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星川さんはネズミを捕らない猫にはならない


 翌日の放課後――。


 いつものように放課後の教室で友人達とたむろをしながら、まおは無心に髪にブラシをかけていた。

「どしたー、まお、今日はずいぶん熱心に毛づくろいしてるじゃん」

「別に普通……」

 まおとしては特に意識しているわけでもない。いつも通りのはずだ。

 それなのに。

「いやいや、絶対気合入ってるって。いつもそんなにしないだろ?」

「そかな……?」

 友人達の言葉に適当に答えながら、まおは相変わらず丁寧に髪にブラシをかけていく。

 毛先から根本にかけて、さらさらになるように。

 バイトのときにまとまりやすいようにヘアゴムもちゃんとしたのを買ってきた。

「っていうか、その爪って何? 朝からずっと言おうと思ってたんだけど」

「小学生かよっ」

 友人の言葉にブラシを持っていたまおの手がぴたりと止まる。

「これね、そらに貼ってもらった」

「「「うついぃぃいいいっ???」」」

「ぇへ……昨日ね、そらのお店に行って――」


 友人達の奇妙な反応に構わず、まおは昨日の出来事をまくしたてる。

 ようやく聞いてもらえた。その喜びにまおは思わず食い気味に答えてしまう。

 朝からずっと話したくてうずうずしていたのに、なかなか聞いてくれなくてかなりじれったかったのだ。

 お店を手伝ったこと、怒られたこと、シチューを食べたこと、帰りがけにシールを貼ってもらったこと。

 自分でも驚くくらいにどんどん口から言葉が出てきてしまう。


「「「…………」」」

 まおが話している間、黙って聞いていた友人達は何やら目配せを始める。

「……おいおい、これはひょっとしてひょっとしちゃうやつか?」

「いや……うついも結構天然だし、よくわからずにやってるかも」

「っていうかこれもう半分くらいひょっとしてるのでは」

 しばらく何やら言い合っていた三人はやがてまおに顔を向ける。

「「「まお、そのままいけっ」」」

「??? ん、わかった」

 何がそのままなのかわからないながらも頷いたまおはまた髪にブラシをかけ始める。

(何だろ、楽しいな……)

 自分でも妙な気分だった。

 そらのことを思い出したり、話すだけでも楽しくて、浮ついてしまうのがわかる。

 友人達に見守られる中、まおは熱心に髪をブラッシングしていた。



 午後九時半過ぎ――。


「はい。これ、今日のバイト代。本当に助かったよ」

「ありがとうございますっ」

 祖父の差し出す封筒を受け取った星川さんはぺこりと頭を下げ、いそいそと鞄に入れる。

 二人前のシチューセットも腹に収まっているせいか、かなり満足そうだ。


 とはいえ、それもこれも星川さんがうまく客をさばいてくれたお陰だ。そうでもなければ開店が悪くなり、明日もこれが続いていただろう。

 シチューは二日目で品切れとなり、とりあえずこれでひと段落だ。

 この二日間の忙しさの遠因となった祖父もかなりご機嫌、というより面倒事が去ってほっとしているらしい。

「よかったら、また忙しいときに手伝ってくれるかい」

「ん、おじいちゃんのごはんが食べれるなら」

「はっはっはっ、まおちゃんには敵わないなぁ」


(完全に居つかれちゃったか……)

 そんな二人のやり取りを聞きながら、耕平はのそのそと机を片付けていた。

 何となくこんな感じになってしまっているが、まだ星川さんとの関係がよくわからないままだ。

 少し前までは『苦手な隣人』だったのに、それがいい『お客さん』になり、いつの間にか店を手伝ってもらうようになってしまった。

 気持ち的にはまだ『友人』でさえないはずなのに、そこにいるのが当たり前になってしまっている。

 それに、耕平自身も星川さんに料理を食べてもらうのがやっぱり嬉しいわけで――。


「それじゃ、失礼します」

「おう、また来てくれよ……耕平っ!」

 キッチンから祖父に声をかけられ、耕平ははっと顔を上げる。

「もう遅いからまおちゃんを送っていってやれ、片づけは俺がやっておく」

「えっ? あ……そうだね」

 ちらりと壁時計を見ると、確かにかなりいい時間だ。

 さすがに一人で帰らせるわけにもいかないだろう。

 エプロンを取った耕平は店のドアを開けてやり、星川さんと外に出るのだった。


 もうGWも間近の夜の空気は温かく、半袖でも寒くはないほどだ。

 草むらから聞こえてくる虫達も相変わらずじーじーとやかましく鳴いている。


「シチュー、もっと食べたかったな……」

「ははっ、じいちゃんにまた今度作ってくれるように言っておくよ」

「うん……また食べたい」

 耕平の隣を歩く星川さんはシチューの味を思い出しているのか、幸せそうにしている。

 あまり感情を表に出さないけれども、こういうところが何となくわかるようになってしまった。

(…………)

