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乙女の尊厳プライスレスー①


 終業式を翌日に控えた午後――。

 授業は午前中で終わったこともあり、早めに耕平に店に集まった二人は彼の作った朝食を摂り、店の隅でこそこそ話していた。

「だから、何であたしがそんなことしなきゃいけないのよ。学校の友達に頼んだ方が早いでしょ?」

「私の友達、みんな全然だめだし……宮古の学校レベル高いでしょ? お嬢様だし、勉強できそうだもん」

「あたしのこと何だと思ってるのよ……」

 溜息をついた宮古はグラスの水をひと口煽る。

 昨夜、突然この小娘からメッセージが届いたと思ったら『追試があるから勉強教えて』とだけあった。どう考えても面倒だし無視したものの、こうしてお店で泣きつかれているというわけだ。

 一応上級生だし、授業は真面目に受けている。学校の偏差値だって低くはない。きっと教えることはできるだろうけど。

「そんなに困ってるなら耕平に教えてもらいなさいよ。あいつは大丈夫だったのよね」

 こいつのことだから真っ先に耕平に泣きつきそうなものなのに。

 しかし、うつむいたまおはもごもご口にするだけだ。

「……だって、そらにばかだと思われたくないもん、絶対ゲンメツされるし」

「面倒臭いやつね……毎日遊び呆けてるんだから、もうバレてるでしょ」

 毎日適当に学校生活を送っている癖に、こういうときになると慌てて……。

 宮古が取り合ってくれないことに焦り始めたのか、まおはぱちんと手を合わせる。

「ね、ね、一生のお願いっ、助けて宮古っ」

「小学生みたいなこと言わないでよっ、どうせすぐ忘れる癖にっ」

 とはいえ、好きな人にみっともないところを見せたくないという気持ちは宮古にだってわかる。

 ライバルである自分に助けを求めるなんて、相応の覚悟も決めたに違いない。

 とうとう根負けした宮古は溜息をつく。


「……わかったわよ、これで貸し借りなしだからね」

「ありがとうっ、宮古! 絶対忘れないからっ」

「あんまり期待するんじゃないわよ。で、教えてほしい教科は?」

「……ぜ――……」

「何? はっきり言いなさいよ」

「だから……――……」

「はぁっ? 全部赤――むぐっ」

「声大きいって!」

 言いかけた宮古の口をまおが手で塞ぎ、キッチンの様子を窺っている。

 そして聞かれていないとわかるとようやく手を離した。

「気をつけてよ。そらにバレないように宮古に頼んでるんだから」

「耕平に相談できないわけね……」

 逆の立ち場なら自分も同じことしただろう。けれども、予想していたよりも面倒な状況だ。既にげっそりしながらも、宮古はまおの潰れた鞄を顎でしゃくる。

「答案と問題用紙は持ってきた?」

「うん」

「教科書は?」

「全部ある」

「ノートは…………まぁ、取ってないわよね」

「うん……」

 ここまできたらあるものでやるしかないだろう。それもできるだけ早い方がいい。

「耕平っ! あんたの部屋借りるわよっ!」

「? いいですけど……」

 キッチンの方に声をかけると中で何やらやっていた耕平が顔を上げ、不思議そうにしていた。

 しかし、宮古は構わずまおを連れ、二階にある小さな彼の自室へと階段を上がっていく。

「あたしとまおで大事な話があるから! いいって言うまで勝手に部屋に入ってこないでよっ!」

「はぁ……わかりました」

 相変わらず不思議そうな耕平を下に残したまま、二人は部屋に向かうのだった。



(どうしたんだろ……)

 二人分の小さく軽い足音が階段を上がっていき、部屋のふすまが閉じられる音を聞きながら、耕平はホールの床にモップをかけていた。星川さんの様子はかなり深刻だったし、先輩は少し面倒臭そうだった。

 何かあるなら自分だって相談には乗りたいけど。

(うーん……)

 わざわざ先輩に話すということはそれなりの事情があるのだろう。

(ま、いいかっ)

 二人が仲良くしてくれているならそれで充分だ。最近小競り合いが多かったし、耕平としても自分の出した料理のせいで『お客さん』が仲たがいなんてしてほしくない。

(それにしても何なんだろ? あとでお茶持っていこうかな)

 先輩には止められているけど、部屋の外から声をかけるくらいはいいだろう。

 あとで二人に作るものを考えながら、耕平はホールにモップをかけ続けるのだった。

 しかし開店時刻をすぎても二人は部屋を出てこないまま――。

(本当に大丈夫かな……)

