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雨降って猫集まる


 翌日――。

 外は生憎の雨模様だがホームルームが始まる前の教室はとにかく騒がしい。もう夏休みがすぐ目の前まで迫っているせいか、同級生全員が浮かれているのがわかる。

「はぁ……」

 そんな中、耕平はひとり溜息をつき椅子に寄りかかっていた。

 隣の席にはまだ誰もいない。

(やっぱり気まずい……)

 昨日は怒ってしまったことに心の折り合いをつけたつもり――お店のためには仕方ない――だったが、やっぱりこうして学校で顔を合わせることになると……。

 もしかしたら自分から謝った方がいいのだろうか。それはちょっと筋が違う気がする。

 第一、星川さんはもう気にしていないのかもしれないのに謝るのも変だ。

 それに、星川さんと先輩の仲だってどうなるか……。

(うーん……)

 どう切り出そうか決められないまま結局授業が始まってしまった。

 星川さんはホームルームには現れないまま。


 一時間目、二時間目、三時間目と星川さんは来ないまま、昼休み直前の授業前にようやくとことこ教室に入ってきた。

「おはよ」

 そして席について潰れた鞄を机に置くと、そのまま突っ伏して寝始める。

(おいおい、本当にマイペースだな)

 やっぱり昨日のことは気にしていないのかもしれないし、自分ももう忘れた方がいいのかもしれない。

 そんなことを考えながら授業を過ごし、昼休みになったとき。

「――……めん」

「?」

 耕平が鞄から弁当箱を取り出そうとしたとき、もそっとした声に顔を上げる。

 星川さんが耕平の机に腰かけ、俯いてネイルを弄っていた。

「その……昨日はごめん。ちょっとムキになっちゃって……お腹空いてて、宮古に取られちゃうと思って……」

 正直なところホッとしてしまった。

 星川さんには怒ってもいない。何よりこれで自分が謝ることができる。

「俺もごめんね。大声出しちゃって」

「ん……」

「急いでたからお皿一緒にしちゃったけど、最初からお皿分けておけば喧嘩しなかったよね」

「そらは悪くないよ。今度からは喧嘩しないようにするから……」

 星川さんはネイルを弄ったまま、まだ何か言いたそうにしている。しばらくもじもじしていたかと思うと。

「その、宮古のことあんまり怒らないであげて」

「えっ?」

 意外な言葉だった。マイペースな星川さんのことだし、けろっとしているものだと思ったのに。

「宮古もちょっとお腹空いてて気が立ってただけだし、昨日、すごく反省してたし……もう喧嘩しないようにするから」

「うん、わかった」

「宮古、怒られ慣れてないと思うし、ちょっと優しくしてあげるだけでいいから」

 そんな星川さんの言葉が嬉しかった。小競り合いはしていても、ちゃんと友達のことも気遣う子なのだ。

「俺ももう怒ってないよ。また先輩がお店に来てくれたら言っておく」

「ん。それだけ」

 それだけ言って安心したのか、星川さんは机からぴょんと降り、どこかにとことこ歩いていってしまった。

 その後ろ姿を眺めていた耕平はホッと安堵の息を吐き出す。

 昨日からずっと重くのしかかっていたことがだいぶ軽くなった気がする。あとは先輩がまたお店に来てくれれば。

 そんなことを考えながら弁当を開くのだった。


 それから――。

 開店前のうつい亭のキッチンで、耕平はそわそわしながらドアを見ていた。

 外はまだむしむしした雨が降り続いている。

 カウンターにはいつもの席に腰かけた星川さんが頬杖を突いていて、くぁ、と小さなあくびをする。

「先輩、来てくれるかな」

「大丈夫。宮古、食い意地張ってるから絶対食べにくるよ」

「そっか……」

 ずいぶんな言われようだけど、きっと星川さんなりの勘があるのだろう。今日は先輩が好きそうなものを朝から準備しておいたし、そのために星川さんにもこうして待っていてもらっているのだ。


 それからしばらくして、最初に目に入ったのは見慣れない傘――落ち着いた色合いのツートーンの傘だった。

 軒先まで入ってきた誰かは傘を閉じ、水を払って丁寧に畳んで傘立てに差す。そして恐る恐るドアを開けて――ベルが鳴らないようにしているのだろう――中に首を突っ込んできた。

