そらの初めてのお客さん
星川さんとの縁は耕平が思うよりも深いみたいで――。
翌日の放課後――。
耕平は今にも雨の降りそうな真っ黒な空の下、店への道を急いでいた。
本当は走ってでも店に向かいたいのだが、早足に歩くしかできない。
「…………」
ちらりと振り返ると、星川さんが少しうしろをとことことついてきている。
どういうわけか、学校を出てからずっとこうしてつかず離れずの距離にいるのだ。もしかして――。
「ねぇ、星川さん……今日はお菓子持ってないんだけど」
「知ってる」
一応声をかけてみても、星川さんは相変わらずしれっと答えてついてくるだけ。やっぱり何を考えているかわからない子だ。とはいえ、このまま店までついてこられてはたまらない。
とうとう立ち止まった耕平は道路に鞄を置き、がばっと開いて中身を見せる。
「ほら、星川さんっ、本当にお菓子はもうないのっ! 食べ物は持ってないんだよっ?」
餌をもらえると思ってついてくる動物を追い返すように、耕平は少し強めに言い聞かせるが。
「知ってる」
「じゃあ、何でついてくるの」
「何となく」
「…………」
これには耕平も途方に暮れるばかりだ。しかも、星川さんは耕平が鞄に荷物を詰め直している間に先に歩いて行き、少し離れた場所で彼を待っている。そして彼が歩き始めるととことこ先を歩き始めた。
(何なんだよ、もうっ)
自分がついてこられているのか、ついていっているのか、野良猫と散歩をしているような状態で歩いていくのだった。
そして――。
(おいおい、ここまで来ちゃったよ……)
店の前まで来た耕平は途方に暮れていた。星川さんをどう扱っていいかわからないのだ。この子をわざわざ店に招き入れる理由がないし、かといって邪険にするのも気が引ける。
「…………」
彼が悩んでいる間も、少し離れた場所にいる星川さんはスマホを弄っている。本当にマイペースな子だ。そもそも、ここが耕平の家だということを知ってついてきたのだろうか。
「えーと、ごめんね、星川さん……俺、今からバイトだから、また明日っ」
結局、星川さんをその場に残し、耕平は半ば逃げ込むように店に入った。
「おう、耕平。そろそろ降ってきそうだから、傘立て出しておけよ」
「あ、うん。着替えたらすぐに出す」
店では既に祖父がスツールに腰かけスポーツ新聞を読んでいる。営業が始まるまではいつもこんな調子だ。そんな祖父にもごもご答えた耕平はいつものように店の裏に向かう。
できれば雨が降ってくる前に星川さんには帰ってほしいと思いながら……。
しかし、星川さんは相変わらずマイペースで――。
「なぁ、外にいる子は知り合いか?」
耕平が裏から戻ってくると、キッチンにいる祖父がカウンターの向こうのドアを顎でしゃくる。
「まだいるのっ?」
祖父の言葉通り、店の外には星川さんが立っていた。しかもいつの間にか外はかなり強い雨になっていて、軒下でぼんやりと空を見上げている。
「しょうがないな……」
溜息をついた耕平はドアを開けてやり、ついでにドアにかけてある札を『営業中』に引っくり返す。
「そこじゃ濡れちゃうでしょ、入って。ここ、俺の家だから」
「ん、お邪魔します」
開けてもらうのを待っていたのか、それとも雨宿りする気でいたのかわからないが、星川さんはとことこ店に入っていき、不思議そうに店内を見回している。そしてキッチンにいる耕平の祖父に気づき、小さく頭を下げた。
「……こんちは」
「いらっしゃい。今日はお客さんもあんまり来ないだろうし、ゆっくりしてってくれよ」
「ども……」
初対面の人間を警戒しているのだろう。もごもご答えた星川さんやがてカウンター席の端、壁際の椅子に腰を落ち着けた。
「そらの家って、洋食屋さんだったんだ」
星川さんは相変わらず不思議そうに店内を見回している。が、店内の匂いを嗅ぐ姿はどこか好奇心も感じられた。
「そう、じいちゃんの店で、俺は手伝い」
「そらも作るの?」
「少しだけね、まだ勉強中だから」
「そうなんだ」
「「…………」」
そして会話は途切れ、雨がさーさー降る音と祖父が動く音だけになる。
ところが、意外にも気まずい沈黙ではなかった。元々マイペースな星川さんだからか、どこか落ち着く空気だ。放っておいても、放っておかれても、気にしないような。
とはいえ、あまり居座られても困る。
「じゃ、俺はこれから仕事あるからっ」
ぶっきらぼうに口にした耕平は再び仕事を始める。傘立てを店の外に置き、マットを新しいものに替え、卓上調味料を確認し、ちらりと星川さんの方を見ると――。
頬杖を突いていつものように『くぁ……』と小さな欠伸をしていた。まるで何度も通っているかのような馴染み方だ。
「耕平のお友達かい?」
そんな彼女にキッチンの祖父が声をかける。
