遥かなるパンケーキ
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深夜のうつい亭のキッチン――。
生地をかき混ぜたボウルを手にした耕平は、それを熱したフライパンにそっと流し込む。
生地が焼ける匂いがしてきてしばらくすると、外側の色がかすかに変わり、ぷつぷつと穴が開き始める。
「…………」
そして、タイマーをじっと見つめていた彼はおもむろにフライパンの柄を掴み、フライ返しを生地に差し込んで、軽く煽ってひっくり返す。
半面だけ焼けた生地がきつね色の面を上にしてぺたん、と柔らかな音を立てて着地する。
あとはこのまま焼けるのを待つだけだ。
やがて、タイマーのアラームが鳴ると、そっとフライパンをひっくり返してお皿にそれを乗せる。
「うん……」
焼き色は問題なさそうだ。耕平は箸で一部を取って口に入れる。
熱はちゃんと通っているけれども……。
「ちょっとぱさぱさしてるよな……焼き過ぎか」
火をちゃんと通さないとうまく膨らまないし、焼き過ぎると少し硬くなる。一応料理のテキスト通りに作ったものの、生地のかき混ぜ方がおかしいのだろうか。写真通りの見た目に作るので精一杯だ。
「うーん、もうちょっと短くしてみるか」
そんなことをぶつぶつ言いながら、タイマーの設定を調整していたとき。
「そろそろ寝ろよ。それと、薄力粉使い過ぎだぞ。補充しておけ」
もう寝ようとしていたのだろう。キッチンに顔を覗かせた祖父がそれだけ言って、二階への階段を上がっていく足音がする。
「わかった! もう片付けるよ!」
二階に聞こえるよう大声で答えた耕平はようやく片づけを始めるのだった。
翌日――。
「ねぇ、そろそろ出しなさいよ……ホットケーキ。練習してるんでしょ?」
「うん、私も食べたい」
「ごめん、まだちゃんとしたのができないんだ。完成したら食べてもらうから」
言いながら、耕平はカウンター席に座った二人の前に皿を出す。
今日はベーコンとピーマンのピザトーストと、期限切れ間近の野菜で作ったサラダ。その代わり、アイスティーの紅茶は少しいいものだ。
「ん、わかった。いただきます」
「もぅ、常連をいつまでも待たせるんじゃないわよ……いただきます」
そして星川さんはいつものように元気よく、先輩は行儀よく食べ始める。
実はここ数日、このやりとりがずっと続いていた。
毎晩試行錯誤を続けてはいるのだが、簡単そうに思えてちゃんと作ってみるとなかなか思うようなものができなかった。
「そんなに難しいの? ホットケーキミックスとか結構おいしいじゃない」
「そうなんですけどね……」
耕平も試しにいろいろなミックスを買ってきて作ってみたのだ。
実際、とてもよくできている。牛乳と卵を混ぜるだけでできてしまうし、焼き方さえ間違えなければ確実においしいものが作れる。
「……ちょっと違うっていうか、こう、いいバランスじゃないんですよね」
想像している触感の生地にならないのだ。ふわふわではあるけどもう少しもちもちもほしいというか。牛乳を使わないとかなりもちもちになるけど、少し水っぽくなってまた加減が難しい。
「それに、ただミックスを買ってくるだけだったら先輩が作るのと変わらないじゃないですか」
「まぁ、そうだけど……」
実際のところ、ミックスを買ってきてそれを出せば済む話だ。
でも、それでは料理が作れるようになるのとは違う。ちゃんと自分が思う通りに作れるようにならないと。
やがて先輩は諦めたように溜息をつく。
「……まぁ、いいわ。納得のいくものを出してちょうだい」
「すいません、いつかちゃんとしたものを出します」
やっぱり先輩にはおいしいものを食べてほしいし、喜んでほしい――もちろん星川さんにも。
それに、うまく作れるようになれば自分だけのメニューにもなる。そんなことを考えていると。
「いつまでしゃべってるんだ、そろそろ開店しろ」
「ごめん、今やるっ!」
耕平にとって二人は大事な『お客さん』だし、祖父もいろいろ気を遣ってくれている。それでも店の仕事の邪魔にならない範囲で、という条件つきだ。
祖父にどやされハッと我に返った耕平は慌てて店の仕事に戻るのだった。




