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星川さんは手を握りたい③


 それから、上映開始となりようやく序盤も過ぎ――。

 ホラー映画の定番、若者の一団の乗る車が山の中で立ち往生したあたり。

(…………)

(ありがとう)

 星川さんが無言で差し出してくるポップコーンを小声で礼を言って受け取り、耕平はもそもそと食べ始める。

 彼女の前にはトレーに乗った様々な軽食があり、上映が始まってからしきりにいろいろな食べ物をくれる。きっと星川さんなり気遣いなのだろう。星川さんがいつも食べているものを分け合うのは少し恥ずかしいというか、何となくくすぐったく、それでもそんな感覚は嫌ではなかった。

(たまにはこういうのもおいしいでしょ)

(そうだね)

 ポップコーンはオーソドックスな塩味だけだが、できたてとあって香ばしさが癖になる。それに、ホラー自体も得意ではないがいつもと違う空間で食べるだけでもいいものだ。

 問題はというと。

(どうしよう……)

 二人の間のホルダーに置かれた特大のコーラのカップを、耕平はちらちらと観察していた。

 ポップコーンを食べると当然喉が渇く。しかし飲み物はこれだけ。星川さんは『一つしか買ってきていないから二人で飲む』と言っていたし、先ほどから時折飲んでいるが、本当に自分も飲んでいいのだろうか。

 実は星川さんなりの社交辞令で、本当に飲んで嫌がられたらと思うと――。

(どうするどうするどうするどうする……)

 こうした経験がない耕平と違って、ギャル達の間ではこれくらい普通なのだろうか。飲まないでいると逆にこちらが嫌がっていると思われてしまうかもしれない。

 そんな耕平の視線を感じ取ったのだろうか、ホルダーからカップを抜き取った星川さんがそれを差し出してくる。

(たくさんあるから遠慮しないで飲みなよ、喉乾くでしょ)

(うん……)

 恐る恐るカップを受け取った耕平は、できるだけストローの端に口をつけるようにしてコーラを飲む。正直なところ味などほとんどわからず、炭酸を感じる程度ですぐに口を離し、慌ててホルダーに戻すので瀬いっぱいだった

 星川さんはというと、スクリーンを見ながらカップを手探りで取り、あらぬ方向を向いているストローの先を口で引っかけるようにして咥える。慣れた仕草だった。

(…………)

 妙な気恥ずかしさと安堵感に、耕平は内心大きく息をついていた。女子どころか男子とさえこんなふうに飲み物を共有したことがない彼にとっては、これだけでも未知の体験だ。ホラー映画を観ているにも関わらず、胸が高鳴っているのを気取られないかと緊張しながらスクリーンを見つめるのだった。


 それからしばらく経ち、物語も後半に差しかかった頃――。

 怪しい山村で若者達がひとり、ふたりと姿を消し始める。

(うぅ、めちゃくちゃ怖いんですけどっ)

 予想を遥かに越える恐怖に耕平は半ば薄目、半ば目を逸らしていたのだが。

(…………っ)

 二人の間のドリンクホルダーに置いた彼の手を、星川さんがぎゅっと握っていた。爪を立てんばかりというか、ネイルが少し刺さっている。本人は気づいているのかいないのか、先ほどからずっとこのままだ。

 横目でちらりと見ると、スクリーンを見つめる目は見開かれ、驚いた猫が毛を逆立てて威嚇しているような気配さえ感じる。この映画を選んだはずなのに、耕平以上に怖がっているのは明らかだ。

(星川さん、大丈夫?)

(…………っ)

 こくこく頷く星川さんはさらに強く手を握り締めてくる。

 それでも、普段は彼女が怖がる様子は――本人には悪いが――新鮮で、耕平は横目でちらちらと観察を続けるのだった。

 それから――。

 ようやく本編が終わり、流行りの歌手のタイアップか何かが流れる中、耕平達はそそくさとシアターから出ていた。

「大丈夫?」

「…………」

「少しゆっくりしてから出ようか」

「…………」

 券売機のそばの柔らかな椅子に腰かける星川さんは無言でこくこく頷くものの、まだ何やら昂っているのか微かにふーふーと息を吐いている。

 確か本編終了後におまけ映像が何かがあるらしく、本人は頑張るつもりらしかったのだが、この状態では無理だろう。耕平の手にもネイルを立てられた跡がわずかに残っている。

(……やっぱりちょっとかわいそうだな)

 自分がこの映画を勧めたわけでもないし、いつもマイペースな星川さんが怖がる姿は少し楽しくもあったけど、さすがにこれは悪い気がする。

「待ってて。何か買ってくるから」

 食いしん坊の星川さんのことだから、何か食べさせれば恐怖よりも食い気の方が勝つに違いない。耕平が星川さんを残して売店の方に向かおうとすると。

「っ?」

 突然かなりの力で背後から引っ張られ危うく転びそうになってしまった。

 思わず振り返ると星川さんがシャツの裾を握り締めている。

「いい」

「?」

「食べ物、いいから」

 そして相変わらずシャツを引っ張ったまま、彼の目を見つめ返してくる。

 表情はいつもと変わらないように見えて、瞳は今まで見たことのない不安そうに揺れているように見えた。

「えっ――ぁ、いや……うん、わかった」

 心臓が跳ねるのを感じ、戸惑いを気取られないよう耕平はもそもそ答え、隣のソファに腰かける。妙な感覚だった。今まで星川さんがこんなふうに見えたことなんてなかったのに。

 何となく捨て猫をその場に置き去りにしてしまうような心苦しさ、あるいは自分がそばにいてやらなければという責任感、あるいはそのどちらでもない何か。

 結局、耕平は隣の椅子に腰かけるのだった。


 それからしばらく――。

 「「…………」」

 映画館内は込み合っているものの、あまり大きな声を出す者もいない。館内の抑えられたざわめきも心地よい静けさに感じる。

 星川さんも今は落ち着いてスマホを弄っていた。先ほど耕平を引き留めたにも関わらず、もう興味をなくして毛づくろいでもする猫みたいだ。

(何かいいよな……こういうの)

 それでも、耕平にはこの空間が心地よかった。

 いくら星川さんが怖がっているといっても、人懐こい猫みたいに身体を擦りつけてきたりはしないし、自分も撫でくり回したりはしない。でも、お互いにこうしてそばにいるのが当たり前のように隣にいる。

 星川さんも同じ気持ちでいてくれたら――そんなふわふわとした感覚を弄んでいたときだった。

「行こ」

 ひょい、と腰を上げた星川さんはスマホを手に歩き出す。いつもと変わらないマイペースな様子だ。

 きっとまた星川さんの目的の場所があるのだろう。今度はお気に入りの場所かもしれない。相変わらず慣れないサンダルで歩きにくそうな星川さんについていくのだった。

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