兄妹の夜
★
その日の夜――。
営業が終わり、店の片づけや翌日の準備も終わり、寝る準備を終えた頃にはもう日付も変わる頃だ。
文美もとっくに寝ているだろう。耕平は自室への古い階段を軋ませないよう気をつけながら、そっと上がっていくが。
「おつかれさまー、お店の仕事はいつも大変だねー」
「……まだ起きてたのか」
「いつもはもっと遅いよ」
ベッドに寝転がった文美は暗い部屋でスマホを弄っている。夏休みだから毎日夜更かししているのだろう。
「そんなことしてると目悪くなるぞ」
「んー、そろそろ寝る」
スマホを枕元に放り出し、もぞもぞとベッドの横に移動する文美。空いたスペースに耕平が潜り込むと微かに身体を押しつけてくる。耕平が実家を出る前と何ら変わらないやり取りだった。
「「…………」」
文美が実家でやっているように小さな照明だけをつけた部屋で、規則正しい呼吸が聞こえてくる。そんな中、耕平はぼんやり天井を見つめていた。営業中は忙しかったが、学校がないため疲労はそれほど溜まっておらずあまり眠気を感じない。
と、微かに欠伸を噛み殺すような声が聞こえた。
「……今日は楽しかったな」
「そか、ふたりともいい人だろ」
「うん……まおちゃんは最初よくわかんない人だったけど、楽しいし……みやこちゃんはあんまり年上っぽくなくて好きかも……」
文美の声は既にぼんやりしている。今日は店の営業が始まるまでずっとふたりに構ってもらっていて、少し遊び疲れたのだろう。星川さんも先輩も大変だっただろうが、耕平としては正直かなり助かっていた。
しばらく沈黙が続き、文美も寝入ってしまったかと思ったころ。
「ね、お兄ちゃん……まおちゃんとみやこちゃん、どっち?」
「何がだよ」
妙な言葉だが、文美のとろんとした声音にはわずかに試すような響きがあった。わけもわからず聞き返すと。
「んー……どっちが大事なお客さん?」
「変なこと聞くなよ。俺にとってはどっちも大事なお客さんだぞ」
「……じゃあ、どっちのほうがお兄ちゃんの料理たくさん食べる?」
「うーん……同じくらいかな。ふたりとも好きなもの出すとすぐ食べちゃうし。食べるスピードが違うくらいだよ」
何となくわかってきた。これは妹なりのテストなのだ――理由も目的もわからないが。
「じゃあ、どっちかが自分だけお兄ちゃんの料理食べたいって言ったら、どうする?」
「そんなことにはならないよ、ちゃんとふたり分作るし――」
「ひとり分しか作れなかったら?」
「そうだなぁ……」
次第に眠気がやってきて、相手をするのが少し面倒になりつつあった。
ぼんやりした頭に、ふたりがカウンター席で食べている姿が浮かぶ。
星川さんは何か食べているときは本当に幸せそうだし、先輩は丁寧ながらも一心不乱に食べてくれる。ふたりが並んで自分の作った料理を食べる姿は、耕平にとって一番大事な風景だ。
「……まぁ、毎日交互に食べてもらうよ」
「そっかぁ……喧嘩になっちゃったら大変だねぇ」
身体を押しつけてくる文美の声には微かに溜息が混じっているような気もした。が、いよいよ眠気が押し寄せてくる。肩に顎を乗せるような体勢で話しているせいで、首筋に息が当たるような感触が懐かしく、それがさらに眠気を誘う。
「……文美、明日何食べたい?」
「ん-、そうだなぁ――」
妹が何か答えたような気がしたが、耕平は既に心地よいまどろみの中にいた。
♪
(これはあのふたりも大変だぁ……)
兄の肩に顎を乗せた文美は微かに溜息をつく。
お兄ちゃんはきっとまおちゃんもみやこちゃんもとても大事にしている。でも、どこまでいっても『大事なお客さん』か友達なのだ。だから、おいしいものを作ってお腹いっぱい食べさせるためには何でもするだろうけど、あのふたりの気持ちにはきっと気づけない――たぶん、それがお兄ちゃんの愛情なのだ。
(困ったもんだなぁ……お兄ちゃんにも)
むしろそれがいいところだし、取られてしまう心配もなくなった。でも、今日一緒に遊んであのふたりがお兄ちゃんがどれくらい好きなのかもわかってしまった。ふたりとも可愛いし、お兄ちゃんのご飯が大好きだし、自分が幸せ者だとお兄ちゃんももう少しわかってもいいはずだ。
(ま、もうちょっと様子見るか……)
もしわたしが変なことをしてもしお兄ちゃんが心変わりしたら、うちに戻ってこなくなるかもしれない。このお店に住んで、ふたりに会ってお兄ちゃんも変わったかもしれないけど、いつかはうちに帰ってきてもらうのだ。
「ん……」
しばらく当てもない考えを巡らせていく文美の瞼が次第に落ちていく。
(明日は何して遊ぼかな……ううん、最初に宿題手伝ってもらって……お兄ちゃん、ハンバーグ作ってくれるかな……)
夏休みらしいぼんやりした期待を楽しみながら、兄に身体を押しつける文美はやがて落ち着いた寝息を立て始めた。




