東雲宮古は甘いものに逆らえない③
◇
(ばかっ……私のばかっ)
お腹を押さえた宮古は小さく唸り声を上げる。
確かに少しお腹は空いているけど、まさかこんなに露骨な反応をするなんて。
でも、このお店が悪いのだ。ご飯を炊いているいい匂いはするし、カチャカチャと食器やお鍋を動かす音もする――どうしても何か食べたくなってしまう。
それに、狭いけれども落ち着いた雰囲気で、家具だって安物だけど丁寧に使い込まれている。つい居心地がよくなって座り込んでしまったのも確かだ。
それにしても――。
「そろそろおやつの時間だから甘いものにするよ」
制服から給仕服に着替えた少年はキチンの中でしゃがみ込んで何かを取り出したり、また別の場所を開けたり、忙しそうに動き回っている。何かを食べさせたくて仕方ないようだ。
女の子に無理矢理何かを食べさせようなんて。
(本当に失礼ねっ、やっぱり帰ってやろうかしら)
もう雨も止みかけている。
急いで帰ればほとんど濡れずに済むだろう。このスツールから腰を上げて――。
彼女のプライドがわずかに食欲を上回ろうとしたとき。
少年が熱したフライパンに何かを落とし、じゅっ、と音がする。
直後、香ばしい匂いがカウンターにまで漂ってくる。バターが焦げる匂いだ。
(くぅぅぅ……わざとねっ、わざとやってるのねっ)
またお腹がきゅる、と動くのを感じる。
本当に失礼なやつだ。こんな匂いをさせて私の食欲を弄ぶなんて。
そんなことを考えている間も少年はぱたぱた動き、ステンレスのバットから何かに浸したパンを慎重に取り出し、フライパンに乗せる。さらに盛大なじゅっ、という音と、卵や牛乳の香ばしい匂いがやってくる。
(私のばかっ、早く帰らなきゃっ、早く帰らなきゃなのに……っ)
やっぱりこの匂いには敵わない。それに、もう何が出てくるかもわかってしまった。
とうとう諦めた宮古はスツールにまたきちんと腰かけ、少年が料理を出すのをじっと見守る。
その間にも彼は小さなポットやティーカップを出し、かちゃかちゃやり始めた。
「コーヒーの方がよかったかな」
「……紅茶でいいわ。できればアイスでお願い」
「かしこまりました。一緒に出すからちょっと待ってて」
ここまできたらもう諦めて食べてやるしかない。そう自分で自分を説得した宮古は胃袋がきゅるきゅるするのを感じながら、カウンターに頬杖を突いてひたすら待つのだった。
やがて――。
「はい、お待たせしました。よかったらこれもかけて」
目の前にことりと平皿が置かれる。その上には厚切りのフレンチトースト。香ばしい匂いとともにふわふわと湯気が上がっていた。
その横には小さなガラスポットに入れられたメープルシロップとフォークとナイフ。
同時に出された淹れたてのアイスティが入ったグラスはストローが差されていて、細かめの氷が浮いていて涼しげだ。
「…………」
期待通り――期待以上かも――のものが出され、宮古は思わずごくりと唾を飲み込む。自分でも恥ずかしいくらい正直な反応だ。そして。
「……いただくわ」
フォークとナイフを握った宮古は控えめにフレンチトーストの端を切り取る――あまりがっついていると思われたくない。
厚めのバゲットはよく卵液を含ませてから焼いたおかげで柔らかく、すっ、とナイフが通った。切り取った端っこを口に入れると。
「……んむっ」
思わず声が漏れてしまった。
外側はバターで香ばしく焼き上げられていて、内側はよく乳液を含んだ生地がとろっと口の中でとろける。メープルシロップをかけなくてもいいくらいの絶妙な甘さの加減だ。
今度はもう少し大きめに切り取って口に入れ、飲み込むとアイスティをひと口。冷たい渋みが喉に心地よく、口の中をすっきりさせてくれる。
「んむっ、んぐっ」
気がつけば宮古は少しずつ大きくフレンチトーストを切り取り、夢中で口に運んでいた。
★
(よかった……)
カウンターから少女が食べる様を眺める耕平は内心安堵していた。
少し気位の高そうな子みたいな感じがしたけれども、どうやら気に入ってくれたみたいだ。それに、自分の作ったものをこうしておいしそうに食べてくれればやっぱり嬉しい。
「はくっ、んぐっ」
フレンチトーストを大きく切った少女はそれを口に入れ、もぐもぐやっていたかと思うと、アイスティのストローを口に咥え、またフレンチトーストに取りかかる。
時折ショートヘアが邪魔になるのか耳にかけてはまた食べ始める姿は、どことなく生真面目で、フォークとナイフの扱いは上手だ。
やっぱりいいおうちの子という感じがする。
そんなことを考えているとき。
「なによ?」
口の中のものを飲み込んだ少女がうろんげな視線を向けてくる。
「いや、何でも。口に合ってればいいんだけど」
「ん……まぁまぁね」
「そっか、アイスティのお代わりは?」
少女は頷くだけだでまた食べ始める。
やっぱり気位が高い感じもするし、不思議な子だ。
アイスティのお代わりを準備しながら、店の仕事を再開させたとき。
ガラン、とドアが開く音がして見慣れた人物がするっ、と入ってきた。傘もささずにきたようだ。
「あ、星川さん。濡れなかった?」
「大丈夫。もう止んでるから――」
言いかけた星川さんは習性でいつもの席に座ろうとしたが。
「…………」
そこで初めて先客の存在に気づいたようだ。ぴたっ、と足を止める。
少女も振り返って星川さんを見ていた。
(?)
二人の間に流れる妙な空気に耕平も仕事の手を止める。
星川さんには珍しい反応だった。少女をじっと観察している。いつもなら隣かそこらに
座りそうなものなのに。
一方の少女も口を動かしながらじっと星川さんを観察していた。
かと思うと、二人とも突然互いへの興味をなくしたように、少女はまたカウンターに向き直り、星川さんもその隣のスツールに腰かける。
何となく新入猫と先住猫が出くわしたような微妙な空気だった。




