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星川猫は胃袋で恋をする  作者: 橘トラ
プロローグ
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プロローグ①

 4月も中旬になり春らしい温かな日差しが教室に差し込む頃――。


 HRが終わった教室は途端に騒がしくなる。

(急がなきゃ……っ)

 他の生徒達が部活に向かったり、だらだらと過ごしたり、思い思いに過ごす中、空井耕平は掃除用具の入っているロッカーに駆け出した。

 ロッカーから箒とちり取りを取り出した彼は、手早く教室の隅から掃いていく。とにかく急いでいるので椅子や机の脚にガコガコとホウキをぶつけるのも構わず、大雑把に進んでいった。

 本来なら日直は隣の席の女子と分担するので仕事量は半分のはずなのだが。

「…………」

 耕平は自分の席の隣にいるギャルの一団を見て内心溜息をつく。


 その中心にいてお菓子を食べているのは、星川猫ほしかわ・まおというギャルだ。

 黒いさらさらの髪を腰まで伸ばし、つり目がちの瞳はいつも涼しげで、スリムな体型と相まってどことなく猫みたいな女の子だ。おまけに制服は着崩しているし、ピアスとかのアクセサリーもつけているし、授業中も寝てばかりだし、家猫というよりも野良猫みたいなとっつきにくさを感じる。


 正直、耕平はギャルという人種が苦手だ。学校のあちこちにたむろしているし、髪や爪をいじったりする姿も何となく野良猫みたいで、そばを通り過ぎる時はどうしても緊張してしまう。

 その中でも星川さんは特に苦手だ。愛想はよくないし、何を考えているかわからないし、あの瞳にじっと見据えられるだけで居心地が悪くなる。


 そんな耕平に構わず、ギャル達は席についている星川さんの髪を弄っていた。

 当の星川さんはというと、菓子パンか何かをもしゃもしゃ食べている。いつもの光景だ。

「まお、トリートメント変えた? 何かいつもと違うじゃん」

「っていうか、もう切った方がよさげじゃん、あたし練習してるし今度切ってあげるよ」

「いい、今週切ってくるから」

 いつもクールな星川さんもどうやら食べることは大好きらしく、よく友人達に食べ物をもらっている。友人達はその間に髪をブラッシングをしたり、弄って遊んでいるのだ。

「あー、わりっ、そのパン賞味期限切れてんだわ、バイトで廃棄前のやつ譲ってもらったやつだから」

「いいよ、別に。味は変わらないし」

 友人達に髪を遊ばれながらも、相変わらず星川さんはパンを食べるのに夢中だ。

 何となく餌付けされているような不思議な光景だが、当の星川さんはまったく気にもしていない。


(ま、いいか……)

 耕平は気を取り直して掃除を再開する。あの集団にびくびくしながら声をかけて掃除に協力してもらうよりは、ひとりでやった方が早い。

 床を掃いたら、教卓周りを綺麗にして、まとめたごみを帰りがけに集積スペースまで持っていって――。

 頭の中でそんな段取りを考えているときだった。

 彼の視界にぬっ、と手が出される。手首までカーディガンのかぶった手――ハッと顔を上げると、星川さんが両手を出していた。

「っ?」

 耕平は星川さんの手を見つめたまま固まってしまう。突然のギャルの接近に心の中で身構える余裕もなかった。

 が星川さんは相変わらず涼しげな瞳な彼を見つめ返してくる。

「ごめん、日直忘れてた。何やるんだっけ」

「え? ぁ、えーと、それじゃ……教室の向こう半分を掃いてくれる? こっちはその間に教室の前の方とかいろいろやっておくから」

「ん」

 耕平は恐る恐る差し出した自分の箒とちり取りを受け取った星川さんは、とことこと教室の奥に歩いていった。友人達も邪魔にならないよう椅子や机を丁寧に並べている。

(悪い子達じゃないんだよな……)

