解。
後は、鍛冶場で溶かして処分すれば良い。
「姉上、特に外すことを妨害するような仕掛けはありませんでしたよ」
「もぅ、ゼスは心配性なんだから」
笑った姉が振り向く前に、急所を一撃。
気絶した彼女を支え、そっと長椅子に寝かす。
髪飾りに毒針が出る仕掛けがあったことなど、特に伝える必要はないだろう。
「リウス、姉上を頼んだよ」
「坊ちゃま……アインハルト様を助けに行かれるので?」
「もちろん。僕たちに何かあった時のため、姉上には無事で居てもらわないと。絶対に行くって譲らないだろうからね」
手紙をテーブルに置き、ゼクルスはナイフを固定するベルトに手をかけた。
「あ、それから。念のため、武器庫に一人か二人、詰めておいてくれ」
部屋を出る時にふと、砦の子供たちを思い出した。
――貯蔵庫の水瓶に幼い子をかくまい、暑くても我慢して、仲間を守ろうとした彼らのことを。
(僕も、がんばるよ。君たちと同じで、怖いけど……守りたいものがあるから)




