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粉だらけの頑固者ー①


 休日の昼下がり――。

 宮古は自室の窓に近づき、外を確認する。

 強烈な日差しを浴びる植木や芝は影の面積もほとんどなく、眩しいくらいに陽光を反射している。そんな時間帯に外を出る者もなく、断続的に水を散らすスプリンクラーが涼しげな虹を作っていた。

「ふふふっ、今しかないわ……!」

 このタイミングを待っていたのだ。

 ベッドの下から紙の手提げ袋を出した宮古は姿見で身だしなみを確認する。

 シンプルな白地のTシャツにデニムのショートパンツ、それに足元はスニーカー。頭は服の色に合わせて少し暗い色のキャップ、後で束ねたショートヘアをアジャストホールから出している。アクセサリーは首元のチョーカーと手首に巻いた虫よけバンドくらい。

(子供っぽいけど、ま、動きやすければいいか……)

 何しろ今日は私が抜け出さないようにいろいろな人間が家の中を見張っているのだ。

 そうなれば出口はひとつしかない。

 紙袋を手にした宮古は窓に近づいて改めて外を確認し――異常なし――音を立てないようロックを外し、そっと引き開ける。途端、外の熱気が吹き込んできた。

 顔を出してあたりを確認するが、やはり人影はない。

(よし、出発……!)

 最初に紙袋を窓から出し、できるだけ慎重に落とす。着地した袋は壁際の芝生に落ち、とさっと微かに重そうな音を立てた。

 そして今度はスニーカーを履いた足を窓から出し、するりと抜け出す。

(ふふんっ、誰も私は止められないわよっ)

 心の中で自室のドアに誇らしげに言い放った宮古は、そろそろと壁を下りていく。壁面デザインの溝や突起に手をかけ、つま先で立ち、やがて最後の1メートルになると、ひょいと飛び、紙袋のそばに着地した。

「…………」

 そして紙袋を手にした植木の陰――日差しでないに等しい――を伝って正面の門に向かい、軽々と乗り越えて目的地へと向かうのだった。



 耕平は皿に乗ったホットケーキをフォークで切り取り、口に入れしばらくもぐもぐやっていたのだが。

「うーん、違うよなぁ……」

 思った通りに焼き上がっていない。思った通りのバランスにならないのだ。もちもちに近づけると粘りが出てきてしまうというか、しっとりした感じにならない。ふわふわに近づけるとぱさついてしまう。

 やってみるととにかく要素が多くて、どれが正しいのかわからない。

 薄力粉やベーキングパウダーの配合、実は混ぜ方でも変わるし、フライパンの温度でも違う。

「……最初にもうちょっとフライパンの温度を上げておかなきゃだめか……うーん」

 半ばくさくさしながらも、また自作のホットケーキミックスを混ぜ始めたとき。

 ガラン、と店のドアが開く。

「すいません、まだお店――」

 いつもの癖で反射的に答えかけるが。

「お邪魔するわ」

 入ってきたのは先輩だった。

 いつもと違うずいぶんカジュアルな格好だ。紙袋を持っている姿も何となくおつかいじみていて、全然お嬢様っぽくない。

「今日はどうしたんですか?」

 言いながら、耕平はホットケーキが乗ったお皿、生地が入ったボウルなどをさっと片付け始める。代わりにお茶を淹れる準備だ。

 構わずカウンターまでやってきた宮古は紙袋をずいっ、突き出してくる。

「はい、これ陣中見舞い。最近大変みたいだから。おじいさまにもよろしくね」

「あ、これはどうも……わざわざありがとうございます」

 突然どういうつもりだろう。

 訝しみながらもそれを受け取った耕平はそっと中身を確認する。彼でも知っている高級洋菓子店のゼリーセットだった。

「こんなものもらっちゃっていいんですか?」

「いいのよ。うちに届いたお中元から持ってきただけ。どうせたくさんあるからなくなってもバレないし」

「……そうですか。じゃ、遠慮なく」

 わざわざ『陣中見舞い』というからには、きっと先輩なりに気を遣ってくれているのだろう。

 家にあるものをひょい、と持ってきたところなんか先輩らしいし、そんな気遣いがありがたかった。

「そういえばお腹は空いてますか?」

「お構いなく。それを渡しにきただけだから」

「そうですか? ロールキャベツが少し残ってるんですけど――」

「いただくわ」

 即答した先輩はいつも座っているスツールにぴょん、飛び乗る。相変わらずの遠慮のなさだ。半ば苦笑しながら残っているロールキャベツを冷蔵庫から出すのだった。


 そして――。

「はい、お待たせしました。よかったらガーリックトーストもどうぞ」

「ん、いただきます」

 カウンターにそっと置いたお皿には二つのロールキャベツと、その隣の小皿にはバゲットで作ったガーリックトーストが二つ。先日品切れになったものの、耕平がこっそり自分のために取っておいたものだ。 

