星川猫は恋を知るー④
★
「えっ……」
店休日の午後――。
学校から帰って来た耕平が店にやってきた星川さんに料理を振る舞おうとしたとき、祖父に突きつけられた言葉に息を呑んだ。
『まおちゃんにオムライスを作れ』
『認められなければ作るのは諦めろ。テストが嫌なら店をやめろ』
要はオムライスを諦めるか、店をやめるか。
まさかいきなりそんな重大な決断を迫るとは、祖父らしいというか……。
とはいえ、実際のところいつかこんなことになる気はしていた。
店でも失敗は多いし、学校でもぼんやりしている。これではこつこつやっているのではなく漫然と繰り返しているに過ぎない。
「ぇと、私、やっぱりお腹空いてないから――」
「帰らないで。作るから」
さすがに事の重大さに怖気づいたのだろう。慌てて腰を上げようとする星川さんを、耕平は静かに制する。
祖父の言葉ももっともだ。同じことをだらだら繰り返していたって、いつまで経っても最後のラインは突破できない――ここが勝負所だ。
「でも、私、そらのご飯好きだから、オムライス作れなくても……っ」
「ありがとう。でも、最初のお客さんに食べてもらうって決めてたからさ」
「ぅぅ……」
星川さんは耕平と祖父の顔を交互に見比べて言葉を探していたが、両者に冗談の気配がないのを見て取り、腹を括ったらしい。いつものように腰を落ち着けた。
「……わかった。じゃ、オムライスひとつ」
「うん」
それから――。
耕平はフライパンに入れた玉ねぎ、ニンジン、鶏肉を無心に炒めていた。
香ばしい匂いがキッチンに漂い、星川さんも匂いを嗅いでいるのがわかる。
ある程度火が通ったら塩コショウ、コンソメで味を調え、温かいご飯を入れて丁寧に――時間をかけすぎて焦げつかないように――ケチャップを入れながら混ぜ合わせていく。
綺麗に混ぜ合わせて完成したチキンライスをお皿に盛り、フライ返しで軽く形を整えて、チキンライスは完成だ。
ここからが勝負だ。
フライパンにバターを入れて熱し、その間にかき混ぜていた溶き卵を流し込んでいく。
(星川さんに食べてもらうんだ……星川さんに食べてもらうんだ……)
うまく作って、いつものように喜んで食べてくれるところを見たい。
耕平はそれだけを考え、フライパンに回し入れた溶き卵を菜箸で寄せ、時折かき混ぜ、そっとオムレツとして形作っていく。
祖父にじっと見られている感覚はもう消えていた。
フライパンに接している部分が固まり、微かに焼きつき始めたとき――。
「…………」
耕平の手は自然に動いていた。フライパンの取っ手のあたりをぽん、ぽん、と軽く叩いてオムレツをひっくり返し、そっとチキンライスの上に乗せる。
あとは本番用のちょっといいケチャップのボトルを握り、星川さんの方をちらりと見て、少し考えてから中身を押し出していった。
(よし……)
耕平は完成したオムライスを眺める。
星川さんのために作ったオムライスだ。『初めてのお客さん』に喜んでもらえないなら、これ以上作っても意味がない。自分でも驚くくらいに気持ちは落ち着いている。
そして――。
「お待たせ、オムライスです」
そっと皿を手に取り、カウンターの向こうにいる星川さんの前に置くのだった。
☆
「ん……」
目の前に置かれたオムライスをまおはじっと見つめる。
バターや玉ねぎの香ばしい匂い、ふわっとした匂いがするオムレツにはケチャップで『☆』が描いてあった。私のためのオムライスなのだ。
「じゃ、いただきます」
とうとうそらのオムライスを食べることができる。
まおは思わずスプーンを取ったが、そこで手が止まる。
もしかしてあんまりおいしくなかったら?
