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猫(ギャル)の手も借りたいっ③

「耕平、次の皿早く出せっ」

「そら、これ、パンにガーリックバター塗ってない。これは二人分の方に出すから、パン用意して」

「ごめんっ、すぐやるからこのあとでお皿下げてくれる?」

 祖父や星川さんに注意をされながら耕平は必死で動き回っていた。

 もう何人分提供したかも覚えていない。

 意外だった――というか助かった――のは星川さんがそつなくやってくれることだ。

 愛想がいいわけではないけれども、きちんと、順序よく、お店と客両方に都合がいいバランスで動いてくれている。

 作り忘れには注意してくれるし、料理を運ぶ順番も考えてくれているし、ちょうどいいタイミングでお皿を下げてきてくれるし――耕平よりもはるかに切り盛りが上手だ。


(星川さんもちゃんと働くんだな……)

 注文を書きつけている星川さんの姿にそんなことも考えてしまう。

 いつもマイペースで食事のときばかり見ていた耕平には、ただただ意外だった。

「おい、耕平っ、パン出せ」

「そら、とりあえずこのお皿で何とかして」

 祖父の声、星川さんがガチャガチャと皿を下げてくる音に耕平はハッと我に返り、また慌ただしく動き始めた。


 午後九時過ぎ――。


 静かな店内で三人は黙々と後片付けをしていた。

 耕平は食器を洗い、祖父は明日に備えて食材を確認し、星川さんも机や椅子を綺麗に拭いている。

(今日は大変だったな……)

 それでも、何とか回ったのはやっぱり星川さんのお陰だ。

 もしいなかったら祖父が早めに店を閉めていたかもしれない。


「まおちゃん、腹減ってるだろ? もう片付けはいいからご飯にしよう」

「…………っ」

 その声に星川さんがぱっ、と顔を上げる。

 あまり感情を表に出さない星川さんでもやっぱり疲れていたのだろう。

 表情が明るくなるのがわかった。

「……シチュー?」

「おう、うちの名物を食べてから帰ってもらわなきゃな。耕平、パン用意しろ」

「わかったっ」

 例え祖父の作ったものでも星川さんに店のものを食べてもらうのは嬉しい。

 耕平は星川さんのために取っておいたバゲットにガーリックバターを塗り始めた。


 それからしばらくして――。


「ほい、お待たせ。『うつい特製シチュー』だよ。熱いから気をつけて食べな」

「…………!」

 いつものカウンター席に腰かけていた星川さんは、目の前に祖父が置いたシチューセットに目を輝かせる。耕平にも星川さんのお腹が少し鳴る音が聞こえたような気がした。

 そして――。

「いただきますっ!」

 スプーンを握った星川さんはさっそくシチューをすくって息を吹きかける。

 少し口をつけて「熱っ」慌てて引っ込めるとまた息を吹きかけ、ようやく安心して口に入れた。

「……ん……うん……うんっ」

 もぐもぐ口を動かしていた星川さんの目が細くなり、ごくりと飲み込んだかと思うと、

今度はバゲットを齧り、またスプーンでシチューをすくい息を吹きかけ始める。

(やっぱりおいしいんだな……)

 星川さんの反応でおいしいかどうかがすぐにわかってしまう――これは相当だ。

 それに、今日はちょっと強く言ってしまうこともあったけど、こうやって何かを食べて元気を出してくれればやっぱり嬉しい。

 エプロンをつけたまま無心にシチューを食べる星川さんを見守りながら、耕平はキッチンを掃除していた。



「熱っ……ふぅ、ふぅ……んぐっ、むぐっ」

 先ほどまで念入りなくらいに息を吹きかけていたまおは、もうほとんど冷ましもせずシチューを口に運んでいた。

(うん、おいしいっ!)

 熱々のシチューには牛肉がごろごろ入っているけど、どれもすごく柔らかくて、噛むとぎゅっ、と味が出てくる。それににんじん、じゃがいも、玉ねぎ……野菜の甘さもすべてが贅沢だ。

(ソースもおいしいし……)

 極めつけはシチューソースそのものだ。

 まおの語彙では説明しきれないくらいの複雑で濃厚な味わいがまたたまらない。

 そんなシチューにふーふー吹きながら、時折ガーリックバターを塗ったパンをちぎって口に放り込む。

(これもおいしいっ)

 口の中に広がるニンニクの香ばしさを楽しみながら、少し固いパン生地を噛み、また口に放り込み、そのあとはまたシチューだ。


「どうだい、まおちゃん、気に入ったかい?」

「うん、おいしいっ」

 耕平の祖父の言葉に答えながらも、まおはシチューを食べ続ける。

 みんながこのシチューを食べに来てお店が混むのもわかるような気がした。

「毎日このシチュー出せばいいのに」

「嬉しいこと言ってくれるねぇ……でも、これはちょっと仕込みが面倒でね。毎日は無理だなぁ」

 言いながらも、祖父もやっぱり嬉しそうだ。

 鼻歌を歌いながらコンロ周りを吹いている。


「そのシチューはね、じいちゃんがばあちゃんを口説くときに作ったんだ」

「?」

 そばに来た耕平がこそこそと口にする言葉にまおは思わず顔を上げる。

 彼には似つかわしくないいたずらっぽい表情だった。

「じいちゃんは取り柄が料理くらいしかないからさ、すごくおいしいシチューを作ろうってことでこれができたんだってさ」

「…………そうなんだ」

 確かにこのシチューを食べたら夢中になってしまう人もいるかもしれない――私がそらのご飯に夢中になってしまうように。

「耕平っ、余計なこと言ってないで、こっちの掃除手伝え!」

「じゃ、ゆっくり食べてて」

 やっぱり恥ずかしいのだろう、祖父の大きな声に耕平はまた忙しそうに動き始めた。

 が、まおはもう別のことで悩み始めていた。

(シチュー、最後はパンに塗って食べてちゃおうかな? ちょっと行儀悪いかな……)



