第四話
第四話です!
「よし、それじゃあ行こうか」
「ええ、そうね」
東の空に美しい朝焼けが見えた頃合いまで、相沢は見張り番をしていた。
その後明日香が起床して、見張りを交代。三時間程の仮眠を、彼はとった。
現在、時刻は午前9時過ぎ。
明日香の兄を捜し出す為、そしてこの島からの脱出方法を見つける為、危険を承知でも島を歩き渡る他なかった。
ふと、空を見上げる相沢。
そこには、澄み渡るような青空と、白い雲があった。
陽の光と青空というものは、最悪な状況下に置かれても尚、僅かばかりの希望を人の心に届けてくれる。実に不思議なものだ。
「どうしたの?早く行きましょう」
歩みを止めていた相沢を不審に思い、振り返る明日香。
「……ん?ああ、今行くよ」
駆け足で彼女へと寄る、相沢であった。
「それで、先ず何処へ向かうんだ?」
「そうね……とりあえず、昨日私たち家族が泊まるはずだったホテルへ向かいましょう。お兄ちゃんとはぐれたのも、ホテルのエントランス付近だし」
「分かった。危ないから、くれぐれも俺の傍を離れるなよ?」
「………………」
「ん?どうかしたか?」
どこか呆れたような目線で、明日香は相沢のことを見据えていた。
「……ねえ、今のセリフ、狙って言ってる?」
「……は?何が?」
「……何でもないわ」
プイッとそっぽを向く、明日香であった。
(……?)
彼女の胸中など、相沢には知る由が無かった。
ホテルへと向かう森の中の道中、とうとうゾンビたちの姿を認めた。
「ッ!?」
ビクッと身体を強張らせ、反射的に後ずさる明日香。
その気配を、ゾンビたちは捉えた。
見かけによらず、えらく敏感で察しが良いようだ。
「グオアアアアッ!」
獣めいた雄叫びを上げて、二人目掛けて疾駆しだすゾンビたち。
ゾンビたちの中には、取り分け足の速いモノたちもいる。
案の定、今目の前に居るゾンビたちが、それだ。
「ここから動くなよッ!」
そう言うや否や、相沢もまた、前方のゾンビたち目掛けて疾駆する。
彼の手中にある銀色の得物が、昨日の再現のように姿形を変える。
二つの細い刀身に分離した。二刀流の構えだ。
「ふッ!」
高速から繰り出される横殴りの斬撃の雨を前にして、ゾンビたちの首が次々と跳ね、舞い躍る。
風が止んだその時、泰然と立つ彼の後ろには、屍の山だけが残った。
「凄い……」
我が目を疑うような面持ちで、明日香は独り言ちた。
「その武器も凄いけれど、何より驚かされたのはあなたの身体能力よ。さっきの動き……およそ人の運動能力を超えている気がするのだけど……あなたって本当に人間?まさかこいつらの仲間だなんて言わないわよね?」
「……分からない」
苦虫を嚙み潰したような表情で、相沢は受け答えた。そう言うしかなかった。
「……否定してよ」
なんとも渋い空気感が、二人の間に漂った。
「……ここだな」
「ええ」
とうとうホテルの前へと辿り着いた二人。
あちこちの窓が割れており、中にはそこから赤いシミが垂れている箇所も見えた。
それが何なのか、そこで何があったのかは、最早語るまでもない。
「……行きましょう」
意を決したのか明日香はそう言ったが、その語調は震えていた。
先に歩を進める明日香のことを早足で追い抜いて、相沢はホテルのゲートを潜る。
ゲートといっても、やはりここのガラスも同様に割れており、開けっ放しの状態だった。
中に入ると、およそホテルのそれとは思えないほどの不気味な静寂と、圧倒的な闇が二人を出迎えた。電気も止まっているようだ。
そして、この深淵なる闇の中でも尚、床のあちこちにこびり付いた赤い痕が、鮮明に視認できた。惨状と言わざるを得ない。
血生臭い異臭が、エントランス内に充満していた。呼吸を行うだけで、むせ返りそうになってしまう。
「……酷い有様ね」
ハンカチを鼻に押し当てながら、明日香が言った。
「戻るなら今のうちだが?」
「……冗談でしょ。お兄ちゃんを見捨てるわけにはいかないわ」
言葉そのものこそ勇ましいが、やはり不安は隠しきれていない様子だ。
相沢が先行して、二人はホテルの奥へと歩を進めていった……。
「右よ、相沢クン!」
「ッ!」
暗闇の中から強襲するゾンビたちの脅威を、二人のコンビが払い除けていく。
着実とホテルの内部を探索していく二人だったが、明日香の兄はおろか、未だ生存者すらも見つけられていない状況だった。
果たしてこんな所に、明日香の兄は本当に居るのだろうか?
既にどこか他の場所へと逃げおおせたのではなかろうか?
いや、あるいは……。
「………………」
敢えてその仮説については、相沢も口にしなかった。
せめて、明日香のスマホだけでも見つかれば、コールを掛けて安否を確認できるのだが……昨日ゾンビたちから逃げる際に、何処かへとスマホを落としてしまったようなのだ。
無論、スマホを持ち合わせていないのは、相沢も同じであった。
尤も彼の場合、そもそも自分がスマホを持っていたのかさえ、記憶に無いが……。
闇の漂う長い廊下を摺り足で進む二人。ふと、明日香がその歩みを止めた。
「……?明日香?」
振り返った相沢の視界には、横にある一つの扉を眺める、明日香の姿が映った。
「ねえ、ここ……」
明日香のか細い人差し指が、扉の上側にあるプレートを指し示した。
「『通信室』って書いてある……もしかしてここから、外部に連絡して助けを呼べるんじゃないかしら?」
「いや……それはどうだろう……電力が落ちてるし」
「でもホテルには非常用電源もあるし……もしかしたら……」
一理あった。試す価値はありそうだ。
静かに扉を開ける相沢。……誰も居ないようだ。
試しに、壁にあるスイッチを押してみる。部屋のライトが……点いた。
本来ならば諸手を挙げて喜びたいところなのだが、その思いは一瞬にして砕かれてしまった。
通信室の中は……破壊の限りを尽くされていたのだ。
ボタンやモニターなど、あらゆる物が原形を留めていないほどに滅茶苦茶にされていた。
「そん、な……」
明日香の声音には、あからさまな落胆が込められていた。
「いったい誰が、こんなことを……」
ぼそりと独り言ちながら、相沢は破壊された物たちをまざまざと見つめていた。
……ふと、気が付いたことがあった。テーブルのへこみ方だ。
まるで隕石が落ちた際のクレーターのような跡が、幾つもあった。
この部屋の破壊者は、大きなハンマーでも上から振り下ろして、こうまで破壊の限りを尽くしたのだろうか?
(この形……何か変だ。ハンマーというより……拳……?拳で遮二無二殴りつけたような……いや、それにしては大きすぎる……)
相沢が思考を巡らせていた、その時であった。
「相沢クン、後ろ!」
鬼気迫る声色で、明日香が叫んだ。
すぐさま踵を返した相沢の視界に映ったものは……唸りを上げて振りかぶった、「何か」であった。眼前に迫りくる「それ」が「拳」であることを認識するには、あまりに時間が足りなかった……。