 さすがにそろそろ心配になってきた。

 やってきた常連客に水を出し、注文を取りながら――この人はいつもカツサンドとアイスコーヒーのセットだ――ちらちらと店の奥の様子をうかがっていると。

「今日は耕平くんに作ってもらおうかな」

「えっ――俺ですか?」

 予想外の言葉に耕平はハッと我に返る。

 が、常連客に冗談の気配はないが、勝手に作るわけにはいかない。

 どう返事していいか戸惑っていると。

「そろそろ耕平くんも覚えていい頃だろ。空井さん! 耕平くんに作ってもらっていいよね?」

 常連客はキッチンの奥で新聞を読んでいる祖父に声をかける。

 顔を上げていた祖父――こういう会話はちゃんと聞いている――はしばらく耕平の顔を見つめたのち、無言で頷いた。

「そういうことで、よろしく頼むよ。作り方は覚えてるよね」

「……はいっ、すぐ作りますっ」

 いきなりこんなことになんて。とはいえ、耕平にとってはまたとない機会だ。

 祖父がこの常連客に作っているのはもう何度も見て、手順は覚えている。

 ぺこりと頭を下げて早足に入る耕平の頭は、もうその手順をなぞり始めていた。



「ふんふん……これくらいなら大丈夫そうね。追試はいつ?」

「来週の月曜。朝から」

「あと5日か。まぁ、何とかなるでしょ」

 教科書をぱらぱらめくる宮古の様子にまおは安堵の息を吐き出す。

 少し心配だったけど、やっぱり宮古に頼んでよかった。しかし、宮古は答案用紙を並べて溜息をつく。

「それにしても、あんた……さすがにこれはひどすぎない? どうせテスト中も寝てたんでしょ」

「だって、寝るの遅かったから」

「それで暮らしていけるあんたが羨ましいわ、まったく……」

 宮古は教科ごとにテスト一式や教科書を分け、何やら考え込んでいたかと思うと。

「日本史と英語は持って帰ってテスト内容の範囲考えてくるから。今日は国語から行きましょうか」

「ん、お願いします」

「じゃあ、まずはこれ。書いて覚えなさい」

 答案用紙には問題文の空白部分になっている箇所に入る漢字らしきものが、丸っこい字で書いてある。が、かなり適当だ。

 正確な漢字を自分のスマホに表示させて、まおの横に置く。

 これを参考に書き写せということなのだろう。

「何回書けばいい?」

「覚えるまでに決まってるでしょっ!」

「はい……」

 これはかなり厳しそうだ。早くも疲労を感じながらもまおは漢字をルーズリーフに書き写し始めた。


 

(……よしっ)

 タイマーが鳴った瞬間にフライヤーからカツを上げ、バットに移す。

 背後に祖父の厳しい視線を感じながらも、軽く焼いたトーストにマスタードとソースを塗り、カツを挟む直前にキャベツの千切りを乗せる。

(マスタードは少し多め、ソースは少なく、キャベツは少し多く……耳はこのままだよな)

 祖父が出す料理は均一でないことにはとうに気づいていた。

 お客さんによって少しずつ調整しているのだ。マスタードの量が違ったり、揚げ加減が違ったり、材料の切り方が違ったり、毎日行列ができる万人向けの料理ではなくても、こういう気遣いで常連さんを離さないようにしている。

 常連も耕平に少しずつそれを覚えさせようということなのだろう。

 最後にカツを挟んで馴染ませてから斜めにカットして皿に乗せ、付け合わせにレタスとトマトを添えて――。


「お待たせしました。カツサンドとアイスコーヒーのセットです」

「うん、いただくよ」

「ごゆっくりどうぞ」

 常連客の前にお皿とグラスを置いた耕平はぺこりと頭を下げ、そそくさと席を離れる。

 ずっと見ていては食べづらいだろう。

 相変わらず祖父の厳しい視線を感じながらも、常連客が食べ終わるのを待つのだった。


 それから――。

「ごちそうさま。お会計ね」

「ありがとうございましたっ」

 食べ終わり、しばらくゆっくりしていた常連客が立ち上がるのを見て、耕平は慌ててレジに向かう。これからテストの結果が返ってくるのだ。緊張しながらもレジを打ち、おつりを引き出していると。

「おいしかったよ。ただ、もうちょっとマスタードは少なめがいいかな」

「……すみません。やっぱり辛かったですか?」

 さすがに見様見真似では無理があったのだろう。耕平は落胆するが。

「いやいや。ちょっとだけね。また頑張って」

「ぁ……ありがとうございますっ!」

 合格ではないが、追試は続けてもらえるということだ。

 突然の展開だったが、思いがけない結果に耕平は心の中でガッツポーズを作っていた。


 しかし、開店してかなり経ち、もう陽も完全に暮れた頃――。

 二階から二人の足音がする。

 思わずそちらを見ると、よろよろと階段を降りてくるところだった。

「……あたしに相談して正解ね。耕平に相談したらあんたのプライドはずたずたになってたわ……」

「……ごめん……」

 足取りだけでなく、その姿もひどく憔悴しているように見えた。

「ちょ、ちょっと、大丈夫?」

 この数時間でここまでぼろぼろになるなんて、一体何があったのだろう。

 耕平は慌てて駆け寄るが。

「長居しちゃって悪かったわね。今日のところはもう帰るわ」

 先輩は力なく手をひらひら揺らす。

 鞄を肩にかけた星川さんも髪はくしゃくしゃだ。いつも手入れを怠らない彼女には珍しい。

「私ももう帰る……明日また来るね」

「いいけど……」

 二人の様子にそれ以上追及することもできない。

 他の来店客の目につかないよう裏口から出ていくのを見守るしかなかった。

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