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猫令嬢はろくでなしの魔法にかかるー②


 目の前の業務用コンロには二つのフライパンが置かれていた。それらの火加減を慎重に調整しつつ、耕平は耳を澄ませる。

 表面は綺麗に焼けているし、あとはタイミングさえ間違えなければ――。

 ピリ、とタイマーが鳴り始めた瞬間。

(……っできた)

 すべての口の火を止め、それぞれのフライパンから焼き上がったそれをお皿にぽん、ぽん、と乗せていく。

「ぉぉ~……」

 星川さんが嬉しそうな声を上げるのが聞きながらも、綺麗に重なった生地にバター――少しいいやつ――を乗せ、メープルシロップ――こっちだってちょっとお高い本物だ――を上からかける。

 最後にフォークとナイフをお盆に乗せて――。

「お待たせしました。完成しましたよ、ホットケーキ」

 先輩の前にことりと置いた。

「メープルシロップは足りなかったらそこのを使ってくださいね」

「ぁぅ……っ」

 それを目にした途端、先輩がわずかに緊張するのがわかった。しかもわずかに顔を背けるような。それでいて目はホットケーキを凝視している。

 奇妙な反応をいぶかしんでいると。

「ずるい! 私も食べたいのに!」

 相当期待していたのだろう、星川さんが機嫌の悪そうな声を上げ始めるが。

「ごめんね、一気に二人分は作れないんだ」

 一枚ずつ焼いては重ねていったらどんどん冷めてしまう。一人分を同時に作るにはこれしかないのだ。

「三段重ね、ちゃんと作るから」

 そして今度はフライパンを三つの口すべてに置き、また慎重に火加減を調整して温め始めた。



 一方、宮古は目の前に置かれたホットケーキをじっと見つめていた。

(うぅ……とうとうできちゃったのね……)

 二段重ねのホットケーキは絶妙な焼き加減で、ふわふわと湯気が上がっている。

 その上に乗ったバターはじわじわ溶けだし、シロップと一緒に混じりながら生地の上を広がっていく。

 うっとりするような光景だ。

 よく焼けた生地とシロップ、バターが混ざり合う匂いも強烈に胃袋を刺激する。

(でも、でも……これを食べたら……あたしっ、こいつに……)

 完全に篭絡されてしまう。そんな確信があった。

 それなのに、胃袋はもう篭絡されたがっている。これを食べたら二度と引き返せないとわかっているのに。

「どうしたんですか? せっかくだから熱いうちに食べてくださいね」

「早く食べなよ。そらが頑張って作ったんだから」

 キッチンの向こうで期待を込めてこちらを見る少年と、隣で頬杖をついて不機嫌そうにこちらを見るギャル。その視線に逆らえず、渋々フォークとナイフを取る。

「……わかってるわよっ、食べればいいんでしょ、食べればっ」

 半ば苛立ちまぎれにナイフを生地に入れると、微かに沈み、切り分けた部分がもちっと柔らかく形を取り戻す。絶妙の弾力だ。

(うぅ……こんなのおいしいに決まってるじゃない……っ)

 そして切り分けた一部にフォークをさして持ち上げると、シロップとバターがとろりとこぼれ落ちた。口の中によだれがあふれる。

 これを食べたら最後だ。

(くぅぅぅ……お父様、お母様、姉さん達、ごめんなさい……っ)

 半ば諦めにも似た感情を覚えつつ、宮古はそれを口に入れた。

 途端、口の中にあふれる生地の香ばしさと風味、シロップの甘さ、濃厚なバターのこく、もちもちの生地だって自分好みだ。

「んぐ……んっ、んぐ……むぐ……」

 そしてまだひと口目も飲み込まないうちに次をナイフで切り分け、また口に詰め込む。

 そしてまたひと口――。

 もう自分でも止められなかった。

「どうですか? 気に入ってもらえましたか?」

「…………」

 その言葉に、宮古の手が止まる。

 次の瞬間、ぶわっ、と目から涙があふれ出た。

「くっ……ひっく、っく……」

「先輩?」

「……………………おいしい」

 敗北宣言は嗚咽に震えていた。

 それなのに、手は止まらない。泣きながらまた切り分け、口に運んでいく。

「泣くほどおいしいんだ?」

「むぐっ、んぐ……悔しくて泣いてるのよっ、おいしいけどっ」

 自分でもわけのわからない感情だった。

 涙が出るほど悔しいのに、おいしくて、諦めにも近い投げやりな感情が渦巻いている。

「えっ、あの、気に入らなかったら作り直しますから……」

 少年は本当に心配そうにこちらを見ている。

 自分が何をしたのかもわかってないのだ。

(このろくでなし……)

 今ならまおが口にしていた言葉がわかってしまう。

 『食べた人間を夢中にさせてしまうような――』

 苦労しているのも見せず、こっそり試行錯誤して、時々探りみたいな料理を出して、気づかないようにじわじわかけていたのだ――この食べ物に。

「うっ……くっ、ひっく……んぐ、えぐっ……こんなの、たかがんぐ、小麦粉とか、牛乳とか、卵を混ぜるだけじゃない……むぐ、ひっく、あといろいろ」

「えぇ、本当にそれだけですから……殻とか入っちゃいましたかね」

「ホットケーキミックス買えば、ひっく、あたしだって、作れるんだから」

「本当に作り直さなくていいですか?」

「いい……」

 少年は相変わらず心配そうに、こちらとフライパンを交互に見ている。

 きっとこのお店にきたときからこうなると、あたしの運命は決まっていたのだ。

 そんな感情の昂りのまま、夢中でホットケーキを食べ続けた。



(泣くほどおいしいのかな……?)

 その横に腰かけるまおは妙な気分でその様子を見守っていた。

 確かにそらのつくるご飯はおいしいけど、泣くほどのことなんてそんなにない。

 第一、食べれば嬉しいとか楽しいとか、そっちの方が先だ。

(……オムライスのときは泣いちゃったけど。あれは特別だし……)

 何しろあれはそらが頑張って作った『魔法の――。

 瞬間、妙な予感がざわっと背筋を駆け上がってくる。

(あれ? それって……)

「はい、お待たせ。星川さんには約束通りの三段重ねだよ」

「……っ!」

 しかし、目の前にとん、と皿が置かれた途端、もう意識はそちらに集中していた。

 皿の上には三段重ねのホットケーキが湯気を立てている。シロップも、バターも溶けかけていて、いい匂いがしてくる。

「冷めないうちに食べてね」

「ん、いただきます!」

 宮古が泣いていても、私の前にはホットケーキがあるのだ。

 難しいことは食べてから考えればいい。早くも思考を食欲に支配されたまおはフォークを手に取るのだった。

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