嘘をつくことはできない――今までそらが頑張ってきたことを甘く見ることになる。
それに、おじいちゃんにだって見抜かれる。
「冷めないうちに食べて」
「……ん」
もう食べるしかない。
まおはそっとオムライスにスプーンを入れる。柔らかなオムレツが割れ、中から湯気とともに現れたチキンライスをすくって恐る恐る口に入れた。
絶妙なオムレツの柔らかくふんわりとした風味と、少しいいケチャップの酸味、香ばしいチキンライス……。
(ぁ、これ……)
――ひと口食べただけで作った人のことが好きになってしまうような。
(……魔法のオムライスなんだ)
無言で飲み込んだまおは目じりがじわっ、と熱くなるのを感じながらも、またひと口すくい、無言で味わい、飲み込み、またひとすくい、ぽろぽろ涙を流しながら夢中で食べていた。
★
「ぅ……ぅぅ、はくっ……むぐっ、んぐ……ぅぅ、えっく、えぐっ、はくっ、むぐ」
「星川さん?」
しばらく無言で食べていた星川さんが、突然吐き始めてしまった。しかも、泣きながらオムライスを食べている。
いつもクールな星川さんには珍しい感情の発露に、耕平は混乱するばかりだ。
「星川さん、その……嫌なら無理に食べなくても……」
「違うのっ、えぐっ……そらのオムライス……おいしくて、えぐっ、泣いちゃうのっ、ひっく……うぅ……」
しゃくり上げながらも星川さんはカチャカチャとスプーンを鳴らしてオムライスをかき込んでいく。
何だかおかしな反応だけど、それでもきっと『合格』ということなのだろう。
結局、耕平はただ黙ってその様子を見守るしかなかった。
そんなとき――。
「もう一個作ってくれ」
「うん……」
星川さんの合格が出たので今度は祖父がテストしてくれるのだろう。
緊張しながらもまたフライパンを温め、同じ要領で作り始めるのだった。
「お待たせ」
そして、できたものを緊張しながらも祖父の前に置くと。
「おう、悪いな。ちょうど腹減ってたんだ」
小さな椅子を引き寄せて腰かけ、スポーツ新聞を広げて、片手間に食べ始める。
耕平がじっと言葉を待っていても顔も上げないまま。
「そろそろ開店だぞ。やっておいてくれ」
「……うん」
祖父の評価はその様子からは読み取れない。食べてくれているということは、まかない程度なら合格ということなのだろうか。そんなことを考えながら開店準備を始めるのだった。
やがて店の外に出た耕平はドアにかけられている看板をひっくり返し、星川さんを送り出す。
「なんかごめん、そらのオムライス食べてたらわけわかんなくなっちゃって……」
「別にいいよ。おいしかったならよかった」
日の長くなってきた5月後半の空はまだ暮れる気配もなく、奇妙な感覚を覚えた。彼にとってはあれだけの一大事があったのに、ほとんど時間が経っていないのだから。
星川さんだってもういつもの様子だけど、明るい空の下では星川さんの目がまだ赤いのがわかる。
「合格だったのかな? おじいちゃん何にも言ってなかったけど」
「うーん……多分」
星川さんに認められたんだし、本当に不合格なら今頃怒られて諦めさせられているだろう。
「じゃ、これから毎日食べられる? お店でも出す?」
「うーん、店では出せないけど、星川さんにはいつでも作れるよ」
「そっか、また作ってね」
「…………星川さん」
「?」
「ありがとう、食べてくれて」
そんな言葉が勝手に出てきた。きっと星川さんに食べてもらうためでなければ、作れなかったはずだ。何となくご飯を食べさせてしまうことになっていたけど、自分にとって星川さんはやっぱり大事な『お客さん』なのだ。
そんな耕平の言葉に星川さんはくすぐったそうに目を細め、手を差し出してくる。
「?」
「握手っ」
「あくしゅ?」
「オムライス、できたお祝いに握手」
「あ、うん……」
星川さんが焦れったそうに揺らす手を何となく握る。
と、その手を星川さんがそっと握り返してきた。強くはないけど、ぎゅっ、と何かを込めるような。
やがて星川さんはそっと手を離すと。
「じゃ、また明日」
それだけ言ってとことこ歩いていってしまう。
「うん、また明日」
着崩した制服に、手首にはじゃらじゃらのアクセサリー、長い黒髪を揺らしてマイペースに歩く姿はやっぱり野良猫みたいだ。
そんな星川さんが人込みに消えていくまで耕平はその姿を見守っていた。




