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妹は完全無敵生命体ー③


 やがて――。

「ごちそうさまっ」

 からん、とレンゲを皿に置いた文美は満足げに息を吐き出す。

「よく食べるようになったな。少なくなかったか?」

「んー、もっと多くてもよかったかも」

 立っていた小さな旗を弄ぶ文美の機嫌はかなりよさそうだ。もしかして味が変わってしまったかもと思ったが、これなら大丈夫だろう。

 一方、星川さんと先輩は量が多いせいか、黙々と食べ続けている。

「まだお代わりは作れるから。食べたかったら言ってね」

「ん……大丈夫」

「いいわ。ちょうどいいくらい」

(どうしたんだろ?)

 何とは言えないがふたりが食べる調子がいつもと違う気がする。もっと食べるはずとか、早いとか遅いとかではなくて、少し元気がないというか……。

(うーん……)

 文美の前だから気を遣っているのだろうか、文美に合わせたせいで味付けが子供っぽかったのかもしれない。そんなことを考えながら文美の皿を片付けていると。

「ふぁ……」

 文美が小さな欠伸をする。

「昼寝するか?」

「うん……」

 実家では食べ終わった途端に寝ていた文美のことだ。まだその癖が残っているのだろう。もしかしたら星川さん以上に昼寝が好きなやつかもしれない。

「俺の部屋使っていいぞ」

「「っ?」」

 その言葉に星川さんと先輩がぴくりと反応するのがわかった。

 が、文美はそんなことお構いなしにうとうとし始めている。

「もうちょっと頑張れ、文美。夜もそのまま俺の部屋使っていいから」

「お兄ちゃんは?」

「俺は下で寝るよ。他にクーラー使える部屋ないだろ」

「お兄ちゃんも一緒に寝ればいいじゃん」

「だーめ。いい加減ひとりで寝られるようになりなさい。そういうのは小学校までって言ったろ」

「「…………」」

 その間、もう星川さんと先輩の手は止まっていて、事態の成り行きを見守っているのがわかる。妙な緊張状態が訪れた直後。

「……やだっ」

 途端に文美がぱちん、とテーブルを叩く。そして足をばたつかせ始めた。

「お兄ちゃんと一緒に寝るっ、お兄ちゃんが下で寝るならわたしも下でいいっ」

「こらっ、文美! わがまま言うんじゃないっ!」

「たまにはいいじゃん! お兄ちゃん、家出ていって好き放題やってるんだから!」

 その間、文美は手足をばたつかせしきりにわめき続ける。

 これが出ると耕平もお手上げだった。それに、食事中にこんな兄妹喧嘩をされたら星川さんも先輩も迷惑だろう。

「わかった、わかった、夜どうするかはあとで相談しような」

 耕平はその身体をひょいと抱き上げると。

「お兄ちゃんのばかっ、放してよぉっ!」

 ばたつく妹を肩に担いで自室への細い階段を上がっていった。



「「…………」」

 その光景を呆然と見つめていたふたりはやがて残りのチャーハンを食べ始める。

「何あれ……あの子、めちゃくちゃじゃん」

 あんなわがままを私達が言ったら、そらに怒鳴られるに決まっている。それなのに、あの子は当たり前のようにだだをこねて、怒られもしないし、そらだって慣れた感じだった。昔からわがままを言いまくっているのがわかってしまう。

「……だから言ったでしょ、妹はお兄ちゃん相手には無敵なのよ。あれで『帰ってきてほしい』ってだだこねられたらどうなると思う?」

「…………」

 そんなの考えたくもない。あれをやられたらいくら頑固なそらでも……。

 それにしても。

(きょうだいってあんななんだ……)

 ひとりっ子のまおにはやはり驚きの存在だった。少し年の離れた家族がいることも、ずっと一緒に生活してきてその存在が当たり前であることも。周りから聞いてはいても、実際に目にすると不思議でさえあった。

 一方の宮古はかちゃかちゃと食器を鳴らし、行儀よく食べ続けている。

「まぁ、今頃は耕平に甘やかされてご機嫌直してるでしょうね」

「……は? さすがにそれはなくない?」

 あれだけわがままを言って、今度は甘やかされるなんて。めちゃくちゃすぎる。思わずそんな言葉が出ていたが。

「そういうものよ、妹って……細かいことは食べてから考えましょ」

 それからはただ静かな食事の時間が続くのだった。



 妹を自室に運び込んだ耕平はそっとベッドに横たわらせ、その横に座って、頭を膝に乗せてやる。

「今日はずいぶんご機嫌斜めだな」

「別に悪くない」

「そか。家ではひとりで寝てるんだろ?」

「寝てるよ。小さい電気も消してるし」

 ごろりと寝返りを打つ文美は身体を横に向け、耕平の膝に頬を擦りつけるような体勢になる。その頬にかかった髪を指先でそっと払ってやると、少しくすぐったそうな声が上がった。