 少し先を歩く星川さんの後ろ姿を眺めながら、耕平はのんびりとした気分でいた。

 着崩した制服に、肩にかけた潰れた鞄、街灯の光を受けた長い黒髪をさらさら揺らしてマイペースに歩く姿は野良猫そのものだ。

 それでも、耕平がついてきているかどうか確かめながら歩いているのもわかった。


 思えば、友達のいない耕平にとっては女の子を家に送っていくなんていうことも初めてだ。少し気まずいはずだったのだが、星川さんと一緒だとあまりそれも感じない。

 たまにはこういう時間もいいかもしれない。


 ぼんやりとその後ろ姿を眺めながら歩いていたとき。

「…………」

 星川さんがひょい、と道を外れて暗い路地に入ってしまう。

「ちょっと、星川さん……どこ行くの?」

「近道」

 それだけ答えた星川さんは耕平の先に立ってどんどん歩いていく。

 住宅の間にある人ひとりがようやく通れるほどの隙間、マンションの敷地との境に作られた壁と壁の間、生垣の切れ目……。

 明らかに人間用ではない道を歩く星川さんにわけもわからずついていくと、駅前の大通りに出た。

 薄暗い場所から突然明るい場所に出てまぶしいくらいだ。


「こんな道あったんだ……」

「遅い時間は使ってないよ、今日はそらがいるから」

 どこをどう歩いてここまでたどり着いたか、地元の耕平にもわからないくらいの怪しい道だ。

 とはいえ、マイペースな星川さんなりに一応安全には気をつけていたのだろう。少し安心しながらも明るい大通りを歩ていくと、やがて星川さんがあるマンションの前で立ち止まる。

「着いた」

「ここだったんだ……」

 耕平は何げなく目の前の建物を見上げる。

 駅前にいくつかある大きなもののひとつで、店のあたりからも見えるくらいだ。

 ここに星川さんがいたと思うと不思議な感じもするし、やっぱり女の子の家を教えてもらう気恥ずかさもある。


「…………」

 と、気がつけば星川さんがじっと耕平を見ていた。

 いつものクールな顔立ちと、涼しげな瞳が彼をまっすぐに見つめ返してくる。

「ぁ、えーと、今日はありがとう。昨日もだけど……助かったよ」

 多分、普通ならこんな凝視は失礼に当たる部類だろう。

 耕平もやっぱりこの瞳に見つめられると少し居心地が悪い。

 でも、星川さんはそんなのお構いなしだ。

「そう? ほんとに私、役に立った?」

「うん、お客さんにも食べてもらえて、お店も儲かったし――」

「そうじゃなくて、そらの役に立ったと思う?」

 見つめ返してくる星川さんの目には――気のせいでなければ――探るような色があった。

「…………」

 もしかしたら、星川さんなりのいつもの食事のお返しのつもりだったのかもしれない。

 猫が時々スズメやネズミを持ってくるような感じなのだろうか。

 そう考えると少し可愛いかもしれない。

「……うん、助かったよ。また手伝ってね」

「……にひっ」

 彼の言葉に星川さんがわずかに目を細め、口元に柔らかな笑みが浮かんだ気がした。

(うぅっ……何だこれ、可愛い)

 野良猫みたいなギャルが初めて見せるその表情に耕平の胸も高鳴ってしまう。

 といっても、思わず犬や猫を撫で回したくなるような感情だ。

「えーと……」

 しかし、犬猫みたいに星川さんを撫で回すわけにもいかない。

「それじゃ、また明日」

 そんなことを考えている間にも、星川さんはとことことエントランスの方に歩いていってしまう。

「ぁ、うん、また明日っ」

 慌てて答える耕平に、星川さんはいつもように手だけぱたぱた振って、やがてエントランスに入っていった。


 その姿を見送った耕平もやがて帰り道を歩き始める――星川さんの通った道はさすがにわからないから知っている道だ。

 この二日で相当に疲れたはずなのに、それをあまり感じない。

 やっぱり星川さんに手伝ってもらったせいだろうか。

 そんなことを考えながら暖かな夜の道を歩くのだった。

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