「んー、多分……」
(……違うよな)
星川さんらしい反応だ。実際、耕平にも自分達の関係がよくわかっていない。『友達』どころかちゃんと言葉を交わしたのが昨日なのだ。
そんな星川さんの言葉にも祖父はどこか嬉しそうだ。
「そうか、よろしくな。俺はあいつのおじいちゃんでここの店長。あいつ、料理のことばっかりで友達少ないけど、頑張ってるからな。仲良くしてやってくれよ」
「うん……ぁ、私、星川猫です」
「…………」
祖父と星川さんのやり取りさえも耕平には気恥ずかしい。実際、友達はいないに等しいし、『ある事情』のせいで店に誰かを連れてくることはなくなっていた。
そんなことを考えながらのんびり開店準備をしている間にも二人のやり取りは続き――。
「まおちゃん、もしかしてお腹空いてるかい?」
「うん、結構空いてるかも」
「そうか……耕平、まおちゃんに何か作ってやりな」
突然祖父にかけられた言葉に、机を拭いていた耕平は顔を上げる。
「……俺?」
自分でも面倒くさそうな声になっているのがわかった。
正直、あまり星川さんに居座られるようなことはしたくないし、同級生に料理を作るということも『ある事情』のせいで避けていたことだが。
「ただし、練習してるやつだけだぞ」
それだけ言って祖父はスポーツ新聞を手に店の奥に行ってしまった。今日は客足も伸びないだろうし、それまで耕平に店番をさせておくということなのだろう。
(星川さんでもいいか……)
何しろ、ずっと祖父の手伝いで、営業中も誰かに料理を作ったことはない――何品かを練習している最中なのだ。星川さんならちょうどいい練習になるかもしれない。
そんなことを考えながらキッチンに入るのだった。
そして――。
「星川さんは嫌いなものとかある?」
「ないよ、すごい熱いのとかはだめだけどっ」
どうやら何か食べられると知って、もうスイッチが入ってしまったのだろう。カウンター席からキッチンを覗き込んでくる星川さんの目はきらきら輝いている。
「じゃ、ちょっと待っててね」
鍋を火にかけ沸騰させ、塩をひとつまみ。丁寧に計った分量のパスタを入れ、その間に具材――ピーマン、玉ねぎ、ベーコン――を冷蔵庫から取り出し、ざくざくと切っていく。
「何作るの?」
「できてからのお楽しみ」
耕平は話しながらも切った具材をフライパンに入れ、火を通していく。野菜やベーコンの香ばしい匂いがキッチンに漂い始めるのわかる。
「んー……?」
どうやら星川さんはその匂いを胸いっぱいに吸い込み、何を作っているか想像しているらしい。
(星川さん、本当に食べるのが好きなんだな)
思えば、自分が作る料理をこんなに楽しみにしてくれる人は初めてだ。それが昨日ようやくまともに話したばかりのギャルだというのが驚きだが。
やがて、ちょうど具材に火が通る頃にパスタが茹で上がる。フライパンに特製のケチャップを入れた耕平は素早く具材と混ぜ、お湯を切ったパスタをフライパンに入れて手早くかき混ぜる。
具材、ソース、パスタをフライパンの中で一気に混ぜて皿に盛り、そして最後にペッパーミルで黒コショウをかけて――。
(うん、これでよし)
カウンターに出す前に耕平は改めて出来栄えを確かめる。見た目の上では祖父と何も変わりはないはずだ。
しかし、星川さんはもうカウンターの向こうでそわそわしている。自分の料理を待ってくれているのだ。耕平はわずかな気恥ずかしさを覚えつつカウンターにとん、と皿を置く。
「お待たせ。うつい亭のナポリタン。チーズはそこにあるのを好みでかけてね」
「うん、いただきますっ!」
星川さんは待ちきれなかったのか素早くフォークを手に取るとくるくるとスパゲティを巻きつけ、口に運ぶ。そしてしばらくもぐもぐやっていたかと思うと。
「…………!」
目をきらきらさせ、スパゲティの山にフォークを突っ込み、巻きつけ、また口に運んでいく。食べる前のクールなイメージから一転、目の前のお皿しか目に入っていないようだ。
(……ほんとおいしそうに食べるよな)
無心に食べ続ける星川さんの姿は、見ているこちらまで幸せになるくらいだ。あまりお行儀がいい食べ方ではないだろうけど、それでも作った方としてはやっぱり嬉しい。
やがて、すべてを食べ終わった星川さんは綺麗になったお皿にフォークをカチャリと置くと、満足げに溜息をついた。
「……ごちそうさま」
そして星川さんは手でぱちんと手を合わせると、微かに目を細める。
「おいしかったよっ」
「ぁ……うん、ありがとう」
瞬間、耕平の目がじわっ、と熱くなる。彼自身、予期しない反応だった。自分がずっと頑張っていたのはこの言葉を誰かに言ってほしくて――。
「? どしたの?」
「ううん、何でもないっ、お皿下げるよ」