 部屋には古い冷房の動作音と、外の蝉の声がわずかに聞こえてくるだけだ。

 成長したように見えて、相変わらず甘ったれのままではあるが、この数か月ずっと寂しい思いをさせていたことを考えるとやはり罪悪感を覚える。

 文美の頭をそっと撫でてやっていたとき。

「……あのお姉ちゃん達、いつから来てるの?」

「そうだなぁ、星川さんは4月の終わりくらいからかな」

「ギャルのほう?」

「そうそう。先輩は6月だったかな……ふたりともあんまり好きじゃないか?」

「違うけど……お兄ちゃんの特別なお客さんって言ってた。ほんと?」

 ごろりとまた寝返りを打った文美が見上げてくる。最近あまり見せなくなった不安そうで、甘えた瞳だ。

「そうだな……特別なお客さんだよ」

 あのふたりのお陰で自分は頑張れているのだと思う。まだまだ全然なのはわかっていても、昔よりきっと上達しているはずだ。

「……わたしより?」

「うーん……」

 以前は自分が作ったものを喜んで食べてくれるのは文美くらいだった。もしかしたら生まれて初めてのお客さんは文美かもしれない。それでも家族は家族で、あのふたりは何の縁もないのに食べてくれるようになったお客さんだ。文美も、あのふたりも特別な存在には違いなかった。

「……文美と同じくらいかな」

「しょうがないなぁ……」

 文美は何やら納得したようにまたごろりと横向きになる。

「一緒に寝てくれるなら、お兄ちゃんが変な女のひとにご飯作ってるって言わないでおいてあげてもいいよ」

「わかった、わかった……こっちにいる間だけな」

 こうやって甘やかしてしまうから、この年になってもわがままばかりなのだ。それでもやっぱり妹には弱かった。

「晩ご飯はちょっと遅くていいから……」

 その間にも文美はもううとうとし始めている。妹の瞼がゆっくり落ちていくまで、耕平はそっと頭を撫で続けるのだった。



「「…………」」

 ほんの少しだけ開けた襖の隙間から、ふたつの目がじっとその様子を見つめていた。

 身体を丸めた文美は兄の頭に膝を乗せ、頬や頭を撫でられながらうっとりと目を細めている。お店で出くわしたときからは想像もできない、安心しきった顔だ。

(ほら、もう行くわよ……)

 隣で宮古が囁くが、まおはその光景をじっと見つめたままだ。

 さすがにあり得ないと思って確かめにきたら、まさか本当に宮古の言う通りになっていたなんて。

(……反則じゃん)

 あんなにめちゃくちゃにわがままを言って、そのあとは甘やかされて、やりたい放題すぎる。妹だからってそんな自由にできるなんて。

(もう行くって言ってるでしょ……っ)

「…………」

 文美を撫でる彼の顔も驚くくらいに優しい。料理を作っているときも、私達が食べているのを見ているときも、あんな顔をしているのは見たことない。

(行くわよっ、あんたも未練がましい女ね……)

 結局、宮古に襟首を引っ張られ、渋々足音を殺して階段を下りていくことになるのだった。


 そして――。

 ふたりは言葉を交わさないままいつものカウンター先に座る。

 突然やってきた傍若無人な存在に、マイペースなまおもどうしていいかわからなかった。言葉を交わさないままぼんやりしていると、それぞれの前に紅茶のカップが置かれた。

「文美の相手は大変だったろ?」

 二階に目をやる祖父の顔は珍しく、どこか気遣わしげだ。

「大丈夫ですけど、そらのほうが大変そう……」

「昔はあんなにわがままじゃなかったんだけどね――」

 それからふたりは祖父から改めて耕平と文美の関係を聞くことになった。


 不在がちの両親に変わって耕平が妹の面倒を見ていたこと。

 そのためか、元から度を過ぎたお兄ちゃん子であったこと。

 耕平にとって妹は自分が作ったものを食べてくれる唯一の存在だったこと。

 実家を出るときは大泣きして、未だにこのお店や祖父を恨んでいること……。


「俺もあいつは実家に戻したほうがいいと思うんだがねぇ、店を継がせるつもりもないし。でも、あいつなりに真面目にやってるのに、それはさすがになぁ……」

(おじいちゃんも大変なんだ……)

 そらと文美の間で板挟みになっている。きっとどちらを選んでも片方に恨まれるだろう。

 多分、みんな間違ったことはしていない――ただ、文美がお兄ちゃんのことが好きすぎるだけで。

「よかったら、文美がこっちにいる間はちょっとでいいから相手してやってくれるかい? 寂しがりやだし、耕平もあいつのお守りばっかりしてられないからね」

 それだけ言って、祖父はまたキッチンの奥に戻っていった。

 ふたりともしばらく無言で紅茶を飲んでいたが、やがて宮古がぽつりと口にする。

「……文美ちゃんとちょっと遊んであげましょうか」

「うん」

 そらを連れ戻されるのも困るけど、文美だってずっとお兄ちゃんのチェックでカリカリしていたくはないはずだ。

 多分、同情も少しあるけど、それよりはそらのことが好きな女の子としての仲間意識のようなもの。それと、あの子からお兄ちゃんを取り上げてしまった責任感も少し。

 宮古も同じことを考えているはずだ。

「明日、いろいろ遊ぶもの持ってくる」

「私もそうするわ」

 それからはふたりともぼんやりとカウンターで過ごし、やがて開店時刻前になると店を出ていくのだった。

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