契約結婚ですよね? 契約結婚で間違いないですよね?
「オズウェル伯爵——これは契約結婚ですよね? 契約結婚で間違いないですよね?」
「ラクチエ令嬢。その為に今、書面に残す内容を吟味しているばずだが?」
鼻息荒く念を押すラクチエ令嬢を見て、やや面倒そうにオズウェル伯爵は机の上に置かれた紙を人差し指で2度叩いた。
親子ほどの年齢差のある二人であるが、オズウェル伯爵から是非にとイーストガル男爵家に申し込んだ婚姻である。
ただし、それは——契約結婚である。
絶対君主制の王国で密かに流行り出した契約結婚。
婚前に婚姻生活について取り決めをした上で結婚することであるが、そもそもが貴族の結婚などそんなものである。
ただ、その取り決めを書面に残すことで、結婚した貴族同士の争いをいくらか緩和させようとしたのが始まりだ。
そのくらい王国では上位の役職を手に入れる為に、足の引っ張り合いが毎日行われている。
夫婦のネタなど格好の餌食であり、ある種その書面こそが命綱になり得るはずであった。
だが、最近の貴族はというと、どうやら違う解釈をする者が増え……いわば偽装結婚と履き違えていた。
オズウェル伯爵の年齢が36を数えるのに対し、ラクチエ令嬢はまだ16歳。
貴族としては珍しくもない歳の差ではあるが、二人の思う契約結婚には天と地はどの開きがあった。
つまりところ……こういうことだ。
「じゃあ、契約結婚なら自由恋愛もオッケーですよね?」
「やめてくれ! ようやく登ってきた地位すら失う!」
「えーっ!? なんか思ってたのと違う!」
「君は契約結婚を履き違えている!」
「えーっ!?」
オズウェル伯爵はこめかみを抑えた。
イーストガル男爵令嬢といえば、お淑やかで慎ましくあり……それでいて賢さを兼ね備えていると、聞いていた。
ただ、その容姿は……ふくよかであり……とてもふくよかであり……すごくふくよかであった。
だからこそオズウェル伯爵は選んだのだ。
分別と賢さを兼ね備えているのなら、容姿などどうでもよい。
いや、むしろ妻となった後に他家が陰口を叩こうものならば、それを材料に攻撃できると。
だが目の前の令嬢といえば、どう見ても賢さなど感じさせない。
容姿の方もややふくよかであると言えるが、大きな青い瞳に肩まで伸びたカールした金髪。
とても結婚に困るような顔ではなかった。
むしろ愛嬌のある笑顔は可愛いととれる。
「君は……本当にイーストガル令嬢なのか?」
「えーっ!? 私はラクチエ=イーストガルですけど!」
オズウェル伯爵がチラと視線を横に向けると……壁を背に立つ執事は間違いないと頷いた。
「確かに……失礼な発言だった。非礼を詫びよう」
「いーよ。よく令嬢らしく無いって言われてるし」
——だろうな。
オズウェル伯爵は心の内で呟いた。
彼としては白紙に戻したいとこであるが、伯爵から申し出た婚姻である。
ラクチエ令嬢の言葉では無いが、「何か思ってたのと違う」など通用しない。
あくまで契約内容が相容れなかったと持っていくしか……道は無いのである。
「まず、私と君との契約結婚の捉え方が違う。ラクチエ令嬢——君は契約結婚とはどういったものだと考えている?」
「えーっと、本当は結婚したくない人が体面を保つ為に、とりあえず誰でもいいから形だけの相手募集します、みたいな?」
「違うな。むしろ私は選びに選んで君に婚姻を申し込んだ」
白紙に持っていきたければ、ここは本心である「出世のために」と前置きを入れなければならない。だが少々苛立っていたオズウェル伯爵は気づいていない。
となれば……当然ラクチエ令嬢も勘違いしてしまうのも仕方がないだろう。
「えっ!? そこまで私のことを……」
残念なことに、あまりの恥ずかしで小さくなったその呟きは、オズウェル伯爵の耳には届いていない。
「言うならば、この契約は誓いと同じだ。軽々しいものではない。未来に向けて守られるべき約束であり、それが破られることは地位を失うと同じだと思ってくれ」
「……はい」
すでにラクチエ令嬢の頭の中は乙女モードである。
親に「これほどの縁談はない」と言われ来たところ、待っていたのは予想以上に容姿の整った男性。
それでも契約結婚ならば、せめて自由に生きてやろうとラクチエ令嬢は意気込んでいた。
だが仮初の夫婦契約かと思えば、情熱的な告白である。
恋愛経験などないラクチエ令嬢は……いとも簡単に落とされた。
チョロすぎである。
乙女の脳ではオズウェル伯爵の言葉が「未来に向けて、死ぬまでの愛を誓う」と変換されていた。
——どうも風向きがおかしい。
そう感じとったオズウェル伯爵は、事細かな契約書を作ろうと方向転換した。
