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見えないところでバタ足を

 ――。

 机に突っ伏していた耕平は寝苦しさにとうとう顔を上げる。

 エアコンの消された教室は夏の午後の熱気でじわじわと室温が上がりつつあった。そんな場所には誰だっていたくないだろう。静かな教室をぼんやり見回すと。

「…………」

 隣の自分の席、机に腰かけた星川さんが脚を組み、スマホを片手にずるるっ、と紙パックのジュースを吸っていた。

「……ぁ、星川さん。まだ帰らないの?」

「今帰ろうと思ってたところ」

 きっと起きるまで待っていてくれたのだろう。

 今日は店が臨時休業なので急いで帰る必要もない。星川さんだって友達と遊びに行ってもいいはずだ。それでも、わざわざ起こすでもなくそばにいてくれる。やっぱり猫みたいでとても居心地がいい。

 耕平があくびをすると、涼しげな瞳が耕平を見つめ返してきた。

「そら、最近あんまり寝てないでしょ。テスト近いし、やばいんじゃない?」

「わかってるんだけどね……」

「ホットケーキ、まだ完成しそうにないの?」

「うん、実は……」

 お店はもちろん、そのあとにこっそり試作をしているものだからなかなか寝る時間を確保できない。できるだけ早く寝るようにはしているのだが、どうしても無理がある。

「じゃ、勉強できる人のノート、コピーしてこよっか? 二組のこまちゃんのノート借りてこられるよ」

 二組の『駒田さん』は学年トップクラスの女子生徒だ。いつも授業はサボったり寝ているのになぜか勉強ができる不思議な子だ。きっとギャル同士のつながりがあるのだろう。自分のノートでなく他の子から借りてくるところが星川さんらしいけど。

「……いや、いいよ。自分で何とかする」

「ほんと? だって成績悪いとお店続けさせてくれなくなっちゃうかもでしょ?」

 昔、星川さんに話したことだ。学業もちゃんとできなければ実家に戻されてしまう。

 きっとここで星川さんの厚意に甘えるべきだとはわかっていても。

「ありがとう。やっぱり自分で何とかするよ」

 星川さんには悪いけど、お店が大変なのも、うまく料理ができないのも、自分の責任だ。それでテストの成績が悪くても、やっぱり『自分持ち』だ。人に頼らず、これくらい当たり前にできなければ。

「ほんとに頑固なんだから……」

 耕平の言葉に星川さんは何やらもごもご言っていたかと思うと。

「わかった、そらがそう言うなら。でも、ノートとか必要ならいつでも言って」

「うん、ありがとう」

「ん、じゃ、また明日」

 それだけ言って、星川さんは机からぴょん、と飛び降りたかと思うと、ぺしゃんこに潰れた鞄を肩にかけとことこ教室を出て行った。

「ふぁ……」

 星川さんなりに気遣ってくれているのだろう。

 でも、だからこそ甘えていたら一人前にならない。

 ひとつあくびをした耕平は机のものを鞄に突っ込み、腰を上げ図書室へと向かうのだった――家に帰ると寝てしまいそうだし、学校でテスト勉強をしておかなければ。



 翌日――。

「今日は騒がしいわね、急にどうしたのかしら……」

「んー」

 開店してからしばらくしたうつい亭は客の入れ替わりが速く、なかなか繁盛しているように見える。

 そんな光景を宮古は不思議そうに見ていたが、隣の席に腰かけるまおはカウンターに教科書とノートを広げて勉強している。料理が出てくるまでテスト勉強でもしようというらしいのだが。

「耕平、トースト四つ、そっちでやっといてくれるか?」

「わかった。ロールキャベツ二つ出てないから先に出して」

「あいよ、先に皿下げてきてくれ」

 店は相変わらず忙しそうだ。

 耕平がキッチンから出てきて、席を回ってお皿を下げていったかと思うと、今度はレジに置いてあるベルが鳴り、皿をカウンターに下げて早足にそちらへ向かう。

「ちょっと、ずいぶん忙しいじゃない。何があったのよ?」

「すいません、じいちゃんが忘れてたみたいで……ちょっと何か作る余裕なくて」

 慌てている耕平の話だと、どうやら彼の祖父が地元の商工会の集まりで、地域紙の社長さんにあるお願いをされたらしい。

 紙面に乗せる情報として、うつい亭に行って『〇〇を読んだ』と言えば、先着でロールキャベツをガーリックトースト付きで提供、ということになってしまったらしいのだ。

 元々うつい亭のロールキャベツはシチューに劣らぬ人気のため、突然予期せぬ客が来て店は大わらわになっていた。

「……そういうことだったのね」

 こうなってしまってはもう耕平のご飯は期待できないだろう。彼の祖父が作るロールキャベツも気にはなるものの、このまま居座っているとお店の邪魔にもなりそうだ。

「じゃ、私達はそろそろ――」

「忙しいなら手伝う?」

 突然、ノートとにらめっこをしていたまおが突然切り出し、宮古は驚いてそちらを見るが、まおに冗談の気配はない。

(こいつ、ポイント稼ごうとしているのかしら)

 そんなことも思ったが。

「俺とじいちゃんだけで大丈夫。またよろしくっ」

 それだけ言って、耕平はまた忙しくキッチンに入っていく。

 まおも特に気を悪くした様子もなくぱたぱた教科書とノートを閉じて鞄に放り込むと。

「ん。それじゃ今日はもう帰るね」

 スツールから降りてドアへと向かう。何やら不思議な関係が出来上がっているのがまおにもわかった。きっと以前にも手伝ったことがあるのだろう。

 耕平にも声をかけられる雰囲気ではなさそうだ。まおも早足に店を出るのだった。


 店の外ではまおがそばの自販機で買ったジュースを煽っている。

 宮古も何となくそちらへ寄っていくと、まおが缶を差し出してきた。

「……いただくわ」

「ん」

 宮古が受け取ったジュースを飲んでいる間、まおはじっとお店の方を見ていた。

 あまり表情には出ないけれども、心配しているのがひしひし伝わってくる。

「……そういえば、あんたの学校そろそろテストなのよね。二人とも大丈夫なの?」

「んー、私は多分。それよりそらの方が心配かも」

「まぁ、勉強してるようには見えないわよね」

 普通の高校生が勉強したり、遊んだりする時間、耕平はお店にいる。しかも、お店のあとにこっそりいろいろ作っていることも知っていた。

 とてもじゃないがテストどころではないだろう。とはいえ。

「そんなに心配なら手伝えばよかったじゃない」

 耕平のことが好きならそれくらい強引にいってもいいはずだ。

 しかし、まおはあきらめたように溜息をつく。

「無理。そらがいらないっていったらいらない。そら、そういうの嫌いだし、すごく頑固だから」

(こいつら、結構面倒ね……)

 意外な言葉だったが、きっと二人なりの関係があるのだろう。

 それに、彼を気遣うまおの面倒臭さといったら――心配しているのに、彼を大切にしているあまりに気を遣いすぎているのだ。

(ま、乗りかかった船か……)

 面倒だけど、ここは自分がひと肌脱ぐしかない。

 宮古も溜息をつくのだった。

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