「…………」

 しばらく無言で食べていた先輩はやがて顔を上げる。

「……おいしいっ、これは行列になるわけだわ」

「そう言ってくれると嬉しいです。星川さんには秘密にしてくださいね」

 もしこれがバレたら大騒ぎするだろう。また祖父に作ってもらうわけにもいかないし、ここは秘密にしておいた方が安全だ。

 そんなことを考えながら、先輩が食べる姿を見守るのだった。



(こいつ、もしかして悪人なんじゃないかしら……)

 まおに隠れてこんなおいしいものを他の女の子に食べさせて、しかもそれをにこにこしながら秘密にしてくれだなんて。まおみたいな食い意地の張ったやつなら、こんなことをされたらころっといってしまうだろう――もちろんあたしはそう簡単にはいかないけど。

(ごめん、まお……やっぱりおいしいっ)

 まおには悪いけど、やっぱりこのロールキャベツのおいしさには逆らえない。

 キャベツは柔らかく、スープの味がしっかりしみ込んでいるし、中のひき肉もある程度のあらびきの食感がよく合っている。口に入れた瞬間、スープが口の中に広がる感覚がたまらなかった。

「もうちょっとトースト出しましょうか」

「うん。よろしくっ」

 ちょっと行儀が悪いけどガーリックトーストを浸して食べると、また別のおいしさだ。

 Tシャツにスープが飛ぶのも構わず、夢中で食べ続けた。


 やがて――。


「ふぅ……ごちそうさま」

 満足の溜息を吐いた宮古はスプーンをそっとお皿に置く。

 まおには悪かったけどたっぷり楽しんでしまった。おいしいものを食べたあとの余韻にしばらく呆けていた宮古だったが。

「お茶淹れますね」

「えっ? あ……うん、お願い」

 皿や食器を下げた耕平がお湯を沸かし始め、ハッと我に返る。

 本来の目的を忘れるところだった。

 彼がキッチンで動き回る様子を宮古はじっと観察する。

(思ったより普通よね……)

 疲れている様子はないし、料理を出すときだってしっかりしていた。

 まおが言うにはかなり無理しているはずなのに。

 店の外は相変わらずの熱気だが、蝉の声がわずかに入ってくるだけ。

 古い冷房が立てる音が静けさを引き立てていた。

 切り出すなら今だろう。


「お店は落ち着いた?」

「昨日で品切れになったのでようやくっていうところです。じいちゃんも疲れて寝てますよ」

「……そういえば、あんたの学校、そろそろテスト近いのよね」

「そうですね。来週から始まります」

「お店も大変みたいだけど、ちゃんとテスト勉強してる?」

「一応してますよ。ほぼ一夜漬けですけど」

(まったく……)

 耕平の言葉に宮古は内心溜息をつく。まおの言う通り、無理をしているに違いない。

 よく見れば目にも少しクマができている感じもするし……。 

 それに、店に入った瞬間に耕平がさっとボウルやフライパンを隠すのも見逃さなかった。さっきまで手も粉だらけだったし、今でもエプロンに粉がついている。

「まおも心配してたわよ。あんたがお店で大変でテストも近いのに、こっそりホットケーキ作ってるって」

「ははは、バレてましたか。でも、先輩も早く食べたいでしょ?」

「あたし、そこまで無理して作ってくれなんて言ってないわよ。テストが終わってからゆっくり作ればいいじゃない」

「今作ります」

「…………」

 意外な言葉に、宮古は思わず耕平を見つめ返す。

 キッチン用の帽子をかぶる少年の姿はいつもと変わらない。ぱっとしない顔立ちかもしれないけど、犬や猫に餌をあげるお人よしそのものだ。

 それなのに、お茶をグラスに注ぐ少年はしかし気負ったところもなく、妙に平然としていた。

「テストがあるとか、お店が忙しいとか、理由をつけてたらいつまで経っても作れませんよ」

「…………」

「先輩はわかってくれるかもしれないけど、毎回お客さんにそんな言い訳できないでしょ?」

(こいつ……)

 まおが言っていた通り、とんでもなく頑固なやつだ。誰の言葉も聞きやしない。

 そう直感し、宮古はとうとう溜息をつく。

「……ま、あんたの好きにしなさい。でも、無理はしない程度にね。まおも心配してるから」

 結局、言えることはそれだけだった。

「そうですね。心配されない程度に」

 その言葉に困ったように笑う耕平は氷の浮いたグラスを持ってきて目の前に置いてくれる。もういつもの彼だった。

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