星川さんは手を握りたい⑤
★
それから三十分後――。
(どうしよう……)
耕平はマンションの一室の前で冷や汗をかいていた。
やってきたのは星川さんの家。
『犬と猫どっちが好き?』と詰め寄られ、両方と答えたら何故かこんなことになってしまった。確かに両方好きだし、祖父に禁止されていなければ犬を飼いたい気持ちもある。見せてもらえるなら当然嬉しい。
しかし、まさか星川さんの家に招待されてしまうとは……。
友人の家に行くようなこともまったくないし、それが女の子のいえとなればなおさら気まずい感じがする。
「今誰もいないから」
星川さんはがちゃがちゃと鍵を開けて中に入り、耕平のためにドアを抑えて待っている。
ご両親がいないとなると余計にまずい気がするのだが、星川さんは友人がくるときと同じノリらしい。
「うん。それじゃ、お邪魔します」
こっちだけ気にし過ぎているのも変だ。耕平は勇気を振り絞り――それでも恐る恐る――家に入るのだった。
よく片付けられたマンションの一室に入るなり、小さな足音が聞こえてきた。
茶色と白で耳と脚が短い犬――確かなんちゃらコーギーとかいう犬種。
「ただいま、ユウ。今猫も連れてくるから」
サンダルを脱いだ星川さんは足元にまとわりついてくる犬を軽く撫で、そのまま部屋の奥に消えてしまった。
そんな彼女に構わず、ユウと呼ばれたコーギーは耕平の足元にもまとわりついてくる。来客へのサービス精神旺盛な犬らしく、耕平もしゃがみこんで頭や背中を撫で回してやった。
(やっぱり犬飼いたいな)
もちろん店の都合はあるし、自分のことで精一杯なのにペットなんて夢のまた夢だ。それでも、こうして帰りを迎えてくれる動物がいたらどんなにいいだろう。
手や顔を鼻先で突かれ、舐め回されながらも犬を構っていると、部屋の奥から何かの不機嫌な唸り声とどたばたと取っ組み合いのような音が聞こえてくる。
『ちょっとだけだからおとなしくしてて』
『せっかく来てくれたんだし恥かかせないでよね』
普段の星川さんには珍しい、誰かを悟すような言葉。どうやら猫を説得しているらしい。しばらくして静かになったかと思うと、星川さんが何かを抱えて奥の部屋から出てきた。
「でっ――」
その腕の中にいる巨大な三毛猫に耕平は息を飲む。
丸めた身体を何とか抱きかかえてはいるものの、幼児くらいのサイズがありそうだ。
「お待たせ。ほら、アンズ、挨拶して」
アンズと呼ばれた巨大な猫は星川さんがそっと床に下ろすと、ふてくされた顔でのそのそ耕平に近寄ってくる。そして目の前で億劫そうにどさっと腰を下ろした。
「こんにちは……」
耕平が恐る恐る頭を撫でると、アンズは喉の奥でほんの少し唸り声を上げておとなしくしている。飼い主のために我慢している感じだ。
そばにいたユウの方は愛想を振りまき終わったのか、どこかに駆けていってしまった。
「ずいぶん大きいね。そういう種類なのかな?」
「普通の猫だよ。小さい頃はこれくらいだったし」
言って、星川さんは両手で子猫を包み込むような形をつくる。確かに子猫サイズだし、こうして目の前にいるのは体型としては少し太っているようではあるけど普通の三毛猫だ。
「それがどうしてこんなことに――」
「わかんない。ごはんよく食べるからあげてたらいつの間にか大きくなっちゃった」
(そりゃそうだ……)
食べるからってあげていたらこうなるだろう。
とはいえ、食欲に素直に育ててしまうところは何となく星川さんらしい気もする。
そんなことを考えていたとき。
「……っなに?」
星川さんが剣呑な視線を向けてくる。マイペースな星川さんにしてはなかなか鋭い。
「い、いや、何でもっ、可愛い猫だねっ」
もう飼い主への義理は果たしたと考えたの、アンズは耕平の手からするりと逃れ、そのままのそのそと奥の部屋へ行ってしまった。
「わざわざ連れてきてくれてありがとう。ちょっと機嫌悪そうなのに」
「いつもあんなだから気にしなくていいよ。いいから上がって、今飲み物出すね」
「うん、それじゃ……」
その言葉に、ようやく耕平は星川さんの家に上がるのだった。
それから――。
「…………」
耕平は案内された星川さんの部屋でひとり正座したまま固まっていた。
部屋は冷房が効いていて涼しいがあまりのも静かだ。友達の部屋に来るという経験がないせいもあり、あまり見回しては失礼だとは思うものの、ついきょろきょろしてしまう。
普段の星川さんのイメージとは違い、調度品は可愛らしく、ベッドカバーや壁などピンクやオレンジなどで柔らかい雰囲気だ。
しかも部屋はほんの少し散らかっていて、ベッドに服が散らばっていた。何となく試着しては脱ぎ捨てた感じだ。机の上にはいくつかのアクセサリーもあって、こっちもやっぱり何度も付け替えた感じがする。