でも、感動とかそんな大それた感情ではなくて、胸にじわりと熱くなるような、不思議な感覚だった。目をしぱつかせた耕平は星川さんから皿を受け取る。
「もしかして、私、ヘンなこと言った?」
彼の異変を感じ取ったのだろう。星川さんは不思議そうな表情をしている。
「ごめん、違うんだ。ちゃんと食べてもらうのは星川さんが初めてだからさ、ちょっと嬉しくて。お店ではいつも手伝いだから」
「そうなんだ。じゃあ、私がそらの初めてのお客さん?」
「ぁ、そうか……そうなるね」
生まれて初めての『お客さん』が野良猫みたいなギャルなんて、ちょっと複雑だ。
それでも、自分にとっては大事な存在に違いない。そんなことを考えていると――。
星川さんがいたずらっぽい目を向けてくる。
「でも、お客さんは喉乾いたんだけど?」
(ほんと図々しいなっ)
食べ物のことになるとどこまでも遠慮のない子だが、自分の客である以上もてなさなければ。
耕平は渋々お湯を沸かし始める。
静かな店内では耕平が働く音だけが、外からは相変わらず強めの雨がさーさーと降る音が聞こえていた。
それからしばらくしてようやく雨も上がり――。
「止んだみたいだね」
外に出た耕平は空を見上げる。相変わらず厚い雲のお陰でもう真っ暗だが、これならもう大丈夫だろう。
「一応、傘持っていってよ。そのうち返してくれればいいからさ」
「ん……」
傘を受け取った星川さんは雨上がりの道路の匂いを嗅ぐように鼻をひくつかせていた。彼女なりに天候を判断しようとしているのかもしれない。
「「…………」」
不思議な沈黙だった。よく考えたらまともに言葉を交わすようになったのが昨日だというのに、こうして店の前でギャルと雨上がりの夜空を見上げている。
「じゃ、ごちそうさま」
が、星川さんは相変わらずのマイペースで傘を手にとことこ歩き始める。
「ぁ、えーと、また来てよっ」
うっかりそんな言葉が出てきてしまった。できればもう来てもらわない方がいいのに。
そんな彼の言葉に、星川さんは傘を振って――挨拶のつもりなのだろう――夜の路地に静かに消えていった。
「…………」
耕平はその後姿が消えるまで見送っていた。本当に不思議な子だ。でも、自分にとって初めての『お客さん』でもあるのだ。
そして店に戻り開店準備を始めようとしたとき――。
「よかったな」
キッチンの中で屈み込み、引き出しの中を改めていた祖父が顔も上げずにぼそぼそと口にする。
「……うん」
孫の私生活や交友関係には無頓着な祖父には珍しい言葉だ。
しかしその言葉の意味は耕平にとっても大きく、もう何年も前のできごと――彼が友人をなくした理由――からつながるものだった。
小学生当時、彼も今よりははるかに交友関係が広かった。
実家に住んではいてもこの店にも当然のように入り浸っていて、友人達を呼んだりもして、祖父にいろいろ作ってもらったりもしていた。
友人達に祖父の料理を自慢したいという無邪気な気持ちからくるもので、実際、友人達の評判も上々で彼も誇らしい気持ちだった。
が、人間少しずつ慣れてしまうもので、友人達は当たり前のようにお店にきて祖父の料理を食べるようになっていった。耕平も祖父もそれ自体は特に気にしてもいなかった――ありがたがってほしかったわけでもない――が、当時から料理が好きだった耕平の言葉がすべてを変えてしまう。
今日は自分が作ろうと、小学生なりに張り切って提案したところ。
「え、お前が作るの?」
友人達にも悪意はなかっただろう。祖父の料理が当然だと思っていた彼らの驚きと戸惑いは今でも忘れられない。
結局そのときは何となく祖父が作ることで収まってしまったが、友人達も自らの反応を気にしていたのか、期待通りの状況でなくなったことに失望したのか、翌日から学校でも互いに距離を置くようになった。
耕平自身、誰かが悪かったわけではなかったのはわかっている。友人達を恨んでもいない――ただ、祖父の料理が目当てになってしまっただけで。
それでも、店に呼んだことで結果的に友人を失い、ずっと消えない警戒心が芽生えてしまったのは確かだ。
店に呼びさえしなければ。
自分が料理を作ると言いさえしなければ。
祖父も何となくそんな経緯を察していたのだろう。
友人が来なくなったことも何も聞いてこなかったし、だからこそ先ほどの言葉があったのだ。
「……また来てくれるといいな」
「うん……お店開けるね」
星川さんはどうも気まぐれな人物に思える。それでも、彼にとっては当時の一件以来初めて料理を振る舞った人間だ。やはり初めての『お客さん』には違いないし、またきてほしいのが人情だろう。
相変わらず屈み込んでぼそぼそ口にする祖父に答えた耕平は、奇妙な期待感を胸に開店準備を始めるのだった。