 そして――。


「今日ありがとうな、まおちゃん。これ、バイト代弾んだから」

「ぁ……ありがとうございます」

 耕平の祖父から封筒を受け取ったまおはぺこりと頭を下げる。

「シチューもごちそうさまでした、おいしかったです」

 いつもの格好に戻った星川さんはかなり満足そうだ。

 もらった封筒を肩にかけた鞄にいそいそとしまっている。

 その一方――。

(何か変な感じだな……)

 耕平はテーブルを拭きながら不思議な気分でいた。

 星川さんが店に居ついてしまったことを自分はまだ歓迎していないはずなのに、星川さんは当然のように仕事まで手伝ってくれる。

 まるでずっと前からここにいたかのように。


 そんなことを考えながら椅子をひっくり返しテーブルに乗せたとき。

「それでまおちゃん、悪いんだけど……よかったら明日も手伝ってくれるかい?」

(……だよな)

 今日の混雑はシチューがなくなるまで続くことになる。

 幸い、今日の客足なら明日のうちに品切れになるとはいえ、また明日もこの忙しさを二人で乗り切るのはかなり厳しそうだ。

 耕平もちょっと厚かましいとは思うが、手伝ってほしいというのが本音だった。

 とはいえ、気まぐれな星川さんをどう口説くか……。

「バイト代は弾むし、シチューも二人前取っておくから――」

「やります」

(ははっ、まあ、これが王道か)

 あまりスマートではないけれども、星川さんを動かすにはこれしかないだろう。

 内心笑いながら客席を片付けていた。

「じゃ、今日は失礼します」

「おう、明日も頼むよっ」

 ぺこりと頭を下げて星川さんが店を出ていくのを追いかけ、耕平も店を出る。


 もう5月も近づき、夜の空気は温かく、店の外ではどこかの草むらで虫がジージーと泣き続けていた。


「星川さん、今日はありがとう。助かったよ」

「いいよ、これくらい。バイト代もらったし、シチューも食べたし……おじいちゃんのごはんもおいしいね」

「そっか……遅くなっちゃったけど送っていかなくて大丈夫?」

「明るい道通って帰るから」

 店を出た星川さんはいつもの調子だ。

 長い髪を下ろして、ぺしゃんこの鞄を肩にかけ、カーディガンのポケットに手を突っ込んで佇む姿は、やっぱり野良猫じみている。

 お腹がいっぱいになって少し満足気ではあったけど。

「…………」

 しかし、耕平にはひとつやり残したことがあった。

「えーと、手出してくれる?」

「?」

 何を言っているかわからないのだろう。

 それでも、星川さんはポケットに突っ込んでいた手を不思議そうに差し出す。

「これ、今日のお返し」

 耕平は星川さんの手を取り、ポケットから取り出した小さなシールシートから剥がした小さなシールを、まっさらな爪に貼っていく。

 小さな月や星、うさぎ、猫、果物……。

 誰が持ってきたのかわからないが店にあってよかった。

「ぁ…………」

「これくらいしか思いつかなくて」

 お店のためにはもちろん必要なことだった。

 それは今でも変わらないけど、これくらいはしてもいいだろう。

 元気を出してほしいという彼なりの気持ちだった。


「…………」

 すべての爪にシールを貼り終わった指先を、星川さんはじっと見つめていた。

 かと思うと。

「……にひ♪」

 いたずらっぽい笑みを浮かべる。

 今まで見たことのない反応だが、どうやら気に入ってくれたようだ。

「結構いいじゃん、これ」

「そう? ならよかった。明日にはまた取ってもらっちゃうけど……」

「ん、全然いいよ、それくらい」

 しばらく機嫌よさそうに爪を眺めていた星川さんは、やがて手をポケットに入れる。

「じゃ、そろそろ帰るね」

「あ、うんっ、明日もよろしくね」

「ん」

 そして星川さんはいつもと同じようにとことこ歩いていった。


(……何か変な感じだな)

 星川さんの姿が曲がり角に消えるまで見守っていた耕平は、またそんなことを考える。

 『また明日』なんていって人と別れるなんて、いつ以来だろう。

 でも、悪い気分ではなかった。

(よし……! 頑張ろうっ)

 まだ店の片づけは残っているし、明日の準備もある。

 耕平は気を引き締め、店に戻っていった。



「……ぇへっ」

 明るい街頭に照らされた道を歩きながら、まおは自分の手を見つめ、頬を緩ませる。

 爪に貼られたシールは特別可愛いというわけではない。ちょっと子供っぽいくらいだ。

 でも、そらに貼ってもらったと思うと……。

「ぇへへ……いいな、これ……」

 確かに、ネイルを落とすときはちょっともったいなかったかもしれないけど、そらの言う通りだし、悪かったのはやっぱり私だ。

 だから、そらにこんなことをする義理はない。

 それはわかっていても、このシールを見ていると心が浮き立ってしまう。

 帰ったらちゃんと写真に残して……明日はみんなに自慢して……。

 とにかく嬉しくて仕方がないのだ。

「ぇへへ……今日はシャワーにしよ……」

 入る前にトップコートを塗れば明日までは持つはずだ。

 まおはポケットに突っ込んでいた手をまた出し、爪を眺めながら歩いた。

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