星川さんの日常に触れてしまったというか、女の子の部屋にいる感じにどうも気恥ずかしくなったとき。
「お待たせ。ごめん、ちょっと散らかってて」
お盆を手にした星川さんが肘でドアを開けて入ってきた。
お盆には麦茶がなみなみと注がれたピッチャーとグラスが二つ、クッキーが乗せられた小皿。足元にはユウがまとわりついていた。おこぼれにあずかれると思っているのだろう。
「うん、その、お構いなく」
「このクッキー、コンビニのだけど結構おいしいんだよ」
「そうなんだ。いただきます」
食べ物に目がない星川さんらしい。緊張しながらも手を伸ばすと、彼の周りでユウが前足をぴょんぴょんさせ始めた。
「えーと、すごくほしがってるみたいなんだけど……」
動物好きの彼としては犬におやつをあげるのは長年の夢なのだ。とはいえ、勝手にあげるのは犬にも飼い主にもよくない。星川さんの様子を窺うと、耕平とユウをしばらく見比べたのち、微かに溜息をついた。
「しょうがないなぁ、一枚だけだよ」
「じゃあ、お近づきの印に……」
耕平がクッキーを手に乗せて差し出すと、駆け寄ってきたユウは器用にクッキーを咥える。そしてがつがつ勢いよく噛んでいたかと思うとあっという間に飲み込み、また期待に満ちた目を向けてきた。
「こら、もうおしまい。あっち行ってて」
しかし星川さんはユウを小脇に抱えて部屋の外に出し、ドアを閉めてしまった。
しばらく小さな足音は部屋の前でうろうろしていたかと思うと、やがて去っていく。
(星川さんって家だとこんな感じなんだな……)
そんなやり取りを耕平は不思議な気持ちで眺めていた。
よく考えたら、いつも友人に絡まれたり、お店でご飯を食べる星川さんばかりでこうした姿を見るのは初めてだ。ペットとはいえ家族のようなものだし、家族と過ごしているときはこんな感じだと思うと、何となくくすぐったい気分になる。
「一回おやつあげると結構しつこいんだよね」
戻ってきた星川さんは髪を留めていたクリップを取り、頭を振ってぱさりと髪を下ろす。そして小さなガラステーブルを挟んで耕平の前に膝を崩して座り、スマホを弄り始めた。普段のくつろぐ姿というのもやはり珍しい。
「犬も可愛いね、よかったらまた触らせて」
「ん。一回おやつあげたら今度からもうすごいよ」
耕平の言葉に星川さんの表情が微かに和らぐのがわかった。やっぱり自分の家族をほめられれば嬉しいのだろう。
そして星川さんと昼下がりのティータイムが始まったのだが。
「…………」
星川さんのスマホは先ほどからメッセージ着信を繰り返し、しきりにピコン、ピコン、と鳴り続けている。
最初はそれに返信をしていたらしいのだが、やがて溜息をついてベッドの下に押し込んでしまった。猫が拾ってきたものを隠すような自然な仕草だ。
「ごめん、うるさくて」
「いいけど……いいの?」
「いいよ。返したらまたしつこくくるから」
言いながら、星川さんはクッキーをつまみ、麦茶の入ったグラスを煽る。
耕平もつられるように手を伸ばし、ようやく落ち着いた時間が訪れた。
「期末っていつからやる?」
「来月入って範囲が決まってからかな」
「……早くない?」
耕平の言葉に、星川さんがわずかに驚いたのがわかる。その間もクッキーをむしゃむしゃやっているが。
「毎日あんまり勉強してる時間ないから……」
それが現実だった。テスト前だからといって店は休みにならないし、耕平が休みを取ることもできない――祖父に無理を言ってやらせてもらっている以上、自分の都合は後回しだ。
かといって点数が悪ければ、『勉学がおろそかになっている』という理由で両親から今の生活を止められてしまう。
最低限の点数を取るためでもこつこつやるしかないのだ。
「そっか、そらはえらいね。私なんか一週間前に友達にノート見せてもらってるよ」
星川さんはガラスのテーブルに突っ伏すようにして腕に顎を乗せる。
そんな星川さんに耕平はつい笑ってしまった。星川さんらしい。寝ていたり、サボったりしているのは隣の耕平もよく知っていた。
それにしても。
(何か変な感じだな……)
最近は慣れてきたとはいえ、苦手だったギャルの部屋でこうして何気ない会話をしている。彼にとっては誰かと学校のことを会話すること自体が初めての体験だ。
(友達ってこんな感じなのかな……)
もしかしたら。彼にとっては『友達』という存在自体も未知の領域だ。それでも、その感覚は心地よいものだった。やっぱり少し気恥ずかしいけれども、くすぐったくて、この時間がずっと続いてほしいような。
そんなのんびりした時間が過ぎていくのだった。




