猫令嬢はろくでなしの魔法にかかるー①
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最後のテスト――英語――が終わり、答案を回収した教師が廊下に出ていくと、教室が一気に騒がしくなる。安堵の声を上げる者、悲嘆の声を上げる者、健闘を称えつつ気休めを言い合う者……。
「ふぅ……」
そんな中、耕平は椅子の背もたれに寄りかかり、大きく息をついていた。
(ま、大丈夫だろ)
正直なところ点数は期待できない。それでも一応追試にはならないはずだ。祖父や両親はいい顔をしないだろうが、やるだけはやった。
その一方――。
「…………」
隣の席の星川さんは椅子の背もたれに寄りかかったままずるずる滑り落ち、呆然としている。いつもの涼しげな瞳はどこかうつろで、げっそりしていると言ってよかった。
そんな星川さんももう夏本番を迎えているせいか、制服も夏仕様だ。
髪の一部をくるっと巻き上げて涼しい色のシュシュで留め、ピアスの色もそれに合わせ、第二ボタンまで外した半袖に、ゆるっと巻いたネクタイ。手首のアクセサリーもじゃらじゃらしたものでなく、シンプルなプラスチックの透明感のある青いブレスレット。
夏毛に換わった猫みたいな変わりようだ。
「星川さん、大丈夫?」
「……うん、多分」
明らかに大丈夫ではない感じだが、今さら心配しても仕方ないだろう。それに。
「テスト期間中、いろいろありがとう。助かったよ」
勉強を手伝ってくれようとしたり、おみやげをこっそり置いていってくれたり。自分だって大変だったはずなのに、心配してくれていたのだ。
「別に。私、あれくらいしかできなかったし。そら、頑張ってたから」
椅子からずり落ちたまま、うつむいてもそもそ口にする星川さんの横顔がわずかに赤くなっている気がする。きっと照れているのだろう。
そんな星川さんに自分ができることはやっぱり決まっている。
「今日、お店来るよね。いいもの食べさせてあげる」
「っ?」
途端、星川さんが飛び跳ねるように身体を起こす。
先ほどのうつろな目から一転、きらきら星が飛び散るくらいの瞳が見つめ返してくる。
「……ホットケーキ?」
「うん。待たせちゃってごめんね」
「三段重ねっ?」
「もちろん、忘れてないよ。準備するからあとで――」
「行くっ、今すぐ行くっ」
がたっ、と席を立った星川さんはギャル仲間――同じように放心している――に声をかけに行った。きっとテスト後の約束があったのに、キャンセルしているのだろう。
自分の食べ物だけでこんなに元気になってくれるなんて、ちょっと気恥ずかしいけれども、やっぱり嬉しい。それに。
(先輩、喜んでくれるかな)
何しろ先輩に食べてもらうために練習してきたのだから。
今日は先輩と星川さん、両方に自分の作ったものをテストしてもらう日だ。
解放感にざわめく教室で、耕平は心地よい緊張感に、握り締めた拳にじんわりと汗が滲むのを感じていた。
それからうつい亭までの道のり――。
午後の日差しを照り返すアスファルトは眩しいくらいで、耕平は目を細めながら歩いていた。
「え? じゃあ問三の選択肢はどれ選んだの?」
「三番でしょ? この前授業でやって範囲だよ」
「それだと次の問題合わなくない?」
「だから二番にした。友達もみんなそうしたって」
(本当に大丈夫か、この人は……)
一緒に店に向かう途中、何となく最後のテストの答え合わせを始めたのだが、星川さんの回答はめちゃくちゃだ。一応本人なりの考えがあるらしいものの、耕平よりもまずい結果になっている感じがする。
「大丈夫、最悪追試になっても先生が範囲教えてくれるから」
時折スマホをいじりながら歩く星川さんは相変わらずマイペースだ。
少し遅れたり、時々先に行ったかと思うと振り返り、猫と散歩しているみたいな気分になるけど。
「今日は宮古も来る?」
「うん、一応今日でテスト終わるって言ってあるから」
「そう。ホットケーキ、食べたがってたもんね」
横を歩く星川さんの肩が時折触れる。
何となく今までより距離が近いというか、足元をすり抜けていく猫がするっ、と身体を擦りつけるような、控えめな接触だ。
(……気のせいかな)
そんなことを考えながら店のそばまで来たとき、星川さんがじっと前方を見ているのに気づいた。耕平もそちらを見ると。
「ぁ、先輩」
店の前に見慣れた制服姿があり、うろうろしたり、ドア越しに店内を覗き込んだりしていた。
◇
「帰りなさいっ……帰るのよ、宮古っ、今すぐ帰りなさい……」
熱気がゆらめくうつい亭のアスファルトの上を歩きながら、何度も自分に言い聞かせる。
きっと今日、あいつにホットケーキを食べさせられる――そんな予感があった。
もし出されたら拒めるわけがない。ここまでおいしいもので餌付けされてじわじわ逆らえなくされて、ひと口食べたらあの優しい顔をしたろくでなしに……。
「くぅぅぅ……っ、あんな屈辱、二度と味わうわけにはいかないのよっ? 本当にわかってるのっ? 宮古っ」
こっそりとおいしいものを食べさせられ、転倒して抱きかかえられた瞬間が何度も頭にフラッシュバックし、宮古の顔が恥辱に染まる。
あんな想いは二度としたくないし、店にだって近寄らない方がいいとわかっているのに。
「…………」
店内を覗き込みつつ、ガラスに映った自身の姿を確認していた。
制服のベレー帽をかぶり直し、サイドの髪を指ですき、前髪を指先で揃える。
「……うん、まぁこんなもんよね」
そんなことをぶつぶつ呟きながら、また前髪を弄ろうとしたとき。
反射した路地が写り、すぐ背後に見慣れた姿がある。
「っ?」
思わず振り返ると。
「ずいぶん早いですね」
「中に入ってればいいのに。裏回って声かけるとおじいちゃんが入れてくれるよ」
不思議そうにしている少年と、どこかふてぶてしい表情のギャルが並んで立っていた。