 その姿を目にするなり、耕平の心が軽くなる。

「先輩。どうぞ、座ってください」

「ぇ、ぁ、うん……」

 耕平の言葉に先輩はそろそろ中に入ってきて、いつもの席に座って小さくなる。昨日までの先輩とは別人みたいなおとなしさだ。

「えーと、その……その……ぅぅ」

 やっぱり星川さんの言う通り気にしているのだろう。でも、どう謝っていいかわからないようだ。

「そら、昨日はごめん……」

「えっ――」

 いきなり謝るなんてどういうつもりだろう。

 が、 星川さんがちらりとこちらを見るのがわかった――昼のことをちゃんと覚えているのか探るような目だ。

 もちろん忘れているわけもない。

「うん、もう怒ってないよ」

 ちょっとわざとらしい気もするが、これで呼び水にはなるだろう。

 先輩もしばらくスツールの上でもじもじしていたかと思うと。

「……その、あたしも昨日はごめんなさい。ちょっとおとなげなかったわ」

「もう怒ってませんよ。俺こそ大声出しちゃってすみませんでした」

「うん、もう喧嘩しないようにする」

 耕平自身、先輩に対してももう怒ってはいなかった。

 これでもう昨日のことは済んだと言っていいだろう。

「じゃ、今日はおやつ出しますね」

 これで朝から用意していたものを出せる。耕平はいそいそと冷蔵庫に向かうのだった。



「はい、どうぞ。おかわりはたくさんあるからね」

 それぞれの前に置かれた小鉢には四角く切った白いゼリー、そこに埋まったミカンやパイナップルなどいろいろな果物。その上に何かの葉っぱ――ミントみたいなやつ。

 その横には氷がたっぷり入ったアイスティー。

「いただきますっ」

「いただきます……」

 スプーンを手にして勢いよく食べ始めるまおに対し、宮古はおずおずと食べ始める。

 もう怒られたことなんか気にしなくていいのに。

 スプーンで果物ごとざっくりすくって口に入れると、よく冷えていてほんのりと甘いゼリーの食感と、シロップ漬けの果物の酸味が口の中に広がる。

「うん、おいしい……っ、牛乳のゼリー?」

「そうそう。ゼラチンで固めたやつ。先輩はどうですか? 果物、ちょっと甘すぎましたかね」

「ううん、おいしいわ。よく冷えてて」

 宮古は相変わらず小さくすくって食べ続けている。いつもより行儀がよすぎるくらい。

 そんな宮古を横目に、まおはかちゃかちゃスプーンを鳴らしてあっという間に食べ終わり、小鉢を突き出す。

「おかわりっ」

「はいはい。先輩もおかわりどうですか?」

「うん、でも……」

 もう食べ終わっているにも関わらず、宮古は小鉢を手にしたままもじもじしている。

 たくさん食べたら怒られるのではないかとびくびくしているのがまおにも伝わってきた。

 そらのことでは譲ったりなんかしないけど、食べたいものを食べられないのはやっぱり可哀想だ。

「たくさんあるって言ってるんだから、宮古も遠慮しないで食べなよ」

「うん、喧嘩しないでいいくらい作ってありますよ」

「……それじゃもらえるかしら」

 その言葉に宮古はおずおずと小鉢を差し出す。

 にこにこしながらそれを受け取った耕平は、キッチンの奥から大きなバットを出し、牛乳ゼリーを小鉢に盛ってくる。

「はい、どうぞ」

「うん、ありがとう……」

 それから次第に宮古が食べるペースも上がっていき――。

(これで充分だよね)

 そんな宮古の姿を横目で見ながら、まおもゼリーを食べ続けた。



 それから満足いくまでゼリーをおかわりした宮古は、そっと小鉢にスプーンを置く。

「ごちそうさま。おいしかったわ」

「よかった。また今度別なのを作ってみますね」

「うん、楽しみにしてる」

 小鉢を下げた耕平はキッチンに引っ込み、もう開店準備を始めている。

 その姿を眺めながら、宮古は溜息をついた。

「余計な気回さないでよね」

「別に。昨日は私も悪かったし、これであおいこにしよ」

「まったく……」

 まおのことばに宮古はまた溜息をつく。

 でも、実際のところひとりだったらお店にいられなかったし、謝るのも大変だった――謝れないことはなかったけど。

 まおがいなかったらこうしてまたおやつも食べられなかったのも確かだ。

 気に入らないが小娘にひとつ借りができてしまったのだ。

「それより、宮古これ使ってる?」

 ぼんやりしている宮古の前にぬっ、とスマホの画面が突き出される。

 よく使われているメッセージアプリのQRコードが表示されていた。

「? 一応あるけど、あんまり使ってないのよね」

 スマホも持たせてもらっているし、ひと通りのアプリも入れてあるし、学校の友人達で時々使っている。それでも、こうした申し出は初めてだ。わけがわからないながらもスマホを取り出すと。

「別にいいよ。もしものときのために知っておいた方がいいでしょ」

「まぁ……そうかも」

 そしてまおと互いのプロフィールを交換し、登録した宮古はじっと画面を見つめる。

 何やら大きな猫――飼い猫だろうか――と犬の顔が写ったアイコンとローマ字の名前。

(ふふっ、変な感じ……)

 まさかギャルと連絡先を交換することになるなんて。

 宮古の生活ではほとんど縁のない人種だ。少し悪いことをしている気にもなって、何やら楽しくなってくる。

 そんなことを考えていると、まおがじっとスマホを見つめていた。

「宮古、いいの持ってるじゃん。それ一番新しいやつでしょ」

「あぁ、これ? 親が持っておけってうるさいから。正直あたしはどれでもいいんだけどね。触ってみる?」

「うんっ、ちょっとだけ」

 宮古からスマホを受け取ったまおは興味津々で画面を操作している。

 正直、宮古にはスマホなんてほとんど興味がないし、使いもしない。それでも、夢中になるまおの姿を見てつい笑ってしまった――昨日まで喧嘩をしていたのに、あつかましいというか。

 でも、仲がよくなったとか、そういうのとは少し違う気がする。

 多分、一緒に耕平に叱られたからだろう。『叱られ仲間』になったことで何となく仲間意識みたいなものができたのだろう。

「やっぱりお嬢様って贅沢だよね、宝の持ち腐れじゃん」

「うるさいわね、あんたこそこんなにじゃらじゃらつけて、邪魔じゃないの?」

「これくらい普通。宮古が何もつけなさすぎでしょ」

 それからは互いのスマホをああでもないこうでもないと言いあいながら、のんびりとした時間が過ぎていく。



(よかった、仲直りしてくれたみたいだ)

 開店準備で店内を動き回りながらも、耕平はちらちらと二人の様子を観察していた。

 カウンターに頬杖をついて何やら話す様子は、以前よりも仲がよくなったようにも見える。

 さすがに怒ったのはよくなかったかもしれないが。

(まぁ、これでひと段落かな……)

 そんなことを考えながら店のドアを開けた耕平はかけてあるプレートを『営業中』にひっくり返すのだった。

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