 とりあえずこれで少し時間が節約できそうだ。耕平は新しくロッカーから取り出したホウキとチリトリで自分の範囲を掃き始めるのだった。


 そして――。

「こっちは終わったよ。他は?」

「もう大丈夫、ありがとう。あとは俺がゴミ出してくから、それじゃっ」

 耕平は返事も待たずに教室を駆け出す。時間がないというのもあるが、星川さんと一緒にいるととにかく気まずかった。


 午後16時前――。

 ドアベルをがらがら鳴らして小さな店に駆け込んだ耕平は、鞄を放り出し、バックヤードへと向かっていく。

「ごめん、すぐに準備するからっ」

「おう、もう開店するぞ」

 キッチンから彼にぞんざいに声をかけるのは祖父の空井良吉。

 白い髪を短く刈り上げコックコートにエプロンをつけた姿は、年相応に落ち着いた雰囲気を備えつつ頑固おやじの風情もある。見るからにベテランの料理人といった風情だ。

 彼こそこの店、洋食屋『うつい』の店主であり、耕平にとっては料理の師でもあった。

「あとで冷蔵庫の在庫も見ておけよ」

「わかったよ!」

 店の裏から大声で返事した浩平はウェイター服に着替え、洗面所で手を洗い、目の前の鏡で軽く身だしなみを確認する。

 髪は染めず、耳にかからない程度。爪もちゃんと切ってある。あまりぱっとしない顔が見返してくるが清潔感さえあればいい。

「……よしっ」

 学校とは違う、料理人としての心地よい緊張感に気持ちが切り替わったのを感じながら、耕平はバックヤードを出て店の外へと向かう。


 外に出た耕平は店の前の道路にゴミがないか確認し、少し下がって店構えを眺める。

 洋食屋『うつい』は彼の祖父が長年営んでいる小さな飲食店だ。細々とではあるけれど、お得意さんはいるし、地域ではそれなりの人気もある、知る人ぞ知る名店と言っていいだろう。

 そんな店で耕平は祖父にしごかれながら住み込みで修業をしていた。のんびりもできないし、祖父は厳しいが、料理が好きな彼にとっては大事な場所だ。

「――!」

 店の外から祖父が何か大声で言っているのに気づき、耕平はハッと我に返る。

 午後16時ちょうど。

 ドアにかけてある『準備中』のプレートを引っくり返し『営業中』にした耕平は慌てて店に入った。


「先にキャベツ用意しておいてくれ。そのあとでポテサラな」

「わかった」

 この店は祖父と耕平がふたりで切り盛りしているようなもので、見習の耕平はこうした下準備ばかりだ。料理を教えてもらう時間もほとんどなく、勉強したかったら勝手に盗め――前時代的な教育形式だ。

 とはいえ、それも当然だった。

 元々祖父は耕平を教育し、店を継がせるつもりはない。耕平が無理を言って働いているだけで、祖父は気に入らなくなったらその時点で店を閉めるつもりでいる。彼の周りの家族でさえ、耕平が祖父の店を継ごうとしていることに賛成している者はいなかった。

 それでも、耕平にとってこの店、ここで出す料理は大事なものであり、いつか継がせてもらいたいものだった。


「おい、キャベツ早くしろよ」

「今やってる!」

 しかも、とにかく祖父はせっかちだ。

 少しでも自分のペースから遅れたり、手順を外すとかなり厳しい檄が飛んでくる。

 そんな祖父についていこうと耕平も必死だ。

 シンクの中の水を張ったタライにざるを放り込み、冷蔵庫からキャベツを取り出し、ざくざくと千切りにしていく。

 こうした下準備を早く終えれば祖父の料理を見て勉強ができるし、とにかく早い方がいい。

 耕平が早速キャベツを半分に両断し、千切りを始めたとき。

「……あんまり雑にやるなよ。勉強したいならあとで時間作ってやる」

「ぁ……うん。わかった」

 彼の魂胆を見透かしたかのような祖父の言葉に、耕平は内心赤面する。祖父がこうしてチャンスを作ってくれるのは、耕平が雑にならないようにするための安全弁だ。前時代的な教育ながらも一応は彼を突き放さずに見てくれていた。


 そんなこんなで彼がキャベツの半分ほどを千切りにし終えたとき――。

 ガラン、と来客を告げるドアベルが鳴る。

 千切りを中断した耕平はキッチンを出て伝票を手にする。二人で回すこの店で、彼はウェイターの役割もこなしていた。

「いらっしゃいませ……ぁ、佐々木さん、今日は早いですね」

「お、頑張ってるね。カキフライ定食頼むよ」

「かしこまりました」

 店にやってきたのは常連の佐々木さんという初老の男性だ。耕平の知る限り、幼い頃から週一ペースくらいで来てくれている。

 伝票に『カキフライ』と汚い字で書きつけた耕平はキッチンの外のカウンターに伝票を置く。

「じいちゃん、カキ――」

 祖父は既に耕平が作ったキャベツの千切りをさらに盛り付け始めていた。

「佐々木さんだろ」

「うん。カキフライ定食ね」

「あいよ。キャベツのあとレモン用意しておいてくれ」

 こうした感覚も耕平にとっては驚きだ。料理の腕も確かだが、長年この店をやっているお陰でドアベルの鳴り方で常連の誰が来たかわかり、当然何を注文するかもわかってしまうらしい。

「わかった」

 伝票を置いた耕平はまたキッチンに駆け込む。次の客が来るまでに下準備も進めておかなければ。

 それからはいつものように忙しくなり、彼の頭の中から星川さんのことは飛んでいた。

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