星川猫は恋を知るー③
★
「――い……つい、空井!」
自身を呼ぶ誰かの声とともに控えめに肩を揺らされ、耕平はハッと目を覚ます。
一瞬、自分の状況がわからず周囲を見回すと、黒板の前に立っている英語教師の視線。数人の生徒達も不思議そうに彼を見ていた。
(そら、大丈夫?)
そして隣の席の星川さんが手を伸ばして彼の肩を揺すっている。
授業中に寝てしまっていたことにようやく気づいた。
「すいません……」
「空井、調子悪いのか? 保健室で休んできていいぞ」
普段、授業を真面目に聞いているし、素行もいい耕平が寝ていたので教師も驚いているようだ。が、そのせいかあまり責める様子もない。確かにそのまま授業を抜けてもいいが。
「大丈夫です」
「そうか、じゃあここで相手が過去形で質問をしてる理由は?」
「えーと……」
ぼんやりした頭で耕平は教科書の例文を見つめる。
――まったくわからないが、ここで「わかりません」と答えれば他の誰かに回って迷惑をかけることになる。
結局「以前も一度聞いたことがあるから」とかなんとか適当に誤魔化してしのぐが、それからもぼんやりしたまま午前中の授業が過ぎていくのだった。
昼休み――。
(そろそろやばいよな……)
いつもの校舎敷地の隅のベンチで、耕平はぼんやりと弁当を突いていた。
ここ数日、店で失敗が多いばかりか疲れが溜まっていて、授業もほとんど頭に入ってこない。『他のことにまで気が回らなくなるなら余計なことをするな』という祖父の言葉ももっともだとわかっているのに……。
どうしても頭の中はどうオムライスを作るかだけになってしまう。しかも、一日に二回しか作れないだけに余計に考えるようになっていた。
「今日、ちょっと暑いね」
すぐそばでガサガサ音が鳴りハッと我に返ると、星川さんが隣に座ってコンビニの袋をごそごそやっていた。
「うん……」
確かにもう五月も終わろうとしていて、昼間の日差しは少しずつ強くなり、空気も湿気を含むようになった気がする。
星川さんの言葉にもぼんやり答えながらのろのろ弁当を突き始めたとき。
「図書室、結構サボりやすいんだよ」
「?」
「あそこ、実はあんまり先生来ないから」
コンビニのおにぎり――最初のひとつ目――をぱりぱりやり始めた星川さんは食べながらももごもご言っている。
星川さんが何を言いたいのかわからず、耕平は戸惑っていたが。
「うん……」
きっと『無理をするな』ということを言いたいのだろう。
店でも学校でも失敗ばかりなのを見ているのは星川さんだけだ――本当は見られたくないけれども、星川さんなりに心配しているに違いない。
「今度行ってみるよ」
「ん、寝るなら机とかがあるところじゃなくて奥の椅子が並んでるところね」
それだけ言って星川さんはまたおにぎり――ふたつ目――をぱりぱりやり始める。
「わかったよ、ありがとう」
星川さんの言葉にもそもそ答えながら耕平は弁当を突き続ける。
不思議と落ち着く空気だった。
今までずっとそうしていたように、星川さんは隣にいて、自分のことを気遣ってくれる。かといって『頑張れ』とか『休めば』とか押しつけがましいことも言わない。きっと自分の作るオムライスを楽しみにしているはずなのに。
でも、そんな星川さんだから今は一番ホッとする存在だった。
「ふぁ……」
弁当を食べ終わった耕平をまた眠気が襲う。
それでも、今は授業中のように『寝てはいけない』とか家でのように『もっと勉強しなきゃ』とかいうストレスもない。
「寝てていいよ。授業始まる前に起こすから」
「うん、よろしく……」
星川さんがそばにいれば大丈夫のはずだ。
六月の空気を含んだそよ風を感じながら、耕平は心地よい眠気に身を任せるのだった。
☆
ようやく最後に手をつけようとしたときだった。
触れ合うかどうかぎりぎりの腕に体重がかかり、肩に何かが乗る。
「っ?」
ぴくっ、と固まったまおが目線だけをそちらにやると、耕平が肩に頭を乗せて寝息を立てていた。
ほんの少し前まで起きていたとは思えないくらい穏やかな寝息だ。
(そら、疲れてるんだ……)
最近はお店で怒られるだけじゃなくて学校でもぼーっとしているし、少し心配だったけどやっぱりだ。こんなに大変そうなそらを見るのは初めてで少し心配にもなるけど。
「ふふっ……」
初めて見る耕平の寝顔にまおは頬を緩ませる。
他のことなんか目に入らないくらい料理に夢中になって、怒られて、くたくたになって、すやすや寝て、何だか少し可愛い気もする。そらは真面目だからそんなことを言ったら怒るだろうけど。
(起こさないように……起こさないように……)
肩に乗った耕平の頭を揺らさないよう、まおは最後のおにぎりの包装を剥き、静かに食べ始める。
やはり耕平の頭を揺らさないよう慎重に噛み、慎重に飲み込み――。
ようやく食べ終わる頃になっても、耕平はまだ穏やかな寝息を立てていた。
「…………」
そしてそんな耕平の寝息を聞いているうちに――。
(私も眠くなってきちゃった……)
いつもうつらうつらしているように、まおの瞼も次第に落ちていく。
それから――。
午後の授業開始のチャイムが鳴っても二人は目を覚ますことなく、目を覚ました耕平が慌てて彼女を起こし、先に教室に戻るのは授業が始まって三十分以上過ぎてから。
星川さんに至っては教室に帰ってくることもなく、戻ってきたのは放課後になってからだった。