例えば起床の時間や就寝時間。1日の食事の回数から、月に使用できる小遣い。
礼儀作法の勉強や肉体を維持するための運動時間まで、おおよそ生活の中身をがんじがらめにした。
ラクチエ令嬢の態度を見るに「それは無理!」と言うのを期待して。
……だが彼女の反応はというと。
「えーっ!? 遊ぶ暇がないですよ? 私、花も恥じらう16歳ですよ?」
などと頬を膨らませるものの、「でも……そうやって縛られるのも愛かしら」と、何故か最後には納得してしまう。
「夜伽は月に2回。私からはそれ以上求めないし、ラクチエ令嬢からも求めない」
「えっ!? あの……その……はい」
顔を赤らめるラクチエ令嬢の変化に、オズウェル伯爵はここで攻め入ると覚悟を決めた。
「あと、私には特殊な性癖がある。今はまだ言うことが出来ないが……それに応えて貰うよ?」
もちろん彼に特殊な性癖はない。
まぁ、少し興味があるていどだ。
オズウェル伯爵自身、16歳の小娘に何を言っているのだと思っているが、ここまで言わねば白紙にはならないだろうと感じたのだ。
もっとも執事が『えっ、ご主人様マジで!?』と、明らかな動揺を見せていたことに彼は気付いていない。
「あ……あの。オズウェル伯爵様。そこに愛はありますか?」
「愛があればのことだ」
はっきりと言い切ったオズウェル伯爵は直後に自分の失敗を悟った。
ここは「愛はない」と答えるべきだったと。
なにしろラクチエ令嬢は、恥じらいながら上目遣いで——恋に恋する乙女のような表情を浮かべているのだから。
世の中には無茶な要求であればある程、それを愛と勘違いする人間がいる。
オズウェル伯爵は……その真実を目の当たりにしていた。
「……可愛がって……くださいね」
もはや逆転の目はない。
そう感じたオズウェル伯爵は僅かながら逡巡した後に……書面にサインをし、ラクチエ令嬢も続いた。
こうしてオズウェル伯爵とラクチエ令嬢の契約結婚は締結された。
結婚するまでの6ヶ月を花嫁修行の時間として取ったのだが……ラクチエ令嬢の変貌ぶりは周囲を驚かせた。
結婚後から始まるはずの一部の隙間もない生活に取り組み、根を上げるどころか……たまにニヤけながらも完遂。
運動によりみるみる体は痩せ、礼儀作法によって気品も漂い始めると、周りの貴族達からは「これほどのダイヤの原石だったとは」と唸らせた。
——そして迎えた結婚式当日。
純白のドレス姿のラクチエ令嬢の美しさに、オズウェル伯爵は見惚れたまま言葉を失ったほどだ。
だが、その5秒後に彼は首を傾げた。
「ラクチエ? その、後ろの方は?」
オズウェル伯爵が尋ねたのは、ドレスの裾を持つ女性のこと。
何というか……ふくよかな……とてもふくよかであり……すごくふくよかな、なんとなくラクチエに似た女性である。
「修道院に行った私の姉ですよ」
「……姉?」
「はい。姉はすごく優しく、本当に心が綺麗な人なんです。貴族の身を捨ててまで人のために動きたいと、7ヶ月前に修道院で洗礼を受けたんですよ」
——あぁ、なるほど。
オズウェル伯爵は理解した。
選びに選んだ相手は姉の方だったのかと。
おそらくは婚姻の申し出のタイミングで修道院に入り、イーストガル男爵は勝手にラクチエへの申し出であると勘違いしたのだろう、と。
そういえばオズウェル伯爵はこう申し込んだ。
——大変失礼な言い方ではありますが、御息女は結婚相手に恵まれないとか。歳の差はあるものの、是非私と契約結婚をお願いしたい。
確かに貴族の価値観で考えれば、ラクチエ令嬢も礼儀作法の面で結婚相手に恵まれなかったかもしれない。
それにしても抜けすぎのオズウェル伯爵では……あるが。
優雅にお辞儀をする姉に、オズウェル伯爵も腰を折って礼を返す。
勘違いから始まった結婚ではあるが、これはこれで幸せな巡り合わせだったと、オズウェル伯爵は顔を緩ませた。
ラクチエ令嬢……すぐに夫人になるのだが、彼女は少し頬を膨らませた。
「もう、旦那様ったら。今日は私だけを……いえ、これからは私だけを見てくださいね?」
「それは……契約内容にあったかな?」
と、オズウェル伯爵がはにかみ笑う。
「……契約が必要ですか?」
と、ラクチエ夫人も微笑み返す。
「いや、必要ないな」
オズウェル伯爵が手を差し出すと、その上にラクチエ夫人の手が添えられた。
余談であるが……その日の晩、気を利かせた執事が寝室に用意した道具の数々に、オズウェル伯爵の怒号が飛んだという。
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