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星川猫は胃袋で恋をする  作者: 橘トラ
プロローグ
2/87

プロローグ②

 しかし、縁というのはわからないもので――。


 翌日の放課後、委員会の用事を終えた耕平はのんびり廊下を歩いていた。

 今日は店休日なので店の仕事はゆっくりでいいし、そんなことを考えながら教室に戻ってきたとき。


「…………」

 もう誰もいないと思っていた教室には星川さんがいた。

 暮れかけた春の陽が差し込む窓際の自分の席で、ぼんやりと頬杖を突いている。その姿を見て、耕平は思わず足を止めた。

 が、星川さんは気づきもせず、開け放った窓から吹き込む柔らかな風に目を細めていた。かと思うと『くぁ……』と小さなあくびをして机に突っ伏す。

(起こさないようにしないと……)

 注意を引いて気まずい思いをしたくない。耕平がそっと星川さんの隣の席――自分の机――に忍び寄って、教科書やノートを取り出し、通学鞄に詰め込んでいたときだった。

 鞄に入れていたスナック菓子の袋を床に落とし、ガサッと想像以上に大きな音が鳴る。

(やばいっ!)

 隣のギャルを起こしてしまうよりも、お菓子を見られることの方が問題だ。何しろこれは委員会の仕事を長時間手伝ったご褒美に、内緒で先生からもらったものだ。これを星川さんに見つかったら――。

 耕平は慌ててお菓子を拾い上げて鞄に放り込むが。


「…………」

 予想通りというか、星川さんは目を覚ましていて、彼がお菓子を放り込んだ鞄を凝視していた。いつもの涼しげな瞳とは違う、少し厚かましい眼差し。目の前の人間が餌を持っていると知ってしまった野良猫の目だ。

「おいしそうなもの持ってるじゃん。学校にお菓子持ってきちゃいけないんだよ?」

(自分だって食べてた癖にっ)

 昼休み中にギャル仲間とお菓子をばりばり食べていたのを耕平も目的していた。が、当然そんなことは言えるはずもない。

「これにはちょっと事情がありまして……」

「いけないんだよね?」

 星川さんはかつあげじみた気迫でじりじり迫ってくる。どうあっても見逃してくれないようだ。

(まずい人に見つかっちゃったな……)

 正直、あまりギャルと接点を持ちたくないし、このまま逃げ出してもどうということはないだろう。が、星川さんのプレッシャーときたら強烈で――。

(しょうがない……)

 内心溜息をついた耕平はお菓子の細長い包装を綺麗に開いて、小さなパイがずらっと並んだプラスチックのトレーを星川さんに差し出してやる。

「ま、ここは穏便に……おひとつどうぞ」

「うむ、よかろうっ」

 彼の言葉に星川さんは躊躇なく手を伸ばし、パイをひとつ摘まんでひょい、と口に放り込み、もぐもぐやっていたかと思うと。

「もう一個っ」

(結構図々しいな……!)

 遠慮の一切ない星川さんに戸惑いつつも、耕平はまたひとつ摘まませてやり、自分もひとつ摘まむ。

(何やってるんだ、俺……)

 ほとんど言葉を交わしたこともない――しかも苦手な――ギャルと、放課後の教室で二人きりでお菓子を摘まんでいるのだ。妙な状況に、よく噛みもしないままお菓子を口に放り込んでいくのだった。


 やがて最後の一つを食べ終わった星川さんは満足げに息をつき、指をぺろぺろ舐めている。

「結構おいしいじゃん、これ。どうしたの?」

「清掃委員の仕事やってたら先生がこっそりくれたんだけど、内緒だからね?」

「わかってるって。うーん、お菓子もらえるなら替わってもらおうかな」

(ほんとに食い意地張ってるな)

 そんなことを思いながらも、意外にも耕平は満ち足りた気分でいた――半分以上を星川さんに食べられてしまったというのに。

 何しろ、お菓子を食べているときの星川さんときたら本当に幸せそうなのだ。彼女の友人達が食べ物を与えるのもわかる気がした。


「じゃ、俺は先に帰るねっ」

 何だか気恥ずかしくなった耕平は鞄を掴み、お菓子の包装をポケットに詰め込む――教室のゴミ箱に捨てて見つかったらあとで問題になる。さっと教室を出て行こうとするが。

「ごちそうさま、『そらい』くんだっけ?」

 その言葉にずっこけそうになってしまった。隣の席になのにまだ名前を憶えてもらっていなかったとは。しかし星川さんには何の悪意も感じられない。

「……『うつい』ね」

「そらいの方が綺麗でいいじゃん。そら……そらの方がもっとよくない?」

「わかった。それでいいよ」

 もう笑うしかなかった。名前をちゃんと憶えてもらえないのは困るが、きっと星川さんなりに憶えてくれようとしているのだろう。

「それじゃ俺はもう帰るけど、星川さんはまだ帰らないの?」

「ん、もうちょっと寝てく」

 言うなり、星川さんは突っ伏してしまう。本当にマイペースな子だ。でも、悪い子ではない気がする。

 このギャルへの警戒心がわずかに薄れた耕平は彼女を起こさないよう、そっと教室を出るのだった。



 机の上に置いてあったスマホのピコン♪というメッセージ着信の音に、まおはむくりと頭を起こす。

「…………」

 春の陽は既に暮れかけ、教室は薄暗くなっていた。

 ぼんやりと友人に返信しながら、指先を舐めると――先ほどもらったお菓子の味がまだ残っている気がした。

(そらい……あれ、うついだっけ? どっちでもいいか……『そら』だし……)

 今日初めてまともに会話した男子生徒とのやり取りをぼんやりと思い出す。まおにとっては隣の席の人間は単なる隣人だ。時々挨拶をしたり、教科書を見せたり――電車やバスの中で一緒になる乗客よりもほんの少し身近な程度だったが。

(そら……お菓子くれる人……)

 その存在が初めてまおの頭に刷り込まれる。食べ物をくれる人に悪い人はいない。

 それに、あれはまだおいしいものを隠し持っている顔だ。まおの『胃袋』がそう告げていた。お菓子だけではなくて、もっとおいしいものが食べさせてくれる。

 明日はそらについていって、さらにおいしいものを引き出してやろう。そう頭の片隅に書き残したまおはつぶれた鞄を肩にかけ、とことこ教室を出ていった。

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